芸術人類学への招待
Introduction to Anthropology of
Arts
歌川広重 名所江戸百景「水道橋駿河台」
安政4年(1857)
目次:芸術人類学入門
5.結論:芸術人類学への招待(このページ)
6.芸術人類学ギャラリー(タグジャンプ)
The sky above the port was the color of television, tuned to a dead channel. - William Gibson, Neuromancer, 1984
「港の空の色は、空きチャンネルの合わせたTVの色だった」(黒丸尚 訳)。脳に接続された端子を光ファイバー経由で直接インターネットに接続する生体ハッカーの生き様を描いた世界初のサイバーパンク小説『ニューロマン サー』の冒頭の文章である。空の色がVDT(Visual Display Terminals)のホワイトノイズで表現されているところが、僕たちの新しい視覚認知の様式の到来を予言している。原文はインターネットに「転がって いる」のでググってほしい。
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文化とは、人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな「体系」ないしは、そう理解できる概念上の構築物と 僕は定義した。これまでの僕の説明から、読者の皆さんは民族芸術も現代芸術もまた文化とよばれる広い範疇(ジャンル)に入るものであることが理解されてい るのではないかと思う。したがって、現在問題になっている、民族学博物館の展示物が、どのような過程を経ると民族芸術になり、また、どのような過程を経て 現代芸術になりうるのかについて解説してみよう。
ヨーロッパではフランス革命に代表されるような市民革命を通して、芸術や工芸品と呼ばれるものが、それまでの王族や貴族あるいは教会の専有物か ら、市民も所有することが可能になってきた。市民革命とは、それまでの封建的身分制度を打破したことである。ここで言う打破とは、端的には市民の武装蜂起 による「革命」のことをさす。その結果、社会の構成員が「国民」として平等な権利をもち、社会の活動に自由に参加することができることを可能にした。他方 で、国家は市民的権利と自由を保証するために、市民に対するさまざまな義務規定を設けた。その義務規定は、国民の登録と納税義務、義務教育、徴兵制度など である。国家は、そのような義務を果たした国民を順次、国政への参加を認めるように制度を整備した。
市民的平等が達成された社会が到来したのちに、重要な課題となったのが経済活動(=労働)と所有(=可処分)の自由である。これには何がもっと も重要かというとさまざまな議論があるが、就業(=労働)の自由、お金を儲ける自由、儲けたお金を使って物産を所有する自由、所有物を自由に処分できる自 由である。これらをまとめると「経済活動の自由」を市民が手に入れることができたということになる。これにより新聞や書物が(義務教育を通して識字能力を 得た)市民のあいだに定着することになった。いわゆるマスメディアの誕生である。その芸術は、徐々に洗練されて、安価で大量生産が可能になった印刷技術の おかげで、書物と共にみんなが楽しむことができるようになった。
例えば、それまではキリスト教の聖画は、教会の中で飾られることで、崇敬を得ていた。数少ない巨大な作品としての聖画や聖像は、巨匠によって作 られ、芸術的な意味よりも宗教的な意味のほうが凌駕していたという。そのような作品が放つ圧倒的なパワーを、20世紀前半の文明批評家ヴァルター・ベンヤ ミン(1995)はアウラ(オーラ)が宿っていると表現した。しかし、その本物とそっくりなミニチュアの聖画が印刷されるようになって、その聖画が家庭の なかの小さな祭壇——日本風に言えば神棚である——に掲げられ、灯明がともされるようになると、複製聖画そのものよりも、聖画の前で僅かばかりでも本人が 敬虔な気持ちになることが重要になる。複製聖画には、大作の本物が放っていたアウラがもはや失っている。人々は、教会の大作のアウラのまえで敬虔な気持ち になるが、そのためには教会にわざわざ足を運ばなければならない。他方、アウラのない複製聖画でも家庭の中で人は気軽に「ちょっとした敬虔」な気持ちにな ることができる。
アウラのある作品は市民革命後にも登場することがある。市民革命後の反動——政治体制が昔に戻ること——ではあるが、その実例がルイ・ナポレオ ン・ボナパルトがジャック=ルイ・ダビッドに1801年から5枚も製作させた「アルプスを越えるボナパルト」である。この絵画は、それぞれ2.5×2メー ターを超える大作である。これらの絵画は、個人によって好き嫌いはある——このことが作品自体の宗教的アウラ性が明らかに後退しているのである——だろう が、そのサイズや理想化された英雄のポーズなど、現代においても観る者を圧倒するアウラをもっている。しかしながら、この名画が複製化され、ちょうどA4 サイズのクリアフォルダーになったらどうだろうか? アイコンとしてのナポレオンの雰囲気はあるが、本物の絵画がもつアウラはもはやない。
