かならずよんで ね!

宗教と音楽性

Liturgy and it's Sound


The Sufi Whirling Dervishes - Istanbul, Turkey/Sufi Zikir, Sufi Dhikr ( Halvet-i Uşşaki )

池田光穂

★このページの目的は、宗 教的実践がなぜさまざまな音楽・音響表現と結びつくのか、に ついて考える ためにつくられた。比較宗教学者ならおわかりのように、創世宗教と呼ばれる大宗教のほかに、世界にはさまざまな民族宗教、民俗宗教、あるいは民衆宗教があ る。しかし、ある特定の宗教的実践は、どうもそれに固有の音楽表現と結びついているようで、ある宗教典礼を別の宗教の音楽(ないしは音響経験)と代替する ことができない。しかし、宗教を理解するためには、音楽や音響経験を理解する努力よりも、我々研究者は、その宗教の聖職者や信徒にさまざまなインタビュー をとおして「イデオロギーとしての宗教」をなんとか理解しようと試みるのが常である。そこが興 味深いことであり、これまで宗教学者は、「イデオロギーとしての宗教」 を専念して研究するばかりで、「音響経験としての宗教」の側面に切り込む研究 者は少なかったのではないだろうか?だから、このページでは「音響経験としての宗教」について、考察する。

カトリック教会における第二バチカン公会議(Concilium Vaticanum Secundum, 1962-1965)における「音楽」の位置付けの変更についての言及はこの行で(サイト内)リンクします

Liturgy is the customary public ritual of worship performed by a religious group. Liturgy can also be used to refer specifically to public worship by Christians. As a religious phenomenon, liturgy represents a communal response to and participation in the sacred through activities reflecting praise, thanksgiving, remembrance, supplication, or repentance. It forms a basis for establishing a relationship with God.

聖歌とは、宗教的声楽曲。一般にキリスト教の典礼音楽に適用さ れる傾向が強いが、プロテスタント教会の賛美歌と同義の場合や、「グレゴリオ聖歌」「シリア聖歌」などのように、チャントchantの訳として単旋律の典 礼音楽をさす場合などがある。また典礼音楽に限らず、キリスト教宗教音楽全般を漠然と意味したり、仏教音楽などのキリスト教以外の典礼音楽に用いられるこ ともある。[磯部二郎
典礼とは、宗教団体によって行われる慣習的な公的な礼拝の儀式のことで ある。また、特にキリスト教徒による公的な礼拝を指して使われることもある。宗教的な現象として、典礼は、賛美、感謝、回想、祈り、または悔い改めを反映 した活動を通じて、神聖なものに対する共同体の反応と参加をあらわす。神との関係を確立するための基礎となる。
典 礼聖歌(てんれいせいか)』とは、日本におけるカトリック教会のミサ等の諸典礼で、標準的に使用される日本語の聖歌集である。そのほとんどを、自 身もカトリック信徒である作曲家の髙田三郎が作曲し、日本独自の聖歌を作り上げるべくライフワークとして取り組んだ。

第二バチ カン公会議で示された典礼改革により、それまでラテン語で行わ れていたミサが国語化されることとなった。これを受けて日本のカトリック教会でも1960年代にミサの使用言語がラテン語から日本語に変えられ、当初は使 徒書朗読後に歌われていた昇階唱に代わる答唱詩編として公開された。

それ以前は、各司教区ごとに発行されていたグレゴリオ聖歌集を統合する 目的で刊行された『公教典礼聖歌集』、そしてその簡略版である『公教聖歌集』(のちに『カトリック聖歌集』と改称)が広く用いられていたが、1960年代 までになされたミサの国語化に伴い、昇階唱に代わる答唱詩編の整備が急務とされた。典礼改革により、昇階唱では詩編の1節のみだったのに対し、答唱詩編で は複数節にまたがって歌われるようになった。答唱詩編は『典礼用詩編書』からとられた詩編の数節にリフレインを交えて歌う独自の形式を取っている。

『答唱詩編集』は分冊で発刊されたが、最終的には『典礼聖歌』として一 冊の本になった。現在ではミサ曲、教会の祈り(新しい聖務日課)、季節の讃歌、一般讃歌、アレルヤ唱、(四旬節)詠唱も収録され、日本語ミサ聖祭の全てを フォローするものになっている。典礼聖歌では、ラテン語歌詞はすべて排除されているが、聖金曜日の典礼用に一部ギリシャ語を含む聖歌がある。


●ミサ賛歌「やまとのささげうた」(1962年 - 1963年)
第二バチカン公会議を受けて日本で聖歌の改訂が始まったとき、エリザベト音楽大学のゴーゼンス神父の「日本的な旋律によるミサ曲を」という提案を受けて作 曲された。旋律はさまざまな経文をモチーフに作られており、あわれみの賛歌は「香偈」「来迎和讃」、栄光の賛歌は「詠歌」、信仰宣言は「引声阿弥陀経」、 感謝の賛歌は「三宝和讃」、平和の賛歌は特にどれというのはないが同じ源から出ている。
カトリック聖歌集と典礼聖歌集の両方に収録されている。後から出版された典礼聖歌集では「父」に相当する部分の旋律が標準語のアクセントに近くなるよう改 訂された。

●ミサ賛歌I(1969年、信仰宣言1970年、栄光の賛歌1975 年)
会衆が誰でも参加できるミサ曲を日本語で作ろうという意図に基づいて作曲された。日本の伝統音楽の旋法とグレゴリオ聖歌の教会旋法を融合して作曲された、 自由リズムによるミサ曲である。

●歌ミサの式次第
「ミサ賛歌I」と同じ考えで作曲されており、対話句などがすべて歌えるようになっている。

●父は、いる」「イエズス・キリストへ」「呼ばれています」
最初の三部作。作詞は高野喜久雄。

●「神はキリストのうちに」「おお神の富」「愛の賛歌」「神の前に貧し い人は」「来なさい重荷を負うもの」
聖書賛歌として作曲されたもの

●「行け地の果てまで」「ひとつになろう」「キリストのように父を仰 ぎ」「神は愛」「すべてのものの中に」「週の初め(礼拝からの派遣)」「救いの道を(教会はひとつ)」「聖なる時・聖なる所」「友よ聞こう」
礼拝集会とキリスト者の生活のために作曲されたもの

