ヒューマンコミュニケーション
(2014年度・平成26年度)
垂水源之介
授業の目的
講義内容
【この授業のねらい】
コミュニケーションメディアがどのように発達しようとも、人間のコミュニ ケーションは対人コミュニケーションが基本にあります。臨床コミュニケー ション関連授業は、この人間の基本的なコミュニケーションの様式にまつわる さまざまな事柄について、教員の変化に富んだ事例の提示と受講生どうしの共 同討議により運営しています。
良好な対人コミュニケーション能力をつけるためには、まず対人コミュニ ケーションについて基礎から入門することが得策です。臨床コミュニケーショ ン I とII は、この授業グループの基礎的な入門編として位置づけられていま す。これら両者の間に難易度の差はなく授業の方向性が異なるだけで、どちら か1つだけの受講をしてもかまいません。
今学期の授業は15回を目標におこない、次のような内容の授業展開でおこな います。(1)コミュニケーション入門、(2)身体への気づき、(3)五感を 働かせること、(4)言語現象への介入、という4つの柱から考えます。ただ し、それぞれの順番は論理的な展開を示したものではなく、それぞれのテーマ は相互に関連しますので、順序が逆転したり、議論が重複関連しますので予め ご了承ください。
00 ヴァーチャルシラバス
1.臨床コミュニケーション入門
ヒューマンコミュニケーションとはなにか、コミュニケーションの定義、対人コミュニケーションとしての臨床コミュニケーションについて紹介、解説し、この
授業の目論見について説明します。各人の自己紹介などをおこないアイスブレイキングを通して、この授業のキックオフとします。
2.臨床コミュニケーション入門(承前)
授業登録期限直前のために、前回の授業の紹介をなるべく重複しないようにパラフレイズして解説し、早速、授業運営の解説に引き続き、臨床コミュニケーショ
ンに関するグループ討論と発表をおこないます。
3.サン=テグジュペリ「星の王子様」から考える
サン=テグジュペリ「星の王子様」を教材にして、作品を鑑賞すると同時に、その作品の中にある、コミュニケーションとディスコミュニケーションの諸相につ
いて考えます。
4.予防接種とヘルスコミュニケーション
予防接種の疫学的根拠にもとづく公益性と、接種事故の危険性という被接種当事者のリスク認識、という2つの事象にまつわる齟齬について、それぞれの立場性
を明確にしながら議論します。両者の側の主張が相反的にならないヘルスコミュニケーションの可能性について考えます。
5.他人とコミュニケーションしていない状況について考
える
臨床コミュニケーションの仕事に従事することは、ともすればコミュニケーションスキルを闇雲に挙げることであると、しばしば私たちは誤解します。他人とコ
ミュニケーションする権利を義務と取り違えると、それは苦痛に満ちたものになるはずです。他人とコミュニケーションしていない状況/コミュニケーションを
遮断する技という観点から、逆説的にコミュニケーションの可能性と限界について考えます。
6.挨拶について考える
皆さんは、教室にたどりつくまでに、さまざまな人と挨拶してきたと思います。あるいはこの日は教室に直行してきた人は全く挨拶をしてこなかったかもしれま
せん。なぜある人には挨拶をし、別の人には挨拶をしないのでしょう。また挨拶をした場合でも、その相手によってさまざまな挨拶の《深度》があるかもしれま
せん。挨拶は形式的にすぎないのか、また対人コミュニケーションについて不可欠で不可避なものなのか?今日おこなってきた挨拶のエピソードから、挨拶の本
質的議論にまで幅広い議論を行いましょう。
7.ICTは対人コミュニケーションの代替物になれる
か?
社会のさまざまな箇所で、ICT(情報通信技術)を使ったコミュニケーション・メソッドの刷新がおこなわれています。ICTの議論をすると必ず出てくるの
は、ヒューマンコミュニケーションとの比較です。ICTは正確だが《人間性がない》というものです。正確なものと《人間性》は共存可能なのでしょうか?