市民革命後は、学校教育の中で芸術技法が教えられるようになり、工房による絵画や彫刻のようなものが大衆化する。作品のサイズは小さくなり、経 済力をもつようになった市民が、個人の画家に注文して家族の肖像(ポートレイト)のような作品を、家庭の居間にも飾れるようになる。そして、そのサイズの 絵画の注文に画家たちが応じるようになる。市民向けの芸術市場の誕生である。
このような芸術の市場化は、現在における工業製品——例えば自家用車や家電製品——と似て、人気のある画家の作風が急速に売れ、また栄枯盛衰が みられるようになる。人や時代によって人気不人気があるということは、言い方を変えると、かつての大作の聖画のようにアウラが共通なものだったものが変化 していること、つまり、アウラの多様化とアウラの個人化というものが始まったことを意味する。
前節の終わりで、民族芸術と前衛芸術の出会いについて予告しておいた。すこし前ふりが長くなったのは、これまで解説してきた芸術の本物らしさや 真拍感(ともにauthenticity)をもたらすものとしてのアウラ(オーラ)の概念について予備知識が不可欠だったからである。
さて、19世紀の終わりから20世紀初頭にフランスで『図解新ラルース事典』(1897-1904)が出版される。ここにいくつかの新しい美術 用語が収載されるのが、そのうちのひとつがプリミティヴィズムである。この事典では、ルネサンス以前のイタリアとフランドルの芸術様式のみをその用語とし て示していた。しかし、1934年にウェブスター英語辞典でこの用語が取り上げられるようになると、この用語には自然への回帰という意味を込めて「未開生 活が優れていることへの信仰」と定義さるようになる。西洋世界の植民地主義時代(1500-1776年期)あるいはその後の帝国主義時代(1800- 1905年期)において、西洋世界からは軍人や植民者たちに伴い、武器を含むさまざまな物資が、非西洋の世界に届けられた。他方、荷を下ろした貿易船は、 今度は西洋への帰還に際して、さまざまな原料物資に積み込んだと共に、伝統的工芸品や民族がつくった彫像や仮面なども積み込んだ。それゆえ、世界の民族の 伝統工芸品や仮面などが大量に西洋世界にもたらされるようになった。エキゾチックな工芸品などの文物は、それまで東方のアジアや中近東から運ばれてきてオ リエンタリズムという趣味——つまりそこに美的な判断をもたらすもの——を西洋人たちに形づくった。オリエンタリズムのうち日本の浮世絵や美術工芸品への 趣味はジャポニズムと呼ばれた。
プリミティヴィズムはそれらのオリエンタリズムとは画して、それ以外の非西洋地域とりわけ中南米やアフリカのものが多く、また、オリエンタリズ ムに馴染んでいたコレクターや観賞家の度肝をぬくような斬新のデザインのものが数多くあった。それらのコレクションは、武力侵攻によって西洋人たちに略奪 されたり、二束三文で購入されたりしたものだった。日本では当時の、明治期の神仏分離と排仏毀釈によって神仏習合の工芸品が廃棄されたりがそれらの作品は 西洋に流れた。そして同じことが第二次大戦の敗戦によっても大量の美術工芸品がアメリカに流れた。いずれにせよ、西洋人の間で、そのような民族芸術の工芸 品が好まれ商取引されるようになりプリミティヴィズムという嗜好を形成していった。
しかしプリミティヴィズムのインパクトをもっとも大きくうけたのはキュビズムという芸術運動に取り掛かっていたパブロ・ピカソやジョルジュ・ブ ラックの前衛芸術家たちである。キュビズムの美術史上における最大の貢献は、それまでの具象画がひとつの視点(パースペクティヴ)しかもっていなかった ——言い方を代えるとレンズと眼の類似点にもとづく写真のような写実的な絵画様式——を完全に破壊し、ひとつの平面の中に複数の角度からの視点のものを込 めるという大革新をおこなったことにある。その代表作が、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』(Les demoiselles d’Avignon)であり彼は1907年に仕上げた(写真3.)。バルセロナのアヴィニョン通りにある娼館の5人の裸の売春婦たちを描いた作品である が、彼女たちの身体と背景は大胆な構図をもちデフォルメ(変形)されている。また女たちの顔は漫画のように単純化されているが、それらの顔は、明らかに黒 く歪んで変形している。それもそのはずである。ピカソやその友人たちがコレクションしていたアフリカのいくつかの仮面や彫像作品からその形がとられたもの なのだ(写真4.)。