●「ちいさなひとびとの」「キリストのように考え」「仕えられるためで はなく」「わたしは門のそとに立ち」
説教を聞いて作曲したもの

●「羊かいがいて」「主は与え」「アッシジの聖フランシスコによる平和 の祈り」
髙田自身が作詞・作曲を行った聖歌。

●「ダビドの子」「十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム)」「とがめの 交唱(インプロペリウム)」「ハギオス・ホ・テオス」「十字架賛歌(クルクス・フィデーリス)」など。
聖週間の典礼用。
受難の主日 (枝の主日): ダビドの子 (feat. 田尻健)

●「復活賛歌」(1972年)
復活徹夜祭で歌われる。
復活の主日 復活の聖なる徹夜祭: 復活賛歌 (feat. 田尻健)

●「復活の続唱」(1971年)
復活の主日と復活の八日間に歌われる続唱。

●「聖霊の続唱」(1971年)
聖霊降臨の主日に歌われる続唱。


●詩編の歌「神の名は」「神よあなたのことばは」など100曲以上。
3年周期になっている主日ミサの答唱詩編で歌われる詩編の歌は、すべて髙田の手によるものである。グレゴリオ聖歌の詩編唱を基盤として、ソレム方式による 2・3拍の自由リズムで作られたが、完成したものは髙田独自のものであり、他の典礼聖歌の作曲者にも多大な影響を与えている。

●各季節のアレルヤ唱・詠唱、多数あり。すべての主日・週日ミサに必要 なものが揃っている。


●教会の祈り「初めの祈り」「賛美の賛歌」(テ・デウム)など。
かつて聖務日課と呼ばれたもの。教会の祈りで唱えられるすべてのことばや詩編の旋律を作曲している。

●福音の歌「わたしは神をあがめ」「神をほめたたえよ」など。

●「主の祈り」
文語版・口語版がある。

●聖母賛歌
「しあわせなかたマリア」(アヴェ・マリア)
「救い主を育てた母」(アルマ・レデンプトリス・マーテル)
「天の元后、天の女王」(アヴェ・レジーナ・チェロールム)
「元后あわれみの母」(サルヴェ・レジナ)
「天の元后、喜びたまえ」(レジーナ・チェリ)
「母は立つ」(スターバト・マーテル)

カトリック典礼聖歌集308番 きかせてください
作詞 森 一弘
作曲 新垣壬敏

歌 西川 葉・野村友佳・髙山教子・橋岡尚美
  清水真理子・三浦優子・松井公子
オルガン 堀 香織
2022年11月29日 六甲カトリック教会

新垣壬敏(あらがき・つぐとし)1938年フィリピン・パナイ島イロイロ市生まれ。沖縄県うるま市出身。1968年国立音楽大学作曲卒業。尚美学園講師、 お茶の水女子大学講師、白百合女子大学教授、東京カトリック神学院講師、東京純心女子大学特任教授を歴任。これまでの芸術文化活動への功績が認められ、沖 縄タイムス新聞社より2013年度(第48回)「沖縄タイムス芸術選奨洋楽・邦楽部門(作曲)功労賞」を受賞。『言葉と音楽:朗読は音楽のはじまり』 (2005)『賛美のいけにえ:音楽のかたちと信仰』(2010)『神詠短歌:みそひと文字の頌』(2019)

【前史】Concilium Vaticanum Secundum
 1962年から1965年にかけて開催された、第二バチカン公会議で発布された 『典礼憲章』によって「典礼の国語 化」が開かれるまで、カトリック教会の典礼のことばは、一部の例外を除いて、原則、すべてラテン語で行われていま した。それは、カトリック教会がヨーロッパだけのものであった時代には、ほとんどの国のことばが何らかの形でラテン 語を古典語としており、言語の統一で、思想や文化もひとつに結ぶという意味では有効でした。しかし、教会が、ヨー ロッパ以外の地域、アフリカ・東南アジア・極東・中南米などへ宣教するようになると、文化・習慣の違いから、どうし ても今までの環境では対応できなくなってきていることを感じた、時の教皇ヨハネ23世は、教会の風通しをよくし、 aggiornamento=現代化、すなわち、現代の状況に適応した宣教ができるように教会を刷新しようと考え、この公会 議を開催されたのです。  ここで、大きく刷新されたものが、典礼=教会の公の礼拝・祈りでした。先に書いたように、それまで、原則、すべて ラテン語であったものが、各国語で行えるようになった(『典礼憲章』36§2)のです。加えて、それまでの教会の考 え方は、キリスト教化=ヨーロッパ化ないしはローマ化であり、音楽・美術・動作など、すべてがローマ式でしたが、こ の刷新によって、福音に反するものでない限り、典礼の精神にふさわしいものは典礼の中に取り入れることをも宣言 したのです(『典礼憲章』37および『現代世界憲章』58参照)。  しかし、それ以上に第二バチカン公会議が『典礼憲章』で求めたものは、典礼における全信者の「行動参加」でした (同憲章11、19、30など)。それまでの典礼は、司祭がささげ、信徒はそれに消極的に与る、眺めるものと思われ ていました。ですが、本来、典礼は「わたしたち-奉仕者と聖なる民-」(第一奉献文)、つまり、そこにいるすべて の人が神に賛美と感謝をささげるものだからです。典礼に国語化の道が開かれた根本は、この、全信者による「行動 参加」にあったことを忘れてはなりません。  このような、典礼の刷新を受けて、日本のカトリック教会も、典礼の国語化に着手しました。しかし、ヨーロッパはそ れまで100年以上、その準備としての司牧典礼運動があり、刷新の精神が十分に行き渡っていましたが、日本の 教会は、公会議の開催さえ寝耳に水だったことから、さまざまな困難がありました。それにもかかわらず、当時の司 教団は勇気を持ってこの問題に取り組み、現在の下地を作ってくださったのです。
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/omasico/21001/
以下、【成立に向けて】
【典礼文の作成と『典礼聖歌』分冊の刊行』】
【名称について】
「それまでのカトリック教会の聖歌集には『公教会典禮聖歌集』(会は旧字体)、『公教聖歌集』、『カトリック聖歌集』など、必ず「カトリック」を現すこと ばが入っていたのですが、『典礼聖歌』には入れられていません。これはなぜなのでしょうか。実は、「カトリック」ということばが、特定の教会を指す固有名 詞として用いられるようになったのは宗教改革以後で、プロテスタント教会に対抗する意味で、それまで、「信仰宣言」で「普遍の」という意味で用いられてい た「カトリック」(ギリシャ語の「カトリケー」)を固有名詞として用いるようになりました。しかし、第二バチカン公会議では、『エキュメニズムに関する教 令』も出されたように、「教会は本来ひとつであり、思想、文化の相違から分かれたキリストの教会をひとつにしよう」という「教会一致(エキュメニズム)」 運動が始まり、現在でも、さまざまな努力が続けられています」。
【将来に向けての現在の努力】
【合本による変更】
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/omasico/21001/
【第二バチカン公会議における典礼と音楽】
(1962年)3月30日、アガジアニアン枢機卿は、宣教国のために自国語のミサ を提案した。ルフェーブル大司教は「典礼と典礼様式に関して、司教評議会が法規を制定することができるという原則が受け入れられると、それがたとえ教皇の 承認をもって初めて許可されるとしても、民族的典礼と国民典礼様式とに回帰してしまい、典礼の一致のための過去の2世紀のすべての努力が無駄になってしま い、芸術とグレゴリオ音楽は没落、無秩序状態になる危険がある」と指摘した[18]。」
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「この公会議の後、外見的な部分で教会が変わったと人々を実感させたのは典礼の改革であった。この精神は『典礼憲章』にくわしい。教会は典礼においてすべ ての人が積極的にこれにかかわることが求められるとして、多くの改革を実行した。たとえばそれまでほとんどラテン語で行われていたミサおよび典礼の諸儀式 が各国語で行われることになった。また司教の判断のもとに(全世界一様でなく)その地域文化に根ざした典礼のあり方が模索されることになった。(典礼の見 直しにともなって、レクイエム・ミサにおける続唱(「怒りの日」など)も廃止された。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎてお り、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由であった。)」

