Introduction to Immanuel Kant
Immanuel Kant by Johann Gottlieb
Becker (1720-1782) , 1768
★哲学は学べない、ただ「哲学すること」だけが学び得る。
☆イマヌエル・カント(* 1724年4月22日ケーニヒスベルク(プロイセン)、† 1804年2月12日同)は、啓蒙主義のドイツの哲学者で、とりわけケーニヒスベルクの論理学と形而上学教授であった。カントは、西洋哲学の最も重要な代 表者の一人である。彼の著作『純粋理性批判』は、哲学史の転換点であり、近代哲学の始まりである。 カントは哲学において新しい包括的な視点を生み出し、21世紀に至るま で議論に決定的な影響を及ぼしてきた。これには、『純粋理性批判』による認識論や形而上学への影響だけでなく、『実践理性批判』による倫理学や『判断力批 判』による美学への影響も含まれる。さらに、カントは宗教哲学、法学、歴史学に関する重要な著作を残し、天文学や地球科学にも貢献した。
★カントのリンク集︎▶︎カントの宗教概念▶︎︎アーレントの『カントの政治哲学講義』▶カントとレイシズム︎▶カントの定言命法︎︎▶人倫の形而上学的基礎づけ︎▶︎︎カント『純粋理性批判』ノート▶︎イマヌエル・カント▶︎︎新カント派▶︎▶︎
◎福谷茂「カント」加藤尚武編『哲学の歴 史7:理性の劇場』中央公論新社、Pp.76-176、2007年
1. ひとつのサクセスストーリー |
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1.1 「職業哲学者」という新しい類型 |
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異色の存在 |
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30年戦争の後遺症 |
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出自 |
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「マルチカルチュラル」な都市 |
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敬虔主義とロココ |
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1.2 喝采 |
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修学時代 |
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「沈黙の10年」と「純粋理性批判」 |
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主要著作の出版リスト |
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2. 批判前期 |
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2.1 神と被造物の関係 |
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自然学の成果に臨む |
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処女作『活力測定考』 |
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「可能性の根拠」 |
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2.2 『神の存在論証のための唯一可能な証明根拠』 |
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神の描像の一致 |
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〈思考可能なるもの〉、〈可能なるもの〉 |
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新しい道 |
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2.3 沈黙へ |
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分析——思考の過程をフォローすること |
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2つの世界の統合 |
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3. 『純粋理性批判』の意義 |
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3.1 「哲学の歴史」へと参入するための鍵 |
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カント哲学の出発点 |
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古い講壇哲学と「新哲学」の結び付き |
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3.2 「コペルニクス的転回」と「ア・プリオリな総合判
断」 |
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『純粋理性批判』におけるコペルニクスの役割 |
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ア・プリオリな総合判断 |
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3.3 『純粋理性批判』の構成と「超越論的哲学」 |
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マニアックなまでの構成癖 |
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必要な用語 |
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ア・プリオリ/ア・ポステリオリ/可能性の制約 |
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i 空間と時間の超越論的観念性 |
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ii カテゴリーの超越論的演繹 |
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〈三段の総合〉 |
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超越論的対象と超越論的構想力 |
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iii 原則の体系 |
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iv 超越論的弁証論 |
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アンチノミー |
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神の概念 |
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4. 『実践理性批判』『判断力批判』『遺稿』 |
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4.1 『実践理性批判』 |
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人倫の形而上学 |
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メダルの表裏 |
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実践理性の要請 |
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4.2 『判断力批判』 |
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〈美〉とは |
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感性界と超感性界との統一 |
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4.3 『遺稿』 |
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貴重な資料 |
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「遺稿」における「形式」のあり方 |
1. 初期の人生 |
4 |
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2. 啓蒙時代 |
11 |
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3. 心と自然にかんする諸理論 |
13 |
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4. 形而上学とはなにか |
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5. カントの初期のキャリア |
25 |
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6. 「批判」研究に先立つ時期:1746-1770 |
28 |
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7. 沈黙の時期:1770-1780 |
36 |
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8. 批判哲学 |
44 |
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8.1 はじめに:能力 |
44 |
・純粋理性批判(知識) ・実践理性批判(欲望) ・判断力批判(フィーリング:感性) |
8.2 判断の潜在力 |
46 |
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8.3 3つの認識的能力 |
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【3つの能動的能力】 ・想像力(イマジネーション;構想力) ・理解(了解、悟性) ・理性 【ひとつの感受的能力】 ・感性的直感(直観) |
8.4 想像力と反省性 |
48 |
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8.5 理解、表象、理性 |
49 |
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9.『純粋理性批判』(1781) |
50 |
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9.1 はじめに:表象の問題 |
50 |
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9.2 表象の不確かさ |
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9.3 中心的問題 |
53 |
・総合的とは? 1)付加的、追加的なもの 2)生産的なもの |
9.4 超越論的感性論(超越論的美学) |
54 |
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9.5 形式の役割 |
55 |
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9.6 空間と時間 |
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9.7 空間と時間の欠如 |
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9.8 想像力の2つの操作:気づきによる統覚
(apprehention)と再生産 |
58 |
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9.9 理解と直観 |
59 |
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9.10 カテゴリー(範疇) |
60 |
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9.11 カントの4つのカテゴリー |
61 |
1)量 2)質 3)関係 4)様相・様式(モーダリティ) |
9.12 起こったことをどう理解するか |
62 |
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9.13 カントの「コペルニクス的転回」 |
64 |