キュビズムの作品は、当初、驚きと失望をもって芸術界にもたらされたが、この技法がもつ伝統的な絵画技法をから脱却し自由に作者のイマジネー ションを込めた可能性に人々が気付くのにそれほど時間がかからなくなった。マスメディアがキュビズムをめぐる論争を紹介したからである。またキュビズムの 芸術的価値に「投資」するブローカーたちも、キュビズムの流行の援軍になった。つまり作品の中にある種の芸術の解放と創作のためのエネルギーが感じ取られ るように大衆の解釈が誘導され、また多くの芸術家がその手法を真似て作品を製作するようになった。また、それらの芸術作品も次第に市場価値をもつようにな り、その作品の求め手の要求によって、キュビズムという芸術ジャンルも洗練し確立していったのである。つまり、キュビズム派は、20世紀初頭の西洋芸術に とっての「革命」の担い手になったのである。
キュビズムという文化的様式の誕生は、なぜ文化人類学者にとっても、そして芸術を対象とする人類学的研究(=芸術人類学)にとっても重要なの か? それは、従来の芸術創造の概念が「自然」の形相の模倣ないしはシンボルとして捉えられてきたことに対して、「自然」を映し出すというための芸術の目 的の根本的放棄を意味したからである。ここでいう「自然」とはプラトンのイデア論のように抽象化された実体のことをさし、真理や事物の本性と同義であっ た。芸術というジャンルでは、人間が持ち得るあらゆる可能性を試するのなら、実際のところ何を表現してもいいし、何のために表現するのかという目的意識な どを必要としなくても、人間は「自然」なるものを探究することを通して自由になれることを示したからである。他方で、キュビズムは、芸術の創作性を人間自 身に取り戻したとも言える。
*20世紀を表現する「芸術」は、キュビズム、ダダイズム、シュルレアリズム、抽象表現主義、ポップ・アート、ミニマリズム、コンセプチュ
アリズム、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト=YBA (Young
British Artists)などがある(→「芸
術は社会の変容を予言する」)。
What
a Blow That Phantom Gave Me! by Edmund Carpenter
人間の文化的行為としての芸術作品の創造。そのことについて僕たちは未ださまざまな解釈の仮説でしか説明することができない。芸術的創造も人間
の文化であると主張する芸術人類学は、西洋にのみ形容詞のつかない〈芸術〉の本質があるという伝統的な芸術学や美学に対して、〈芸術〉は歴史や地理的広が
りを超越して、さまざまな様態があるのだということを主張する。そして人間——時には象や猿の「画伯」に登場してもらう——が表現し得るあらゆる美的行為
の本源について探ろうとする。そのような芸術の本質的起源は、人間が美的人間(Homo
esthetics)であることを獲得してきた人類進化学の知見(e.g. 渡辺
2016;本書の各章)を導入することにより、〈美的なるもの〉の意味の広がりが、これまで僕たちが想定してきた以上の多様で広範囲にわたることも今後は
証明されていくであろう。
最後の最後に唐突だが、冒頭で触れたチョコ・スプレー・ドーナツのことを思い出してほしい。あの写真(写真1.)のドーナツは本物なのだが、 チョコ・スプレーについている色とりどりのチョコチップの素材は、本物の写真ではない。食物のディスプレイを販売しているサイトから引用した人工物(プラ スチック)の写真なのだ。僕たちはその写真が「食べ物=チョコ」のはずだという固定観念があったから、そのように錯認して当たり前のように見過ごしてし まったのだ。ちょうど、モナリザもまた実在した——つまりかつては血の通った人間の女性としての——絶世の美人だと僕たちは信じ込んでいるように。もちろ ん実際にモデルがいたことを首肯してもなお、『モナリザ』はダ・ヴィンチの創作物であり、絵の具で描かれた平面画なのである。そのような定型化された思い 込みを、僕たちは「認知」と呼んでいる。芸術人類学の挑戦とは、そのような人間の認知構造に斬り込んでいくものでなければならないだろう。
結論である。
芸 術の定義 | す べての芸術は存在を作り出すこと、現実的でも非現実でも、作品を通して現存を生じせしめる問題に関わるのである(アリストテレス)。したがって、芸術とは 「作品や活動を通して、その存在意義や問題(課題)をもたらすもの全てのこと」 を言う(池田光穂)。 |
美
的経験(aesthetic experience)の定義 |