髙 田 三郎(たかた さぶろう、1913年(大正2年)12月18日 - 2000年(平成12年)10月22日)は、日本の作曲家、指揮者。合唱曲を中心に作曲を行ったほか、自作を中心に指揮者としても活躍した。日本のカト リック教会で歌われる典礼聖歌を作曲したことでも知られる[1]。

愛知県名古屋市に生まれる。愛知県第一中学校(現:愛知県立旭丘高等学校)を経て、武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)師範科で呉泰次郎に和声法を師事 する[2]。次いで東京音楽学校(現:東京藝術大学)の本科作曲部を1939年に卒業し、さらに同校研究科作曲部、同校聴講科指揮部で学んだ。この間に信 時潔、クラウス・プリングスハイム、ヘルムート・フェルマー、マンフレート・グルリットらに作曲を、福井直俊にピアノを師事する[2]。この頃の作品とし て、管弦楽曲『山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ』(1941年。後、『山形民謡によるバラード』と改題)や、歌曲『風のうたった歌』(1942 年)がある。この2曲はほどなくして出版され、今日までしばしば再演される作品となった。また、副科でホルンを習得し、1940年の紀元二千六百年奉祝管 弦楽団にはホルン奏者として加わっている。

1948年に平尾貴四男、安部幸明、貴島清彦とともに作曲団体「地人会」を結成する。西洋および日本の音楽の伝統を尊重しつつも、安易に「輸出用音楽や虚 偽の民族性」(髙田三郎「地人会はどう進んできたか」『音楽芸術』1953年4月号による。ここでは外国人受けや、民族主義の高揚を軽々しく狙った作品を 指すのだろう)によりかからない態度を表明した。この会の活動は1955年まで続き、高田はここで『ヴァイオリンとピアノのための奏鳴曲』や『チェロとピ アノのための小奏鳴曲』などを発表する。同年(1955年)、詩人と作曲家、声楽家による団体「蜂の会」の結成に参加した。ここで初演されたものに男声合 唱組曲『海』などがある。この頃を境に声楽、特に合唱作品へ力を注ぐようになった。

NHKから芸術祭のために合唱曲を委嘱されたことを機に詩人高野喜久雄と出会った彼は、その委嘱作品『わたしの願い』(1961年)を皮切りに、合唱組曲 『水のいのち』(1964年)、『ひたすらな道』(1976年 - 1967年)、『内なる遠さ』(1978年)、『確かなものを』(1987年)、歌曲集『ひとりの対話』(1965年 - 1971年)を作曲した。とりわけ『水のいのち』は、混声版、女声版、男声版合わせて200刷を突破するほどに多くの人に歌われ、今日に至るまで日本にお ける合唱楽譜の売上の上位にありつづけている。

一方、指揮では戦後しばらくまで放送などで活動していたものの、やがて自作のみに限定し、録音や合唱団の客演指揮で活躍した。厳しい指導で知られていた が、その演奏に対しては「日本の合唱曲の演奏はすべて自分が一番よい」とする木下保が、「髙田三郎の曲だけは、彼が自分でやった方がいい」と述べたという エピソードがある。髙田の指導を受けた合唱指揮者は数多く、さまざまなかたちで彼の作品演奏に尽力した。1993年から彼の作品個展演奏会「リヒト・クラ イス」の主宰にあたっている鈴木茂明、男声合唱版のない合唱曲について、それへの編曲を行った須賀敬一や今井邦男、「髙田三郎合唱作品全集」をスタートさ せた辻正行などが挙げられる。これら弟子によってアレンジされた男声合唱版は、指導にもあたっていた東海メールクワィアーの男声合唱版制作シリーズによっ て開花し、2006年10月8日に大分IICHIKO芸術文化センターで行われた第17回日本男声合唱協会演奏会にて『心の四季』が320人により演奏さ れた。指揮は須賀敬一。

最晩年まで作曲、指揮活動を続け、室内楽曲『五つの民族旋律』(1977年)の管弦楽編曲の完成を前に死去し、トーマス・マイヤー=フィービッヒが残りを 完成させた。遺作は『神のみわざがこの人に』である。