ICTを《人間性》と対立するものではなく、むしろ補完するものだという意見もあります。ヘルスコミュニケーションにおけるICTの可能性とその限界につ
いて考えます。
8.人工知能との対話
人工知能(AI)と呼ばれているものは、コミュニケーション研究においていつも論争的な立場に「いる」——これは存在論的意味付け。そして、実際にコミュ
ニケーションしてみて利用者が「知性」と感じることができればAIとみなしてよいというのがチューリング・テストの意味付けである——認識論的な定義付
け。だが、実際には言語ゲームというシャドー・ボクシングができればOKというものもある——これは語用論的な意味付け。AIの研究開発史の興味深いエピ
ソードから「人工知能との対話」について考えてみたい。
9.自分とのつきあい方
対人コミュニケーションのマニュアルには、他人とのつきあい方や、社会とのつきあい方、あるいは学生や大学院生向けには教授(指導教授)とのつきあい方と
いうものまであります。しかし、よく考えてみると、私たちがつきあっている最初で最大の《他者》とは自分自身なのではないかという気がします。対人コミュ
ニケーションの本質を逆照射するために、自分とのつきあい方について、真面目に考える時が来たようです。
10.痛みをつたえる
対人コミュニケーションの教書にはしばしば《共感》という言葉が呪文のように出てきます。でも《共感》というものが、理性的な相互理解なのかそれとも情動
のような共体験なのか、どのようにしたら《共感》が可能なのか、納得できるような説明に出会うことは皆無に近いのではないでしょうか。他人の痛みは《感じ
ることができない》が、他人が痛がっていることは《理解できる》のはなぜなのでしょうか?痛がっている人が自分が使いなれない語彙を使っている時、《共
感》するためにはまず何が必要なのか、よく考えてみましょう。
11.孤独について考える
人々が十全にコミュニケーションしあい平和裏に共存すること。それが実現されない時に、孤立、孤独、そして隔離という状況が生じます。孤独が強制された状
態である時、人はそれを《疎外》されたと表現します。他方、プライバシーや沈思黙考という言葉にあるように、孤独の状態に良き価値がおかれることがありま
す。《孤独を感じる/感じれない》ということを鍵概念にして、人間以外の事物(例:AI)が《孤独を感じる》のかという思考実験をおこないます。
12.表現行為を通したコミュニケーション
「絵を書く」「詩文を交換する」「ダンス表現をする」等々。これらは、芸術表現を通してコミュニケーションするということです。情報通信におけるコミュニ
ケーションの理想とは、ノイズ(雑音)のないピュアな情報をより大量により迅速に伝えることですが、対人コミュニケーションには、ディスコミュニケーショ
ンを含めて《曖昧なものの豊饒さ》というものがあります——鳥獣戯画という作品を思い起こしてください。遊びをせんとや生まれけむという存在である人間で
ある以上、コミュニケーションという遊びを体感してみましょう。
13.良きサマリア人のたとえについて
ルカによる福音書(10:25-37)にある「良きサマリア人のたとえ」はこれまで夥しい宗教的な実践のあり方に関する議論において使われてきたエピソー
ドです。しかし近年では臨床倫理や臨床コミュニケーションの実践倫理の議論の素材としてよくその俎上にあがります。《自己が善行を実践する》ことと《他者
が善行を受ける》ことの相互連関の意味について考えてみます。
14.教育を強制されることの意味
イバン・イリイチ(1926-2002)は、民主主義的な近代社会にとって不可欠なものであると見られている識字・公教育・医療・市場・産業・労働の「経
済セックス化」について批判的再考を促した人です。しかし彼は闇雲な破壊主義者というよりも、私たちが当たり前のものとして受け入れている社会制度にはさ
まざまな欠陥があることを指摘し人間の生き方について《それ以外の方法》があるのではないか、と希望を決して棄てなかった人でもあります。教育を《強制》
されている空間としての、今、ここ(=教室)で考える意義は、イリイチの希望から私たちに給備されています。
15.まとめの授業