美 的経験とは、芸術が与える「その存在意義や問題(課題)をもたらすもの」 経験の総体をいう。この美的経験は、(1)この価値を生み出すための創作(creation)や再演=再現=リプリゼンショーン (representation)過程と、(2) それを鑑賞したり、五感などを用いて観照(contemplation)し、(3)言説活動を通して解釈し対話する(interpretation and dialogue)、という、5つの大きな活動に分類できる。5つの活動とは、creation、representation、 contemplation、interpretation、そして、dialogue、 である。 |
芸
術人類学の定義 |
芸
術人類学とは、美的経験を文化的・社会的に研究する学問のことをいう。 |
●
用語集(→ポータルサイト「芸術人類学入門」に同じものがあります)
芸 術の定義 | ・
すべての芸術は存在を作り出すこと、現実的でも非現実でも、作品を通して現存を生じせしめる問題に関わるのである(アリストテレス)。 ・したがって、芸術と は「作品や活動を通して、その存在意義や問題(課題)をもたらすもの全てのこと」 を言う(池田光穂)。 ・「芸術は世界を認識するというよりは、世界の補完物を、自立的な形を生産するので あって、この形は、固有の法則、個性的な生を提示しつつ、現存する形に付け加わるのである」(エーコ2002:55)(→『開かれた作品』「文化システムとしての芸術」) |
美
的経験(aesthetic experience)の定義 | ・美 的経験とは、芸術が与える「その存在意義や問題(課題)をも たらすもの」経験の総体をいう。この美的経験は、(1)この価値を生み出すための創作(creation)や再演= 再現=リプリゼンショーン (representation)過程と、(2) それを鑑賞したり、五感などを用いて観照(contemplation)し、(3)言説活動を通して解釈し対話する(interpretation and dialogue)、という、5つの大きな活動に分類できる。5つの活動とは、creation、representation、contemplation、interpretation、そして、dialogue、である。 |
芸
術人類学の定義 | ・芸
術人類学とは、美的経験を文化的・社会的に研究する学問のことをい
う。 |
バウムガルデンの美学 | ・バウムガルデンにとって、美とは知性 ではなく感性で感じるもの。したがって、それを対象とする美学とは、(知性を扱う)論理学が従来範疇としてこなかった下位認識能力である感性を扱う学すな わち、感性学である。 |
カントの判断力批判ノート | ・カント『判断力批判』は、バウムガルデンの美学概念(→美と
は知性ではなく感性で感じるもの)批判の書物である。カントはいう「美しいものの学問(=上掲の美学)は存在しない、美しいものについてはただ批判が存在するのみである」(§44,
V.304)。※この「批判」とは『判断力批判』第1部の「美感的判断力」のことである。 |
詩学(poetica) | ・ウンベルト・エーコによると詩学とは、束力をもった規則体系
(絶対的規範としてのアルス・ポエティカ)というよりも、芸術家がその都度設定する
作業プログラムとか、芸術家が明示的にあるいは暗黙のうちに理解している生成する作品の企図といったものである」(→『開かれた作品』)(→アリストテレス「詩学」) |
芸術作品の完成について、あるいは芸術のおわり | ・「芸術作品とはある作者によって生産されたものであり、この
作者は、
享受者となりうるものなら誰でも、作品それ自体を、すなわち作者によって構想された元の形を、感性と知性により、剌激として感取される諸効果の布置に対す
る応答の戯れを通して、再び理解することができるように、一連の伝達諸効果を組織するのである。このような意味で、作者は、その形が生産されたままの仕方
で理解され享受されることを望み、それ自体完結した形を生産する」(エーコ 2002:37)。 |
〈開かれた〉作品の詩学 | ・アンリ・「プスールが言うように解釈者の中に意識的自由行為 を助長させ、 彼を無尽蔵の関係からなる網目の能動的中心として措定しようとする。解釈者は、この関係の ただ中で自分自身の形を創設するのであって、享受する作品の確定した組織様態を彼に命ずる 必然性により、決定されるのではない。しかしながら、その概略を示した〈開かれ〉という用 語のより広い意味内容に依拠する場合に、異論として予想されるのは、少なくとも、どのよう な芸術作品であれ、解釈者がそれを、作者自身と適合した行為において再創造しないならば、 真に理解することはできないのであるから、芸術作品は、たとえ実質的に未完成なまま託され ることはないとしても、自由で創意ある応答を要求する、ということである」(エーコ 2002:38-39)。 |