幼少から近所のプロテスタント教会に通う。1953年、40歳のときに洗礼を受け、カトリックの信徒となる。霊名ヨゼフ・ダヴィド。

第2バチカン公会議(1962年 - 1965年)で成立した典礼憲章 (Sacrosanctum Concilium) に基づき、それまでラテン語で行われていたミサが各国語で行われることになった。それに伴い、日本カトリック司教団からの依頼で典礼聖歌作曲に着手した。 グレゴリオ聖歌や日本古来の旋律など種々の技法研究を踏まえて、「ミサは全部神のことばで出来ている。だから間違った解釈で作曲してはならない」と、自身 の信仰を問いながら、晩年に至るまで220曲あまりの典礼聖歌を作曲した

1992年には「典礼聖歌の作曲を通して日本の風土への典礼の浸透に尽力した」として、バチカンより聖シルベストロ教皇騎士団勲章を授与された。1997 年には日本エキュメニカル協会から「エキュメニカル功労者賞」を受賞している。

https://bit.ly/3GA0sjD
高 田三郎のあゆみ:没後10年を記念して(南山大学図書館カトリック文庫通信 No.25, 2010.)pdf

カ トリック文庫 髙田三郎コレクション(南山大学ライネルス中央図書館)

高田三郎 典礼聖歌自筆譜(デジタルライブラリー 特殊コレクション, 南山大学ライネルス中央図書館)

南山大学ライネルス中央図書館(OPAC)※OPACのキー ワード検索で「高田三郎関連寄贈資料シリーズ」と入力することで、当該の寄贈資料を検索することができます。
Christian music is music that has been written to express either personal or a communal belief regarding Christian life and faith. Common themes of Christian music include praise, worship, penitence, and lament, and its forms vary widely around the world. Church music, hymnals, gospel and worship music are a part of Christian media, and also include contemporary Christian music which itself supports numerous Christian styles of music, including hip hop, rock, contemporary worship, and urban contemporary gospel.

Like other forms of music the creation, performance, significance, and even the definition of Christian music varies according to culture and social context. Christian music is composed and performed for many purposes, ranging from aesthetic pleasure, religious or ceremonial purposes, or with a positive message as an entertainment product for the marketplace.
キリスト教音楽とは、キリスト教の生活や信仰に関する個人的または共同 的な信念を表現するために作られた音楽である。キリスト教音楽に共通するテーマは、賛美、礼拝、懺悔、哀悼などであり、その形態は世界各地で大きく異なっ ている。教会音楽、讃美歌、ゴスペル、礼拝音楽はキリスト教メディアの一部であり、また現代キリスト教音楽も含まれ、それ自体がヒップホップ、ロック、現 代礼拝、都市現代ゴスペルなど多くのキリスト教音楽のスタイルを支えている。

他の音楽形態と同様に、キリスト教音楽の創作、演奏、意義、そして定義さえも、文化や社会的文脈によって変化する。キリスト教音楽は、美的な楽しみ、宗教 的または儀式的な目的、あるいは市場向けの娯楽製品としての肯定的なメッセージなど、多くの目的で作曲・演奏されている。
Types of Christian music
1. Chants
2. Metrical Psalters
3. Hymns
4. Contemporary Christian music

A chant is the iterative speaking or singing of words or sounds, often primarily on one or two main pitches called reciting tones. Chants may range from a simple melody involving a limited set of notes to highly complex musical structures, often including a great deal of repetition of musical subphrases, such as Great Responsories and Offertories of Gregorian chant. Chant may be considered speech, music, or a heightened or stylized form of speech. In the later Middle Ages some religious chant evolved into song (forming one of the roots of later Western music).[5]

Mostly used in Anglican, Catholic, and Orthodox churches. Some examples of chants are:

Ambrosian chant
Anglican chant
Armenian chant
Celtic chant
Ethiopian chant
Galician chant
Gregorian chant
Kievan chant
Mozarabic chant
Old Roman chant
Syriac chant
聖歌(チャント)は、言葉や音を繰り返し話すこと、または歌うことであ り、多くの場合、復唱音と呼ばれる1つまたは2つの主要な音程を中心に行われる。聖歌は、限られた音符を使った単純なメロディから、非常に複雑な音楽構造 まであり、グレゴリオ聖歌の大レスポソリーやオッフェルトリーのように、音楽のサブフレーズを大量に繰り返すこともよくあることである。聖歌は、音声、音 楽、または音声の高められた形、様式化された形とみなされることがある。中世後期には、宗教的な聖歌が歌に発展したものもある(後の西洋音楽のルーツの1 つとなる)[5]。

主に聖公会、カトリック教会、正教会で使われる。チャントの例をいくつか挙げる:

アンブロジアン・チャント
アングリカルチャント
アルメニアン・チャント
ケルティックチャント
エチオピア語チャント
ガリシア唱歌
グレゴリオ聖歌
キエフ・チャント
モツァラビックチャント
オールドローマチャント
シリアックチャント
Metrical Psalters
A metrical psalter is a kind of Bible translation: a book containing a metrical translation of all or part of the Book of Psalms in vernacular poetry, meant to be sung as hymns in a church. Some metrical psalters include melodies or even harmonisations. The composition of metrical psalters was a large enterprise of the Protestant Reformation, especially in its Calvinist manifestation.

Mostly used in reformed churches, and anabaptists. Some examples of psalters are:

Genevan Psalter
German Psalter "des Königlichen Propheten David"
Dutch Psalter
メートル詩篇
教会で賛美歌として歌われることを想定して、詩篇の全部または一部を現地語で詩的に翻訳したもの。詩編の中には、メロディーやハーモニーを含むものもあ る。詩編の作成は、プロテスタント宗教改革、特にカルヴァン派の大規模な事業であった。

主に改革派教会やアナバプティストで使われた。詩篇の例としては、以下のようなものがある:

ジュネーヴ詩篇(Genevan Psalter
ドイツ詩篇 "ダビデの預言者"
蘭詩篇
Hymns
A Reformation approach, the normative principle of worship, produced a burst of hymn writing and congregational singing. Martin Luther is notable not only as a reformer, but as the author of hymns including "Ein feste Burg ist unser Gott" ("A Mighty Fortress Is Our God"), "Gelobet seist du, Jesu Christ" ("Praise be to You, Jesus Christ"), and many others. Luther and his followers often used their hymns, or chorales, to teach tenets of the faith to worshipers. The first Protestant hymnal was published in Bohemia in 1532 by the Unitas Fratrum. Mostly used by Protestant churches, principally Lutheran, Methodist, and Hussite traditions, but in some areas also by Roman Catholic and Anabaptists. Some examples of famous hymnals are:

Ausbund, oldest Anabaptist hymnal
Baptist Hymnal
Evangelisches Kirchengesangbuch, the first hymnal in German speaking churches
Hymnbooks of the Church of Scotland
Jistebnice hymn book, Czech hymnal from around 1430
讃美歌
礼拝の規範となる宗教改革のアプローチは、賛美歌の作曲と会衆の歌唱を爆発的に増加させた。マルティン・ルターは、改革者としてだけでなく、"Ein feste Burg ist unser Gott" (「力ある要塞は我らの神」)、"Gelobet seist du, Jesu Christ" (「賛美せよ、イエス・キリスト」)などの賛美歌の作者としても知られている。ルターとその信奉者たちは、賛美歌(コラール)を使って、礼拝者に信仰の教 えを説くことも多かった。最初のプロテスタント賛美歌は、1532年にボヘミアのユニタス・フラトラムによって出版された。主にルター派、メソジスト派、 フス派などのプロテスタント教会で使われているが、一部の地域ではローマカトリックやアナバプティストでも使われている。有名な賛美歌集の例として、以下 のようなものがある:

Ausbund アナバプテスト最古の賛美歌集
バプテスト讃美歌
ドイツ語圏の教会で最初の讃美歌「Evangelisches Kirchengesangbuch」。
スコットランド教会讃美歌集
Jistebnice賛美歌集、1430年頃のチェコの賛美歌集。
Contemporary Christian music

From the latter half of the 20th century to the present day in Western Christendom—especially in the United States and in other countries with evangelical churches—various genres of music originally often related to pop rock, have been created under the label of Contemporary Christian Music ("CCM") for home-listening and concert use. It can be divided into several genres and subgenres, although the dividing lines and relationships between music genres are often subtle, sometimes open to individual interpretation, and occasionally controversial. These genres (sometimes referred to as "style") like other forms of music may be distinguished by the techniques, the styles, the context and the themes, or geographical origin. Specific subgenres of CCM may include (but are not limited to): Christian country music, Christian pop, Christian rock, Christian metal, Christian hardcore, Christian punk, Christian alternative rock, Christian R&B, Christian electronic dance music and Christian hip hop.

Called Christian pop or gospel in a generalized form, this is a relatively new musical movement and has now evolved into a large number of musical genres by region that comes in a Christian context. This movement appeared as a form of evangelization for the young but the genre is best known and seen in the Evangelical or Protestant proselytizing movements, often using rhythms similar to those in secular music.

CCM is not a musical genre like the other genres. When a song is identified as "Christian" it takes into account the lyrics and the songwriters and performers, rather than musical style. Therefore, one can say that CCM is diverse and there are Christian songs that are sung to the rhythm of salsa, reggae, rock, folk, hip-hop or rap, ballads, pop, country, singer-songwriters and even extreme music such as punk or heavy metal.

In the 1980s and 1990s, contemporary Christian music played a significant role in Evangelical Christian worship.[6][7] A great variety of musical styles has developed traditional praise.[8]

●Christian alternative rock - Mix


コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック

20世紀後半から現在に至るまで、欧米のキリスト教圏、特にアメリカや福音主義教会のある国々では、ポップ・ロックに近い様々なジャンルの音楽が、家庭で のリスニングやコンサート用に、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(以下、CCM)のラベルの下に作られている。CCMはいくつかのジャンル とサブジャンルに分けられるが、ジャンル間の境界線と関係はしばしば微妙であり、時には個人の解釈に委ねられ、時には論争になることもある。これらのジャ ンル(「スタイル」と呼ばれることもある)は、他の音楽形態と同様に、技法、スタイル、文脈やテーマ、または地理的な起源によって区別されることがある。 CCMの特定のサブジャンルには、以下のようなものがある(ただし、これらに限定されるものではない): クリスチャン・カントリー・ミュージック、クリスチャン・ポップ、クリスチャン・ロック、クリスチャン・メタル、クリスチャン・ハードコア、クリスチャ ン・パンク、クリスチャン・オルタナティブ・ロック、クリスチャンR&B、クリスチャン・エレクトロニック・ダンスミュージック、クリスチャン・ ヒップホップ。

一般化した形でクリスチャン・ポップやゴスペルと呼ばれるこの音楽は、比較的新しい音楽運動であり、現在ではキリスト教の文脈で来る地域別の多くの音楽 ジャンルに発展している。この運動は若者への伝道活動として登場したが、このジャンルは福音派やプロテスタントの布教活動で最もよく知られており、よく世 俗音楽と似たリズムが使われているのが見受けられる。

CCMは、他のジャンルのような音楽ジャンルではない。ある曲が「クリスチャン」と認定される場合、音楽的なスタイルよりも、歌詞や作詞者、演奏者を考慮 に入れている。したがって、CCMは多様であり、サルサ、レゲエ、ロック、フォーク、ヒップホップやラップ、バラード、ポップ、カントリー、シンガーソン グライター、さらにはパンクやヘビーメタルといった過激な音楽のリズムに合わせて歌われるクリスチャンソングも存在すると言える。

1980年代と1990年代には、現代的なキリスト教音楽が福音主義キリスト教の礼拝で重要な役割を果たした[6][7]。非常に多様な音楽スタイルが、 伝統的な賛美を発展させてきた[8]。

DC Talk - Jesus Freak (Original Video)




なぜ、典礼聖歌の研究が重要なのかについて、僕は知りたいです。それほ どカソ リック信仰に親しんでいない僕としては、(髙 田三郎先生には失礼ながら)日本語による聖歌や賛美歌などを聞いても、それほど心動かされることがありませ ん。それよりも、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックや熱心なクリスチャンのJuan Luis Guerra のPara ti のようなキリスト賛美の世俗的歌唱のほうが心うごかされるのです(メッセージと音楽性の調和と、音楽の中に共同経験を発見すること) https://www.youtube.com/watch?v=e-VBpOVhNGs



つまり、僕は、辛気臭いカソリック教会の典礼を辛抱するかわりに、DC -Talkのライブショーがミサの後にあれば、もう皆勤賞の信徒になり成人洗礼をうけて改宗することにやぶさかである。キリストが「フリーク(変わり 者)」でもあっても、その人の言葉に耳を傾ける価値があると思うからだ。
第二バチカン公会議に産物だという「典礼と音楽のためにアジア研究所」
Established since 1980, AILM is the foremost training center in Asia for people intending to dedicate their time in the ministry of music and  liturgy in the church. AILM is the pioneer in training church musicians for their roles as worship leaders through intensive residential programs designed to equip the students with skills essential to their future work.
AILM is the creative link, the channel through which the rest of the world can hear the songs of Asian churches.

