かならずよんで ね!

ラテンアメリカ研究の虚実

Illusion of both America Latina and Latin America


池田光穂

LATIN AMERICA. from Encyclopedia of Latin American history and culture, 2008.

"Latin America, term commonly used to describe South America, Central America, Mexico, and the islands of the Caribbean. As such, it incorporates numerous Spanish-speaking countries, Portuguese-speaking Brazil, French-speaking Haiti and the French West Indies, and usually implies countries such as Suriname and Guyana, where Romance languages are not spoken. The term Latin America originated in France during the reign of Napoleon III [1808-1873]in the 1860s, when the country was second only to England in terms of industrial and financial strength. The French political economist Michel Chevalier [1806-1879], in an effort to solidify the intellectual underpinnings of French overseas ambitions, first proposed a "Pan-Latin" foreign policy in the hopes of promoting solidarity between nations whose languages were of Latin origin and that shared the common cultural tradition of Roman Catholicism. Led by France, the Latin peoples could reassert their influence throughout the world in the face threats from both the Slavic peoples of eastern Europe (led by Russia) and the Anglo-Saxon peoples of northern Europe (led by England). In the Western Hemisphere, Pan-Latinists distinguished between the Anglo north and the Latin south, which they gradually began to refer to as América latina. From the French l'Amérique Latino, the term came into general use in other languages."

「ラテンアメリカという用語は一般的に、南アメリ カ、中央アメリカ、メキシコ、カリブ海の島々を指すために使用される。そのため、ラテンアメリカには多数のスペイン語圏の国々、ポルトガル語を話すブラジ ル、フランス語を話すハイチおよびフランス領西インド諸島が含まれ、通常はロマンス諸語が話されていないスリナムやガイアナなどの国々も含まれる。ラテン アメリカという用語は、1860年代に産業および金融の面でイギリスに次ぐ強国であったナポレオン3世(1808-1873)の治世下のフランスで生まれ た。フランスの政治経済学者ミシェル・シュヴァリエ(1806-1879)は、フランスの海外進出の野望を支える知的基盤を強化しようと、ラテン語を起源 とする言語を話し、ローマ・カトリックという共通の文化伝統を持つ諸国民の連帯を促進することを期待して、初めて「汎ラテン」外交政策を提唱した。フラン スが主導するラテン民族は、ロシア率いる東ヨーロッパのスラブ民族と、イギリス率いる北ヨーロッパのアングロサクソン民族の双方からの脅威に直面する中、 世界中で再びその影響力を主張することができた。西半球において、汎ラテン主義者たちはアングロ系の北とラテン系の南を区別し、徐々に「ラテンアメリカ」 という名称で呼ぶようになった。この名称は、フランス語の「ラテンアメリカ」から、他の言語でも一般的に使用されるようになった」

Pan-Latinism in Wikipedia.

"Pan-Latinism first arose in prominence in France particularly from the influence of Michel Chevalier (1806–1879) who contrasted the "Latin" peoples of the Americas with the "Anglo-Saxon" peoples there.[Thomas H. Holloway. A Companion to Latin American History. Blackwell Publishing, Ltd., 2011. P. 7.] 19th century French writer Stendhal spoke of "Latinism" as an imperial idea that the Latins should rule over their non-Latin neighbours.[René Maunier. The Sociology of Colonies: An Introduction to the Study of Race Contact, Part 1. London, England, UK: Routledge, 1949, 1998, 2002. P. 203.] It was later adopted by Napoleon III [1808-1873], who declared support for the cultural unity of Latin peoples and presented France as the modern leader of the Latin peoples to justify French intervention in Mexican politics that led to the creation of the pro-French Second Mexican Empire.[Thomas H. Holloway. op.cit. p.8]"

「汎ラテン主義は、特にミッシェル・シュヴァリエ (1806年-1879年)の影響により、フランスで最初に注目されるようになった。シュヴァリエは、アメリカ大陸の「ラテン系」の人々と「アングロサク ソン系」の人々を対比させた。[トーマス・H・ホロウェイ著『ラテンアメリカ史のコンパニオン』Blackwell Publishing, Ltd., 2011年、7ページ。19世紀のフランスの作家スタンダールは、「ラテン主義」をラテン人が非ラテン人の隣人を支配すべきだという帝国主義的な考えであ ると述べた。[René Maunier. The Sociology of Colonies: An Introduction to the Study of Race Contact, Part 1. London, England, UK: Routledge, 1949, 1998, 2002. 203ページ] 後にナポレオン3世(1808-1873)が採用し、ラテン民族の文化的統一を支持すると宣言し、フランスをラテン民族の近代的指導者として提示し、フラ ンスによるメキシコ政治への介入を正当化し、親仏派の第二メキシコ帝国の樹立につながった。[トーマス・H・ホロウェイ著『op.cit.』8ページ]」

Modern Latin America

Rousso-Lenoir, Fabienne. America Latina. New York: Assouline, 2002.