ヴァーチャルレクチャー | 芸術人類学 講義(YouTube映像集成) |
ヘーゲルの歴史の終わり、アーサー・ダントーの芸術の終わり論 | ・「ダントーは、誰もアートを作らなくなったとか、良いアー
トが作られなくなったとか言っているわけではない。しかし彼は、ヘーゲルが示唆したような方法で、西洋美術のある歴史が終焉を迎えたと考えている」
[15]
「芸術の終焉」とは、芸術がもはや模倣理論の制約に従わず、新しい目的を果たす現代の芸術の時代の始まりを指している。芸術は「模倣の時代から始まり、イ
デオロギーの時代、そして資格さえあれば何でもありの我々のポスト歴史的時代へと続く...」。私たちの物語では、最初はミメーシス(模倣)だけが芸術で
あり、次にいくつかのものが芸術であったが、それぞれが競争相手を消滅させようとし、そして最後に、様式や哲学的な制約がないことが明らかになったのであ
る。芸術作品がそうでなければならない特別な方法はないのだ。そして、それが現在であり、マスターシナリオの最後の瞬間であると言うべきだろう。(つま
り)物語の終わりなのである」(→「アーサー・ダントーの芸術システム」) |
リ ンク
文 献
関
連情報
そ の他の情報
写真1. チョコスプレー・ドーナツ (左)とチョコ・チップ(→「文化人類学とその認識論的ツール」 「看護人類学から人類学的看護へ!講義」)350px | |
図1.美的コミュニケーションモデル 写真2.写真2.ヴィレンドルフのヴィーナス像:Venus of Willendorf, Essay by Dr. Bryan Zygmont. https://www.khanacademy.org/humanities/prehistoric-art/paleolithic-art/a/venus-of-willendorf おっぱい木(ぼく)——東京都門前仲町(2022年) |
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写真3.カデュヴェオ族の女性の顔面装 飾(出典は『悲しき熱帯I』より) | |
図2.カデュヴェオ族が描いた顔面装飾 のデザイン・スケッチ(図像は複雑な対称構造である)(出典は『悲しき熱帯I』より) | |
写真4.パブロ・ピカソ作「アヴィニョ
ンの娘たち」(1907)Wikicommons より 「アヴィニョンの娘たちは、明治40年1907年(未年)生まれなので、今年満114歳になるそうです。長命のおばあちゃんたちに乾杯」(2021 年6月垂水源之介) 右のふたりの顔面は「未開」社会の仮面と酷似しているので、ウィリアム・ルービンらは、プリミティビズムにおける部族的なアイディアが近代的なるものに流 用(=盗用)されるプロセスとして解釈して論集を出しています。 |
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写真5.ウィリアム・ルービン編『20世紀美術におけるプリミティヴィズム (I)』淡交社,1995年の表紙(部分)より:(左)パブロ・ピカ ソ「鏡の前の少女」(部分)1932年。(右)クワクワカワク族の仮面(カナダ・ブリティッシュコロンビア州の部族),ベルリン民俗芸術博物館蔵。 |
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Dennis
Hopper's Warhol print sells for $302,500,
BBC 12 January
2011.「2011年1月11日、クリスティーズで競売にかけられたデニス・ホッパーが銃弾を2発を撃ち込んで穴を開けた毛沢東の肖像画が30万
2500ドルで落札された。壁に掛かっていた肖像画が、毛沢東によく似ていることをデニス・ホッパーが気味悪がり、銃で撃ってしまったといわれている。後
日、デニス・ホッパーが製作者のアンディ・ウォーホルにこの絵を見せ、2人の共同制作となったことで知られる」アンディ・ウォーホル) |
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Andy Warhol Janet Sartin synthetic polymer paint and silkscreen ink on canvas 101.7 x 101.9 cm (40 x 40 1/8 in.) Executed in 1982 |
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高校生向けレポートの書き方講座(左のおっちゃんは「かねてつフーズ」右は空海さんです「高野
山真言宗」がオリジナルツールになります) |
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By David Diaz