Liturgy schema
On 22 October, the first schema to be discussed was the one from the very reform-minded preparatory commission for liturgy. It had 8 chapters:[56]

1. General Principles
2. The Eucharistic Mystery [i.e. the Mass]
3. Sacraments and sacramentals
4. The Divine Office [i.e. the Liturgy of the Hours]
5. The Liturgical Year
6. Liturgical Furnishings
7. Sacred Music
8. Sacred Art
It proposed many reforms, including active participation of the congregation, communal singing, a partial replacement of Latin by vernacular languages, communion under both kinds, concelebration, adaptation of liturgy to local cultures and a modest decentralization of liturgical authority to national episcopal conferences.[57] The conservatives objected to all these proposals, especially to the downgrading of Latin. Debate dragged on for 15 days, before the vote was taken on whether the schema was acceptable in principle. To everyone's surprise, only 46 (out of 2,215) voted against.[58][59] A second win for renewal. The schema was now returned to the liturgy commission to deal with many proposed amendments.

https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Vatican_Council
典礼のシェーマ
10月22日、最初に討議されたシェーマは、改革に熱心な典礼準備委員会のものであった。それは次の8つの章から成っていた[56]。

1. 一般原則
2. 聖体の神秘 [すなわちミサ] 2.
3. 秘跡と秘跡
4. 聖務 [すなわち時課の典礼] 4.
5. 典礼年
6. 典礼調度品
7. 聖なる音楽
8. 聖なる芸術
それは、信徒の積極的な参加、共同体による歌唱、ラテン語の地方語への部分的な置き換え、両言語による聖体拝領、共同祭儀、典礼の地方文化への適応、典礼 権限の各国司教会議への緩やかな分散化など、多くの改革を提案した[57]。保守派はこれらの提案、特にラテン語の格下げに反対した。このシェーマが原則 的に受け入れられるかどうかの投票が行われるまで、議論は15日間も長引いた。驚いたことに、反対票を投じたのはわずか46名(2,215名中)であった [58][59]。シェーマは典礼委員会に戻され、多くの修正案が提出された。
Constitution on the Sacred Liturgy
Chapter 2: Mass.[219] The Eucharist is both the sacrifice of Christ's body and blood and a paschal banquet (SC 47). In addition to repeating the need for active participation (SC 47), simplification of the rites (SC 50) and a greater variety of Scripture readings (SC 51), the chapter decrees that certain practices that had disappeared, such as the prayer of the faithful (SC 53), concelebration (SC 57), and communion under both kinds for the laity (SC 55), are to be restored under certain conditions, and that the homily should be a commentary on the Scripture readings (SC 52).

Chapter 3: Sacraments.[220] The rite of each sacrament is to be simplified in order to make its meaning clear (SC 62); the catechumenate is to be restored for adult baptism (SC 64); the link between confirmation and baptism is to be made clear (SC 71); the sacrament then called extreme unction is to become a sacrament for those who are seriously ill (anointing of the sick) and not just of those who are on the point of death (SC 73-5); funerals are to focus on the hope of the resurrection and not on mourning (SC 81), and local cultural practices may be included in the celebration of some sacraments such as weddings (SC 63).

Chapters 4 to 7[221] provide that the divine office (now called Liturgy of the Hours) is to be adapted to modern conditions by reducing its length for those in active ministry (SC 97), that the calendar is to be revised to give Sunday and the mysteries of Christ priority over saints' days (SC 108), and that, while traditional music forms such as Gregorian chant (SC 116) and organ music (SC 120) are to be preserved, congregational singing is to be encouraged (SC 114) and the use of other instruments is permissible (SC 120).

The Constitution on the Sacred Liturgy launched the most extensive revision of the liturgy in the history of the Church.[40]

The invitation for more active, conscious participation of the laity through Mass in the vernacular did not stop with the constitution on the liturgy. It was taken up by the later documents of the council that called for a more active participation of the laity in the life of the Church.[222] Pope Francis referred to a turn away from clericalism toward a new age of the laity.[223]

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第2章 ミサ[219] 聖体は、キリストのからだと血のいけにえであると同時に、牧神の宴である(SC 47)。この章では、積極的な参加(SC 47)、儀式の簡略化(SC 50)、聖句の朗読の多様化(SC 51)の必要性を繰り返し述べているほか、信徒の祈り(SC 53)、聖体拝領(SC 57)、信徒のための両儀式による聖体拝領(SC 55)など、消滅していた特定の慣習を一定の条件の下で復活させること、また、説教は聖句の朗読の解説であるべきであること(SC 52)を定めている。

第3章 秘跡 [220] 各秘跡の儀式は、その意味を明確にするために簡略化されること(SC 62)、成人の洗礼のためにカテキューメネートが復活すること(SC 64)、堅信と洗礼の関連を明確にすること(SC 71); 当時、極度の不浄と呼ばれていた秘跡は、死に瀕している人のためだけでなく、重病人のための秘跡(病者の塗油)となること(SC 73-5)、葬儀は喪に服すのではなく、復活の希望に焦点を当てること(SC 81)、結婚式などいくつかの秘跡の祝典に地元の文化的慣習が含まれてもよいこと(SC 63)。

第4章から第7章[221]までは、聖務(現在は時祷の典礼と呼ばれる)を、現役の聖職者のためにその長さを短縮することによって現代の状況に適合させる こと(SC 97)、聖人の日よりも日曜日とキリストの秘義を優先するように暦を改訂すること(SC 108)、グレゴリオ聖歌(SC 116)やオルガン音楽(SC 120)といった伝統的な音楽形式を維持する一方で、会衆唱歌を奨励し(SC 114)、他の楽器の使用を許容すること(SC 120)などが規定されている。