ヒューマンコミュニケーションとはなにか、コミュニケーションの定義、対人コミュニケーションとしての臨床コミュニケーションについて、最後にふり返り、
この授業が皆さんにとって何であったのか? どのような意義があったのか?/なかったのか?についてディスカッションを通して検証します。
00 ストックヤード:(過去の開講資料)
教科書特に指定しませんが、必読文献はその受講者に配布します。
参考文献毎回の授業の中で指摘するほかに、ウェブページ等で提示します。
成績評価
平常点(60%)と筆記試験(40%)を基礎にして平常点(=質問・発話・コメ ントを通した授業の質向上への貢献)を加味して総合的に判断します。
講義で学んだことを後半の実習に反映させるために特に出席点と授業に対する 貢献度(質問やコメントを積極的におこなう)を重視します。
■臨床コミュニケーション
臨床コミュニケーションとは、人間が社会生活をおこなうかぎり続いてゆ く、ある具体的な結果を引き出すためにおこなう対人的コミュニケーションの ことを言います。ここで言う臨床とは、狭い専門領域としての臨床(clinic)で はなくその現場における実践状況(human care in practice)のことをさします。 臨床コミュニケーション研究において、このような脱専門領域の意識を共有す ることは重要です。なぜなら、臨床コミュニケーションとは、専門家どうしの 対話のみならず、専門家と普通の人(例えば患者など)、そして日常経験の中 に生きる普通のひとどうしの対話などから成り立っているからです。
■ディスコミュニケーション
コミュニケーションの不在や失敗を、私たちはディスコミュニケーションと 呼びます。ディスコミュニケーションは良好ではないという点で、いちはやく 「問題の発見」や「改善や治療」の必要性が叫ばれます。しかし、劣悪な関係 性であれば、コミュニケーションを遮断することが最善の選択になることだっ てあるはずです。我々はコミュニケーションとディスコミュニケーションの様 式を深く学び、それらを上手に操ることも必要なのです。良好なコミュニケー ションを目指す人は、ディスコミュニケーションについての深い理解が不可欠 です。
■本講義では
このような「知」のあり方を自覚するために、様々な専門領域の大学院生ど うしの討論をおこないます。各自が専門領域以外の者と円滑にコミュニケー ションを図る能力、プレゼンテーション能力、および社会的判断力を身につけ ることを通して、ディスコミュニケーションを解消するための具体的なスキル の学習を目指しています。
■具体的には
異文化間、医療現場、紛争の現場における臨床コミュニケーションの特徴と 課題を理解するとともに、参加者が自分たちの生活の場面からディスコミュニ ケーション事例を持ち寄り、そのプレゼンテーションと解決のための討論を通 して、各領域におけるコミュニケーションの可能性と限界を明らかにします。 そして、この臨床コミュニケーションの将来の課題を皆さんとともに模索して ゆきます。
■さらに学びたい人は
第1学期に開講されている「臨床コミュニケーション I」「ディスコミュニ ケーションの理論と実践」、第2学期に開講する「現場力と実践知」がありま す。また夏期集中講義「医療対人関係論」では、この授業のより具体的で先進 的なかたちで受講することができるでしょう。より少人数で、テーマを絞った グループ討論で、学びを深めることができます。
◆受講者への連絡メーリングリスト(解説)
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「臨床コミュニケーション関連授業MLへの参加希望」と表題に書いて氏名・所属先・学籍番号などを記載したメールを御送りください。この MLは受講者のものですが、OG/OBや、この授業の開設趣旨に賛同していだける学外の方も参加できます。MLの参加や脱退については、参加者の意思を尊 重いたしますが、運営上の事情によりMLの参加を取り消す場合もありますので、予め御了承ください。
キーワード:ヒューマン・コミュニケーション、臨床コミュニケーション、ディスコミュニケーション、人間の相互理解、臨床知、実践知、現場力