Martinez? from the FaceBook, "Banksy" fun site |
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Gioconda_chapina.png |
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ト
イレの落書きもある一定の強度をこえると 《Jackson Pollock》になります;Bathroom graffiti has
evolved as a fine art in case of over-intensity |
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Dettaglio dalla "Vergine con
Bambino" di Joos van Cleve (o Joost van Beke) (Olanda 1485 - 1540).
Olio su tavola, 71 x 53 cm, 1525. Metropolitan Museum of Art, New Yor |
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パーキンソンと古事記と太郎と「私」について |
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ベンヤミン「ニコライ・レスコフの作品についての考察」について |
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Friederike Maria Beer, 1916 by
Gustav Klimt, at the Tel Aviv Museum of Arts |
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Kaliman, Director of the Center
for the Study of Co* Design, combate contra coronavirus!!! |
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1655
レンブラント『屠殺された牛』と、The mutilated corpses of Johan and Cornelis de Witt,
hung on the stake on the Groene Zoodje in The Hague, 20 August 1682. |
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Paul Klee,
1879-1940。ヴァルター・ベンヤミン、パウル・クレーの「新しい天使」を入手。「翻訳者の使命」 |
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Theatrical masks of Tragedy and
Comedy. Mosaic, Roman mosaic, 2nd century AD Collected from https://en.wikipedia.org/wiki/Mask |
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こ
の印象的な挿画は版画家の山福朱実さんによるものだ。じつは依頼の縁
起もラテンアメリカ関連づくしだった。こういうことである。日本の「追われゆく坑夫たち」(1960)を中南米にまで追いかけてルポルタージュした出色の
上野英信『出ニッポン記』(1977)やコレヒオ・デ・メヒコで教鞭をとった経験を元に書かれた鶴見俊輔『グアダルーペの聖母』の装丁を手がけた編集者の
田村義也に頼みたいが彼は2003年に物故していると私が何気にSNSに呟いたところ、畏友の小林致広さんが、朱実さんの版画がそのイメージにピッタリだ
よと返事してくれた。装丁作品を調べると石牟礼道子『水はみどろの宮』の装画を手がけるほか絵本『ヤマネコ毛布』などの作品も出されている。そこで編集部
を経由してお願いすると引き受けてくださるとの返事。マヤ先住民のイメージがわからないということで、本書に使われた写真と初稿ゲラを送ると同時に、朱実
さんのほうでもインターネットで情報収集をしてくださり、満を持してやってきたのが本書の装画である。後でわかったのだが、朱実さんの亡父康政さんは北九
州で裏山書房という小さな書肆を経営されていて、康政さん存命中に手作りの版画を装画した上野英信の晩年の著作『ひとくわぼり』を刊行していたのだ!!