聖礼典に関する憲法は、教会史上最も大規模な典礼の改訂を開始した[40]。

方言によるミサを通して、信徒がより積極的かつ意識的に参加するようにという呼びかけは、典礼に関する憲法にとどまらなかった。それは、教会生活への信徒 のより積極的な参加を求めた公会議の後期の文書に引き継がれた[222]。教皇フランシスコは、聖職者主義から信徒の新しい時代への転換に言及した [223]。
Impact of Vatican II
Vatican II was a record-breaking event
Vatican II's features "are so extraordinary [...] that they set the council apart from its predecessors almost as a different kind of entity":[272]

Its proportions were massive. “It was not the biggest gathering in the sense of number of people assembled at a given moment. But it was the biggest meeting, that is, a gathering with an agenda on which the sustained participation of all parties was required and which resulted in actual decisions. It was a gathering the likes of which had never been seen before”.[273]
Its breadth was international. It was the first ecumenical council to be truly “ecumenical” (“world-wide”) since it was the first to be attended by bishops originating from all parts of the world, including some 250 native Asian and African bishops. (At Vatican I a century earlier, Asia and Africa were represented by European missionaries.)
The scope and variety of issues it addressed was unprecedented: The topics discussed ranged from the most fundamental theological issues (such as the nature of the Church or the nature of Revelation) to eminently practical ones (such as nuns' habits and music in the liturgy), including topics no general Council had addressed before, such as collaboration of the Catholic Church with the concerns of the secular world and the Church's relation to non-Christian religions.[274]
Its style was novel. It inaugurated a new style of conciliar teaching, a style that was called “pastoral” as it avoided anathemas and condemnations.
Information could be transmitted almost immediately. It was the first general council in the era of mass-circulation newspapers, radio and television. As a result, information (and reactions) could be reported immediately, something beyond the realm of possibility at other ecumenical councils.

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第二バチカン公会議の影響
第二バチカン公会議は記録的な出来事であった
第二バチカン公会議の特徴は、「非常に非凡であり、......公会議をその前任者たちからほとんど別種の存在として引き離している」[272]。

その規模は巨大であった。「ある瞬間に集まった人々の数という意味では、最大の集会ではなかった。しかし、最大規模の会合、つまり、すべての関係者の持続 的な参加が必要とされ、実際の決定がなされた議題のある会合であった。それは、かつてなかったような集まりだった」[273]。
その広がりは国際的であった。アジアやアフリカ出身の司教約250人を含む世界各地の司教が出席した最初のエキュメニカル公会議であったため、真に「エ キュメニカル」(「世界的」)な公会議であった。(その100年前の第1バチカン公会議では、アジアとアフリカの代表はヨーロッパの宣教師たちだった)。
バチカン第1バチカン公会議では、アジアとアフリカはヨーロッパの宣教師たちによって代表された: 議論されたトピックは、最も基本的な神学的な問題(教会の性質や啓示の性質など)から、きわめて実際的な問題(修道女の習慣や典礼における音楽など)まで 多岐にわたり、世俗世界の関心事とカトリック教会の協力や、キリスト教以外の宗教と教会の関係など、それまでの公会議では取り上げられなかったトピックも 含まれていた[274]。
そのスタイルは斬新であった。この公会議は、新しいスタイルの公会議の教えを開始した。このスタイルは、アナテマや非難を避けることから「司牧的」と呼ば れた。
情報はほとんど即座に伝達された。新聞、ラジオ、テレビが大量に流通する時代になって初めての総会だった。その結果、他のエキュメニカル公会議では不可能 であった、情報(および反応)が即座に報告された。
Post Vatican II history of the Catholic Church
The council addressed relations between the Catholic Church and the modern world.[281] Several changes resulting from the council include the renewal of consecrated life with a revised charism, ecumenical efforts with other Christian denominations, interfaith dialogue with other religions, and the universal call to holiness, which according to Paul VI was "the most characteristic and ultimate purpose of the teachings of the Council".[282]

According to Pope Benedict XVI, the most important and essential message of the council was "the Paschal Mystery as the center of what it is to be Christian and therefore of the Christian life, the Christian year, the Christian seasons".[283] Other changes that followed the council included the widespread use of vernacular languages in the Mass instead of Latin, the allowance of communion under both kinds for the laity, the subtle disuse of ornate clerical regalia, the revision of Eucharistic (liturgical) prayers, the abbreviation of the liturgical calendar, the ability to celebrate the Mass versus populum (with the officiant facing the congregation), as well as ad orientem (facing the "East" and the Crucifix), and modern aesthetic changes encompassing contemporary Catholic liturgical music and artwork.[40] With many of these changes resonating with the perspectives of other Christian denominations who sent observers to the Second Vatican Council, it was an ecumenical "milestone for Catholics, Protestants, [and] the Orthodox".[40] These changes, while praised by many faithful Catholics,[284] remain divisive among those identifying as traditionalist Catholics.[285][b]

Dignitatis humanae, authored largely by United States theologian John Courtney Murray, challenged the council fathers to find "reasons for religious freedom" in which they believed,[286]: 8  and drew from scripture scholar John L. McKenzie the comment: "The Church can survive the disorder of development better than she can stand the living death of organized immobility."[286]: 106 

As a result of the reforms of Vatican II, on 15 August 1972 Paul issued the motu proprio Ministeria Quaedam which in effect suppressed the minor orders and replaced them with two instituted ministries, those of lector and acolyte. A major difference was: "Ministries may be assigned to lay Christians; hence they are no longer to be considered as reserved to candidates for the sacrament of orders."[287]

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第二バチカン公会議後のカトリック教会の歴史
公会議は、カトリック教会と現代世界との関係に取り組んだ[281]。公会議からもたらされたいくつかの変化には、改訂されたカリスマによる奉献生活の刷 新、他のキリスト教教派とのエキュメニカルな取り組み、他の宗教との宗教間対話、パウロ6世によれば「公会議の教えの最も特徴的で究極的な目的」であった 聖性への普遍的な呼びかけなどがある[282]。