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9.14 どのようにしてイーメジ(データ)は可能になるのか? |
65 |
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9.15 理解(了解)と気づきによる理解 (apprehention) | 66 |
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9.16 理性の助け |
68 |
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9.17 理解(了解)の幻想 |
69 |
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9.18 純粋理性の誤った判断(paralogisms) |
70 |
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9.19 純粋理性の二律背反(antinomy) |
72 |
・純粋理性のアンチノミー |
9.20 純粋理性の理念 |
74 |
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10. カントの中期 |
76 |
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11. カントの食卓 |
78 |
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12.『実践理性批判』(1788) |
84 |
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13. 予定説か?自由意志か? |
86 |
・マルチン・ルターの予定説 ・ジャン・カルヴァンの自由意志説 |
14. 自由意志と欲望 |
88 |
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15. 道徳的事例 |
89 |
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16. 実践理性の二律背反 |
93 |
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17. 無条件の自由 |
94 |
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18. 努力と犠牲 |
96 |
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19. 能力の再考 |
97 |
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20. 道徳的理由の絶対的欠如 |
98 |
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21. 意識の限界 |
99 |
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22. 純粋の自由と知識への欲望 |
100 |
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23. 自由の犠牲 |
102 |
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24. 現象の根本あるいは「物自体」 |
103 |
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25. 服喪と犠牲 |
104 |
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26. 理性の不在に苛まれること |
105 |
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27. 合理的存在の自由 |
106 |
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28. 感覚を超えた体系(the suprasensible
system) |
107 |
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29. 法の主体 |
108 |
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30. 自由を考えることの自由 |
109 |
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31. 定言命法 |
110 |
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32. 幻想を避ける |
111 |
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33. 自己満足を求める |
112 |
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34. 道徳法は表象することができない |
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35. カントの身体的強迫観念 |
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36.『判断力批判』(1790) |
116 |
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37. 美しさの分析 |
118 |
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38. 判断と感覚(感性) |
120 |
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39. 判断と形式 |
121 |
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40. 判断に関係することにおける未知 |
122 |
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41. 判断における感性の場所(位置) |
123 |
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42. 思考の官能(sensuality) |
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43. デザインの優先性 |
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44. 自然〈対〉技術 |
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45. 自然、デザイン、装飾 |
128 |
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46. 天才は自然を変工する |
129 |
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47. 美術=アートの秩序 |
130 |
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48. 天才についてのロマンチックな理念 |
131 |
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49. 天才と変工(デフォルメ) |
132 |
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50. 至高性の分析 |
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51. 至高性についてのエドマンド・バークの見解 |
135 |
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52. 数学的至高性 |
136 |
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53. ダイナミックな至高性 |
138 |
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54. 至高性を経験する |
140 |
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55. 自由の過剰 |
142 |
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56. 自然からの自由 |
144 |
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57. 自由、痛み、欲望 |
146 |
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58. 目的論的判断批判 |
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59. カントと宗教 |
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60. ヨブ、啓蒙の肖像 |
150 |
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61 啓蒙とはなにか? |
151 |
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62. 私的理性と公的な理性 |
152 |
・理性の私的使用 ・理性の公的使用 |
63. 王室からの警告 |
153 |
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64. カント最期の日々 |
156 |
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65. カント以後 |
159 |
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66. ゲオルグ・ウィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル,
1770-1831 |
160 |
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67. フリードリヒ・ニーチェ, 1944-1900 |
162 |
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68. マルチン・ハイデガー, 1889-1976 |
164 |
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69. ミッシェル・フーコー, 1926-1984 |
166 |
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70. ジャン=フランソワ・リオタール, 1924-1998 |
168 |
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71. ジャック・デリダ, 1930-2004 |
170 |
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72. 結論 |
173 |
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73. ブックリスト |
174 |
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74. 索引 |
176 |
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***上掲書の結論(p.173)
The philosophical legacy which passes from Kant to today through the
critical engagement of contemporary thinkers is not staged for the sake
of "enlightenment" in its universalist progressive sense. Rather, the
complexities of consciousness, recognition and memory, upon which
these post-Kantian philosophers reflect, imply that we cannot attain
salvation from ourselves as metaphysics had envisaged.
Philosophy continues Kant's autonomous and self-critical investigation
through its own misapprehensions. This "project" is guaranteed in the
absence of any exemplary model or standard by which to reproduce the
truth: as Derrida says, "there is nothing outside the text".