書籍紹介:ラテンアメリカの文化の本質は、そのさま ざまな地域や人々を魅力的に描いたこの肖像画に、その輝かしい多様性とともに表現されている。今日、ラテンアメリカは20以上の国々から構成されており、 それぞれが独自の個性的な特別な性質を持っている。パンパスからアマゾン、インカからエル・チェ、グアダルーペの聖母からエビータ、ブエナ・ビスタ・ソシ アル・クラブまで、この洞察力に富んだ本は、歴史を通じてアメリカ・ラティーナの神秘的な魅力に貢献してきた資質やイメージを描き出している。芸術、音 楽、ダンス、文学、映画の世界から引用しつつ、この本は、この魅惑的で興味をそそる文化のミックスの複雑で興味深い性質を探求している。

書籍紹介(別ヴァージョン):それは夢を蒔き、悪夢 で耕された大地である。探検家、征服者、宣教師たちの想像上の地平線を包み込んでいる。現実のラテンアメリカは神話上のラテンアメリカと結びつき、いたる ところで伝説が問題を曇らせている。文化、宗教、言語、歴史の融合であるラテンアメリカは、魅力的な大陸である。喜びと知識の源であるこの地域について、 歴史的英雄、文化の象徴、文学の偉人たちの引用を交えながら、豊富な図版とともに紹介する。20を超える国々から成り、それぞれが独特で強烈な個性を放つ ラテンアメリカは、長い間、世界の他の地域に対して不思議な魅力を発揮してきた文化的な豊かさを体現している。この洞察力に富んだ本は、音楽、文学、芸術 を題材に、これらの国の複雑性を掘り下げている。ホルヘ・ルイス・ボルヘスのブエノスアイレスからパブロ・ネルーダの果てしない空間、タンゴやボサノバか らブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、グアダルーペの聖母からフリーダ・カーロやエバ・ペロンまで、アメリカ・ラテンアメリカは、この地域の魂の魅力的な 肖像を描き出している。この豪華な本のページをめくるたびに、ラテンアメリカの活気に満ちた精神がほとばしり出てくる。

BIBLIOGRAPHY

Source from , Encyclopedia of Latin American history and culture / Jay Kinsbruner, editor in chief ; Erick D. Langer, senior editor : set - v. 6. - 2nd ed. - Detroit : Gale , c2008

1848 1848年革命により王政が終焉、Charles Louis-Napoléon Bonaparte (Napoleon III) 帰国しフランス第二共和政の大統領に就く(-1852)。

1851 国民議会に対するクーデタ、独裁権力を確立

1852 Napoleon III、皇帝に即 位。第二帝政がはじまる

1853-1856 クリミア戦争による、ウィーン体制の崩壊。

1861 ベニート・ファレス大統領、西欧列強(英仏西)に対して対外債務モラトリアム宣 言。10月31日3国はロンドン条約締結、支払いのために派兵を決定。

1862 フランスの 介入開始 

1863 6月メキシコ市陥落。オーストリア皇弟フェルディナント・ヨーゼフ・マクシミリア ン大公(Ferdinand Maximilian Joseph Maria von Habsburg-Lothringen)を皇帝を宣言。

1865 メキシコ共和国軍の巻き返しはじまる。

1867 6月マキシ ミリアン処刑、共和国軍の勝利

1870 フランス第三共和政(-1940)

1871 ファレス再選するも、再選禁止によりポリフィリオ・ディアスの反乱。ファレスは、 翌年に急死。セバスティアン・レルド・デ・タヒーア暫定大統領。

1876 ディアスはクーデターにより大統領就任(-1911)

1966  Founding of the "Latin American Studies Association, LASA".

●問いかけ
私の答え
●君の答え
ラテンアメリカ研究とは何か?
本来は南北アメリカ大陸の研究であるべき ものが、古くは19世紀中頃まで遡れる、20世紀の地政学的要因によりラテンアメリカとカリブ海地域が独自に切り離されてできた政治的領域を、国家単位で 研究してきたもの。もはや時代遅れの概念だが、いまだ魅力を放っている。

ディシプリンと地域研究との関係をどのよ うに考えればよいのか?
ディシプリンと地域研究がクロスする部分 が、わが文化人類学の研究だと思う。(下図参照)


今後のラテンアメリカ研究はどうあるべき か?
もはや時代遅れの概念だが、いまだ魅力を 放っている、その理由の解明が、ラテンアメリカ研究の課題になるのではないか?

地域研究、学際研究やその他の地域研究者 との連携をどのように推進していくべきか?
私が専門的に関わる文化人類学に関連する 研究領域において、学際研究の重要性が説かれるようになったのは、すくなくとも第二次大戦後の2つの重要な出来事においてであったと思われる。それらは双 方とも、学際研究の中心的拠点となったアメリカ合州国でおこった。すなわち(i)行動科学研究、と(ii)地域研究である。それらが、それぞれ、いま実践 面において曲がり角にきていると思う

若い世代にラテンアメリカ研究の魅力をど のように伝えますか?
地域を固定化した領域として考えるのでは なく、いくつかの情景=スケープ(A.アパデュライ)の集合と考えることで、従来のラテンアメリカ研究領域以外の分野との交流流が可能になると思われる。 したがって、ラテンアメリカ研究を「救済」することは、従来の地域研究そのものを、あらたな研究領域として再定義する魅力をもっている。我々は(ポスト冷 戦期のグローバル時代という)大変、刺激的な時代にいるのだ。

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