教皇ベネディクト16世によれば、公会議の最も重要で本質的なメッセージは、「キリスト者であること、したがってキリスト者の生活、キリスト者の年、キリ スト者の季節の中心としての受難の神秘」であった。 [283] 公会議後のその他の変化には、ミサにおけるラテン語に代わる方言の普及、信徒に対する両方の聖体拝領の許可、華麗な聖職者の礼服の微妙な不使用、聖体(典 礼)の祈りの改訂などがある、 典礼暦の省略、ミサを対民衆的(司式者が会衆の方を向いて)に、またアド・オリエンテム(「東方」と十字架の方を向いて)に祝う能力、現代のカトリック典 礼音楽や芸術作品を包含する現代的な美的変化などである。 [40]これらの変更の多くは、第二バチカン公会議にオブザーバーを派遣した他のキリスト教宗派の視点と共鳴するものであり、それはエキュメニカルな「カ トリック、プロテスタント、[そして]正教会のためのマイルストーン」であった[40]。これらの変更は、多くの忠実なカトリック信者によって賞賛される 一方で[284]、伝統主義的なカトリック信者として識別される人々の間では分裂したままである[285][b]。

米国の神学者ジョン・コートニー・マーレイによって主に執筆された『人間の尊厳』(Dignitatis humanae)は、公会議の教父たちが信じている「信教の自由の理由」を見つけるよう挑戦し[286]: 8、聖典学者ジョン・L・マッケンジーから次のようなコメントを引き出した: 「教会は、組織化された不動の生ける死に耐えるよりも、発展の無秩序に耐えることができる」[286]: 106 

第二バチカン公会議の改革の結果、1972年8月15日、パウロは「Ministeria Quaedam」という教令を発布した。大きな違いは次の通りである: 「従って、これらの奉仕職は、もはや、修道会の秘跡の候補者だけに与えられたものとはみなされない」[287]。
From the Constitution on the Sacred Liturgy (Sacrosanctum Concilium), solemnly promulgated by His Holiness Pope Paul VI on Dec. 4, 1963.

“Provision should be made … to see that the faithful can say or sing together in Latin those parts of the Ordinary of the Mass that concern them” (Sacrosanctum Concilium 54).

“The Church acknowledges Gregorian chant as specially suited to the Roman Liturgy: therefore, other things being equal, it should be given pride of place in liturgical services. But other kinds of sacred music, especially polyphony, are by no means excluded from liturgical celebrations, so long as they accord with the spirit of the liturgical actions…”(Sacrosanctum Concilium 116).

“Religious singing by the people is to be intelligently fostered so that in devotions and sacred exercises, as also during liturgical services, the voices of the faithful may ring out according to the norms and requirements of the rubrics” (Sacrosanctum Concilium 118).

“In the Latin Church the pipe organ is to be held in high esteem, for it is the traditional musical instrument which adds a wonderful splendor to the Church’s ceremonies and powerfully lifts up man’s mind to God and to higher things. But other instruments may be admitted for use in divine worship, with the knowledge and consent of the competent territorial authority… This may be done, however, only on condition that the instruments are suitable, or can be made suitable, for sacred use, accord with the dignity of the temple, and truly contribute to the edification of the faithful” (Sacrosanctum Concilium 120).

https://testeverythingblog.com/what-did-vatican-ii-say-about-liturgical-music-3d67356110d4
1963 年 12 月 4 日に教皇パウロ 6 世によって厳かに公布された、神聖な典礼に関する憲法 ( Sacrosanctum Concilium ) に記載されています。

「信者がミサ典礼のうち自分たちに関係する部分をラテン語で一緒に唱えたり歌ったりできるようにするための措置を講じるべきである。 」( Sacrosanctum Concilium 54)。

「教会は、グレゴリオ聖歌がローマ典礼に特に適していることを認めています。したがって、他の条件が同じであれば、グレゴリオ聖歌は典礼の中で誇りを持っ て与えられるべきです。」しかし、他の種類の神聖音楽、特にポリフォニーは、典礼行為の精神と一致する限り、決して典礼祝祭から除外されるものではありま せん…」( Sacrosanctum Concilium 116)。

「人々による宗教的歌唱は、信心や神聖な練習において、また典礼の際にも、ルーブリックの規範や要件に従って信者の声が響き渡るように、知的に促進される べきである。」(Sacrosanctum Concilium 118)

「ラテン教会では、パイプオルガンが高く評価されています。なぜなら、パイプオルガンは、教会の儀式に素晴らしい華やかさを加え、人間の心を神やより高い ものへと力強く引き上げる伝統的な楽器だからです。」しかし、管轄地域当局の知識と同意があれば、他の楽器も神の崇拝に使用することが認められる場合があ る…ただし、これは、その楽器が神聖な使用に適している、または適合するように調整できるという条件でのみ認められる。神殿の威厳を保ち、信者の教化に真 に貢献する」(Sacrosanctum Concilium 120)。


●Sufi Zikir, Sufi Dhikr ( Halvet-i Uşşaki )——再掲:コメント「スフィー・ズキールの、ズキールは、『神を思い出すためにフレーズや祈りを繰り返し唱えるイスラム瞑想の一形態』なのだそうです。 瞑想行為と音響経験深い結びつきを感じますね」

「有名な歴史学者ウィリアム・H・マクニールは、著者『みんなで拍子を合わせる』の中で、整 え られたリズミカルな⾏動は社会生活の根本にかかわるものだと主張している。⾳楽に合わせてと もに踊り、軍事訓練でともに⾏進することで、⼈は互いに結びつき、⼀つの集団になる。マクニ ールの⾒⽅によれば、⼈間社会はそうした⾏動なしでは成⽴しない。⾳楽と踊りは単に 体⼒を消 耗するだけの贅沢な⾏動ではなく、あらゆる点から⾒て⼈間社会の⼟台をなしている。たとえば 狩猟や子育てと同じように根源的なもので、ただやり⽅が違うだけなのだ」。——ウィリアム・ベ ンゾン『⾳楽する脳』西⽥美緒子訳、15-16 ページ、角川書店、2005 年 - William H. McNeill (1995). Keeping Together in Time: Dance and Drill in Human History. Cambridge: Harvard University Press.

●Resurrection of Jesus Christ (Kinnaird Resurrection) by Raphael, 1502

●Arvid Liljelund's Man Singing Hymn (1884)


●DC-Talk In The Light (Remastered 2013)


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