Kant himself hoped to set philosophy on the footing of a science. But this
was not meant ultimately in its humanist sense, as a science of empirically
or logically derived precepts or facts. Rather it was intended as an
affirmation, in the most systematic terms possible, of a philosophy which
derived its meanings from its own limits and fallibility. As such, it was
intended to counter the programmatic concerns of culture and politics -
or indeed any organization intent upon establishing itself in the name of
prescribed knowledges or morals. In Kant's hands, philosophy became
an implosive science of critique: "The love which the reasonable being
has for the supreme ends of human reason." |
カ
ントから現代の思想家たちによる批判的な取り組みを通じて今日まで受け継がれてきた哲学の遺産は、普遍主義的かつ進歩的な意味での「啓蒙」のために用意さ
れたものではない。むしろ、カント以降の哲学者たちが考察の対象とした意識、認識、記憶の複雑性は、形而上学が想定していたような、自己からの救済は達成
できないことを暗示している。哲学は、自身の誤解を通じて、カントの自律的かつ自己批判的な探究を継続している。この「プロジェクト」は、真理を再現する
ための模範となるモデルや基準が存在しないため、保証されている。デリダが言うように、「テキストの外側には何もない」のだ。カント自身は、哲学を科学の
土台に据えることを望んでいた。しかし、これは最終的には人文主義的な意味でのものではなく、経験的または論理的に導き出された教訓や事実の科学としての
ものではなかった。むしろ、それは、自らの限界と不完全性から意味を導き出す哲学を、可能な限り最も体系的な用語で肯定することを意図したものだった。そ
のため、文化や政治の計画的な関心に対抗することを意図したものであり、実際、規定された知識や道徳の名のもとに自らを確立しようとするあらゆる組織に対
抗することを意図したものだった。カントの手にかかると、哲学は内包的な批判科学となった。「理性ある存在が、人間の理性の究極の目的に対して抱く愛」
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純粋理性批判の批判 |
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カント批判 : 『純粋理性批判』の論理を問う = Critique of Kant : the logic of the critique of pure reason, reconsidered / 冨田恭彦著, 勁草書房 , 2018 内容説明 「時代の子」としてのカント。その実像とは—カントの超越論的観念論を17〜18世紀の精神史の流れの中で捉え直し、明証必然的な理論を標榜しつつも、実は自然科学の知見を密かな基盤としていたことを明らかにする。 目次 第1章 「独断のまどろみ」からの不可解な「覚醒」—「唯一の原理」への奇妙な道筋 第2章 ロックの反生得説とカントの胚芽生得説—カントが言うほどカントとロックは違うのか? 第3章 カントはロックとヒュームを超えられたのか?—アプリオリ化の実像 第4章 そもそも「演繹」は必要だったのか?—自身の「経験」概念の絶対化 第5章 判断とカテゴリーの恣意的な扱い—カントの隠れ自然主義 第6章 空間の観念化とその代償—議論の浅さとその不整合の意味するもの |
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カント哲学の奇妙な歪み : 『純粋理性批判』を読む / 冨田恭彦著, 岩波書店 , 2017 . - (岩波現代全書, 098) 内容説明 近代哲学はカントの認識論で素朴な経験主義を脱し、自然科学から自立したという理解は本当だろうか?哲学史的事情を踏まえるなら、カントの哲学は自然科学 を形而上学によって基礎づけたのではなく、自然科学を基盤としてそれに形而上学の装いを与えたのではなかったか。自然主義と全体論の視点から近世哲学史を 再検討する。 目次 第1章 論理空間が奇妙に歪んでいる—自然主義の伏流(『純粋理性批判』の初期の批評から;ロックとカントは相似形の枠組みの中で考えている ほか) 第2章 物自体はどこから来たのか—仮説的視点の劣化(なにごとも「体験」から?;デカルトの二元論に戻って ほか) 第3章 カントはいわゆる「一般観念」をこのように考えた—図式論の理解のために(英語の読めないカントはイギリス哲学をどのようにして読んだか;概念を直観化することとしての「構成」 ほか) 第4章 「無限判断」とは言うものの—伝統的論理学のよくない使い方(判断の量と質のおさらい;不確定言明とは ほか) 第5章 自然科学なのに無理に形而上学のふりをして—『純粋理性批判』の背面の論理(アプリオリな総合判断には二つの種類がある;「概念から」—形而上学(純粋哲学)の場合 ほか) |
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カント入門講義 : 超越論的観念論のロジック / 冨田恭彦著, 筑摩書房 , 2017 . - (ちくま学芸文庫, [ト-9-2]) 内容説明 我々が生きている世界は、心の中の世界=表象にすぎない。その一方で、しかし同時に「物自体」はある、とも言うカントの超越論的観念論。そのカラクリとし て、基本的なものの見方・考え方の枠組みが人間の心にはあらかじめセットされているとカントは強調したわけだが、この点を強調することによって、その哲学 は、後年の哲学者達の思想的転回に大きく貢献したと著者は説く。平明な筆致で知られる著者が、図解も交えてカント哲学の要点を一から説き、各ポイントが現 代の哲学者に至るまでどのような影響を与えてきたかを一望することのできる一冊。 目次 第1章 カント略伝 第2章 なぜ「物自体」vs「表象」なのか? 第3章 解かなければならない問題 第4章 コペルニクス的転回 第5章 「独断のまどろみ」から醒めて 第6章 主観的演繹と図式論 第7章 アプリオリな総合判断はいかにして可能か 第8章 魅力と謎 |
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