本書の表紙に戻ろう。トウモロコシ畑に佇む先住民の背景にはフクロウと農民らしい人影が…、空には太陽と月がある。落掌した瞬間に「これだね!!」と大阪
大学出版会編集者の栗原さんとお互いに相槌を打ったものだった。本当に、恐る恐るお願いした甲斐があった。この書物は、内容においても、装画においても、
すでに物故した人を含め、長く複雑なコミュニケーションの連鎖の産物になったことに、不思議な奇遇と、ある種の宿命のようなものを感じた(→「池田光穂『暴力の政治民族誌』を舞台裏から読む」)。 |
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昭和18(1943)年1月民族研究所、設立(〜1945年9月)。日
本民族学会は、一 旦解散し、(財)民族学協会に改組される。『民族學研究』1月新1巻1号の創刊。1943
年11月から44年4月にかけて、民族研究所が主催した都合6回の連
続講義のべ42演者におよぶ「民族研究講座」が開催される[→国際常民文化研究叢書11: 「民族研究講座」講義録](→日本文化人類学史)。 |
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Dancing
plague of 1518 by Pieter Brueghel and The Dance of Death (1493) by
Michael Wolgemut, from the Nuremberg Chronicle of Hartmann Schedel |
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誰かの作品のパロディです。引用者(池田)が改変したのは、たぶん
"LOVE"の部分だと思います。 |
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古代ローマ遺跡(たぶんポンペイ)から出た床のモザイク |
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QRコード(二次元コード)ができる前に、このようなデザインでキャン
バスに油絵を書いていたら、著名な前衛芸術になっていたかも?!350px |
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自立した革命芸術のための宣言 |
ア
ンドレ・ブレトン&ディエゴ・リベラ「今日ほど文明が深刻な脅威にさらされたこ
とはないと言っても過言ではありません。バンダル人は、野蛮で比較的非力な道具を使って、ヨーロッパの一角で古代の文化を消し去った。しかし、今日、私た
ちは、歴史的な運命に結ばれた世界文明が、近代技術のあらゆる武器で武装した反動勢力の打撃を受けて動揺しているのを見ている。私たちは、決して間近に
迫った世界大戦のことだけを考えているのではありません。平和」の時代でさえ、芸術と科学の立場は絶対に耐えられないものになっている」 |
Definition of "art," by
Wikipedia |
Art
is a diverse range of (and products of) human activities involving
creative imagination to express technical proficiency, beauty,
emotional power, or conceptual ideas.
(芸術とは、技術的な熟練度、美しさ、感情的な力、または概念的なアイデアを表現するために創造的な想像力を伴う人間の活動の多様な範囲(およびその産
物)である) |
Nouveau petit Larousse illustré
: dictionnaire encyclopédique / publié sous la direction de Claude
Augé, Paris : Larousse. |
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1637.
Discours de la méthode (Discourse on the Method). An introduction to
the Essais, which include the Dioptrique, the Météores and the
Géométrie.(写真は明星大学図書館所蔵の初版本、著作権は明星大学にありますのでそちらにお問い合わせください(https:
//bit.ly/3tYOI2Q)) |
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歌川広重 名所江戸百景「水道橋駿河台」安政4年(1857) |
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Ethik und Ästhetik sind Eins, Ethics
and aesthetics are one and the same. 倫理学と美学はひとつである(『論理哲学論考』6.421). |
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こ
の写真の作品が「きもちわるい」とか「わかんない」というコメントを寄せていた市井の人がいた。それでいいのです。その蓼食う虫も好き好きを「容認」する
ポイントが、カント『判断力批判』第1部のテーマなんですね。「きもちわるい」人でも、そんな趣味の人がいることを、人は承認している。ここが美的判断の
多様性に道を開いているので、アーレントが、それこそが政治的判断だと喝破(ないしは異様解釈)するところなんです(→「ハンナ・アーレント の『カントの政治哲学講義』ノート」)。 |
その他の情報
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