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ケアの倫理

Ethics of Care, gender free

解説:池田光穂

ケアの倫理(ethics of care, care ethics)とは、ケアという実践活動の社会的属性(=社会的性格)が、ジェンダーにより不均等配分されているのではないかという議論から出発する、ケア する役割の政治に関する議論のことである。したがって、ケアの倫理は、ケアする人は(ジェンダーへの着目を抜きにして)ケアをする人の倫理や道徳はこうである、ああであるとい う議論ではない、ことに注意しなければならない。

そのなかで出発点となる重要な著作が、ギリガン、キャロル, 1986『もうひとつの声』生田久美子・並木美智子訳、東京:川島書店(Gilligan, Carol., 1983. In a Different Voice. Cambridge, Mass.: Harverd University Press.)である。

キャロル・ギリガンは、ローレンス・コールバーグのジレンマに対する態度のジェンダー差から、これまで「道徳的ジレンマに関する」発達心理的態 度は、男性の発達プロセスを標準にして考えられているために、ギリガンがいうところの「ケアの倫理」とは、より劣った社会的に未熟な態度であるとみなされ る傾向があったと指摘する。コールバーグのジレンマとは次のようなものである。

コールバーグは、道徳性の発達の基準は、以下のようなプロセスを経るという。まず自己中心主義(例:妻を見殺しにすると社会的制裁をうけるので 盗むべきだ/盗むと警察に捕まってしまうので盗むべきではない)。つぎに社会的視点の 獲得(例:妻は薬を必要としているから盗みは正当化される/薬を盗ま ずに妻が死んでもお金が集まらなかったことは非難されるべきじゃない、従って、盗むという手段に訴える必要はない)。そして原理的な考察にいたるような視 点に至る(例:薬を盗むことと「生命(一般)を救うこと」は直結しているので、命を救うためには盗みはやむ終えない/ものを盗むことは一般的に反道徳的な 行為なので盗んではならない)。

コールバーグの結論は、最終的に女性は自分の行動を正当化できないが、男性は行動の理由を説明できると結論づけているのである。これは、ジャ ン・ピアジェの、女性は抽象的思考ができず、道徳の完成という規範化には至らないという断定と類似のような判断であると言える(ブルジェール 2014:28)。

ギリガンは、このような道徳性の発達性が男性(男の子)を中心的モデルにしているために、ジレンマに直面した女性(女の子)の意見、すなわち, モデル形成から抜け落ちた「もうひとつの声(原題:a Different Voice)」に耳を傾け、そこから導きだせる、ジェンダーと結びついた(あるいはそのように訓育される)倫理観を「ケアの倫理」という形で定式化した。

ギリガンの被験者である、ジャックという男の子は、刑務所に入ってもハインツは奥さんを救うために薬を盗むべきだと答える。他方、エイミーとい う女の子は、盗むべきか/断念すべきかという問いの立て方に対して、薬剤師に話して緊急の事態であり、説得すべきだという問いが前提にする判断とは別のア プローチを考案する(端的に言えば、それこそが関係性の倫理すなわち「ケアの倫理」だということができる)。ギリガンは、コールバーグの論理だと、エイ ミーの判断は「社会的視点」から「原理的な考察」に至る段階で止まっているとするところが(コールバーグ自身の) 問題だとするのである。

ケアの倫理は、正義の倫理とは対極的な位置にある。正義の倫理とは、裁判のようにさまざまな行動のタイプと、それに対する正当性を検討し、行動 とその行動に価値付けれたものに優先順位をつけるべきだと考えるものである。

したがって、ケアの倫理学とは、「ケアという実践活動の社 会的属性(=社会的性格)が、ジェンダーにより不均等配分されているのではないかという議論の学問」のことである。

それに対して、ケアの倫理は、ジレンマにある複数の人たちの責任とそれらの関連性(ネットワーク)に着目し、状況(文脈)を踏まえたナラティブ な(contextual and narrative)思考様式で説明するものである。

この倫理は、ギリガンは女性(女の子)からの資料収集からモデル化されたが、ジェンダー区分に必ず帰着するわけではなく、男性(男の子)もまた ケアの倫理を共有している――この意義を取り違えるとギリガンはセクシストと誤った理解を誘導することになる。そのため、正義の倫理とケアの倫理は、もち ろん共存可能だとギリガンは主張する(cf. 川本 2005:2-3)(→より詳しくは「ケア倫理の人類学」へ)。

だ が、ケアの倫理を中性化して男性にも分有できるようになると考えるのは早計である。社会(近代西洋社会)は、ジャックとエイミーにそれぞれ、そのように振 る舞うように社会化してきた可能性がある。そして、普遍的・合理的と思われるようなジャックの倫理的判断を、エイミーのような他者の幸福や相互扶助を導き だすような倫理よりも、より高度な位置に置いて、〈男性に都合のよい女性の道徳的行動を強いる支配〉を貫徹してきたのではないかという、これまでのジェン ダーの政治に関する歴史への反省を促してると、ギリガンの主張を受け止めることは重要である。これは「フェ ミニスト」アプローチへの第一歩である。

「フェミニストであることは、聞かれなかった声を聞こえるようにする必要から始まる」――ファビエンヌ・ブルジェール(1913)Fabienne Brugère (1964- ).

Carol Gilligan on 'In A Different Voice'(2分14秒)


Carol Gilligan on Women and Moral Development(6分30秒)


■In a Different Voiceの章立て

ギ リガンは、また、女性の中絶の問題を分析して、彼女達がおかれた困難な状況のなかでどのようにして「他者への責任」をやりとげるのが、配慮としてのケアの 実現について考察する(ブルジェール 2014:32/Gilligan 1983:112-115[2008年の仏訳のページの可能性])。

ギリガンにとって「異なる/もうひとつの声」とは、これまで押し殺されてきた女性の声である。「フェミニストであることは、聞かれなかった声を 聞こえるようにする必要から始まる」という(ブルジェール 2014:28)ということは、このような実践のことを差している。

■クレジット:池田光穂「ケアの倫理」「ケアの倫理学」(これは「医療人類学辞典」) の項目のひとつでもある。

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