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サルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦

Celia Cruz y su vida en el contexto cultura latinoamericana


サルサの女王は死後にPay-Backを受くる(リハーサル2回目)30:05

池田光穂

☆ Credit, サルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦, 池田光穂, 2024年6月23日 日本音楽表現学会(山梨大学甲府キャンパス)Acknowledgement; This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 21K18363.【フルテキスト salsa240623mikeda.pdf

セリア・クルスの本名は、Celia de la Cruz Alfonzo, 1925-2003でキューバの首都ハバナの四人兄弟姉妹の一人として生まれた。すでに10代の時に、彼女の叔母と従姉妹がキャバレーに連れていき、そこ での音楽に魅了される。彼女の父親は、セリアに教師になることを希望しハバナの師範学校への入学を希望した。しかし、彼女はハバナの国立音楽院に入学し、 声楽、理論、ピアノを学んだ。1940年、音楽院在学中の15歳の時に、キューバのラジオ番組でタンゴ曲の「ノスタルヒア」をボレロに編曲して歌いコンテ ストに受賞してからは、衆目に晒されることになり、バンドのボーカリストとしてラテンアメリカを巡業している。その10年後の1950年(25歳)彼女 は、Sonora Matancela の人気リードボーカリストになる。彼女の母国では1959年にキューバの革命勢力による政権掌握が成功する。カストロとの確執から彼女から母親の最期に看 病するために帰国申請するが革命政権から拒絶される。反革命だと見做されたためである。1961年ごろ結婚を機に米国への亡命申請をするが10年間連邦捜 査局は彼女を過激共産主義者として監視下においていた。クルスは公的な場所では、これらの政治的話題に触れることはなかった。

■ クルスの人気は、1975年にサルサ専門のレコード会社ファニアとの契約を機に、社長のひとりのJ・パチェーコがプロデュースしたファニア・オールスター ズの大小のさまざまなコンサートに参加したことである。サルサの歴史に残る後に著名になる演奏家たちが参加したオールスターズは、その後の10年間に世界 最高のラテン楽団と呼ばれるようになる。クルスは男性だらけのサルサシンガーのなかで唯一の女性サルサシンガーとして登場する。セリア・クルスの特徴を表 現するなかに、かならず、彼女の女性性を表現するようなエピソードがある。それは色とりどりのかつら、スパンコールのついたタイトなドレス、ハイヒールな ど、彼女の豪華な衣装である。しかし、彼女の歌曲には、ラテンアメリカ女性のステレオタイプなセクシュアリティを歌うものはない。

■ 彼女のために書かれた歌曲の中には、ラテンアメリカのマチズム(男性中心主義)、それも愛情を注がず夜になると体だけを要求する男に「Que le den candela(火を放て)」と批判するものがある。1994年に録音されたアルバム『空前絶後』に初めて収録された、クルスのトップ10曲のひとつであ る。彼女は、女性たちに夫やボーイフレンドからの暴力に反抗するよう助言している。その処方箋は、生活世界のなかにおけるジェンダー関係に対して反抗せ よ、抵抗せよというものだ。DVを受けたら「フライパンでもいいから」ぶん殴り返しなさい、という形のエンパワメント・メッセージである。彼女が呼びかけ る「私の庶民(mi gente)」のジェンダーはスペイン語を母語とする女性たちである。このことが、サルサ歌手のアイコンの中のアイコンとしてのセリア・クルスをもっとも 強力に特徴づけているのである。

■ 註)Pay-Backには2つの意味がある。通常には返済や返金おこなうこと、そして比喩的にはJames Brown の歌曲のように「借りを返す→仕返しをする」という意味である。その表題の謂は、彼女が生前受けた不当な仕打ちを、死後は名誉回復以上の祝福(=返済)を 受けていることを指す。

■ 参照文献

- Brown, Monica with Rafael López (illus.) 2004. My name is Celia/Me llamo Celia. Flagstaff, Ariz.: Rising Moon.


- Cruz, Celia with Ana C. Reymundo. 2004. Celia: My life, an autobiography. New York: Rayo. 

■キーワード:音楽表現、セリア・クルスサルサ音楽、ポピュラー音楽、対位法的読解

本 研究は科研費(21K18363)の補助を受けたものである。

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サルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦

Celia Cruz y su vida en el contexto cultura latinoamericana

Credit, サルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦, 池田光穂, 2024年6月23日 日本音楽表現学会(山梨大学甲府キャンパス)Acknowledgement; This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 21K18363.

2 発表要旨

セリア・クルスはキューバの歌手であり、20世紀で最も人気のあるラテン系アーティストの一人である。2003年の彼女の死から21年が経とうとしている現在も、その輝きは衰えない。

彼女は1959年のキューバの革命政権の掌握以降、キューバ政府とアメリカ合衆国政府の政治的対立、あるいは冷戦構造のなかで「まったくの非政治的な音楽 家」が、双方から「敵」とみなされ、居場所を失う。政治的難民という言葉が成り立つとすれば、革命キューバと合衆国から受けたクルスの立場は「音楽的難 民」である。そして、サルサ音楽を世界音楽として広めた「音楽的ディアスポラ」でもあった。彼女の政治性あるいはディアスポラ性とはいったい何であったか ということをこの発表では問いたい。

音楽表現研究におけるポピュラー音楽の重要性は歌詞のもつメッセージ性にあり、そのことがリスナーをして歌手に対して「気散じ(Zerstreuung)」の中で感情移入をすることができ、ともに「心が歌い、精神が高揚する」体験をもたらしていると発表者は結論する。
3 エピグラム
「何世代の人々に対して、私は音楽を通して、私の文化と、ただ生きることで得られる幸福を教え、教師になってほしいという父の願いを叶えることになりまし た。……パフォーマーとして私は人々に心が歌い、精神が高揚するのを感じてもらいたいのです」——セリア・クルスの1997年のインタビューより.
4 章立て

1.サルサ音楽分析のプロジェクト構想
2.セリア・クルスとはどんな人だったか?
3.メディア史におけるサルサ音楽の特色
4.東西冷戦に翻弄されたセリア・クルスという政治的存在
5.まとめ:サルサ音楽の歴史おけるセリア・クルスの存在意義
5 対位法的読解

エドワード・サイードは対位法的読解を提唱した。これは、同時代的状況の中で地理的にまったく離れたところで、まったく関係のないように思われた出来事に よるテキストの生産をつき合わせること。そして、その相互に共通にみられる、遠隔地のあいだのシンクロニックな生起を対比的に考えることである。比喩的に 表現すると、独立した出来事である旋律が絡み合う対位法的なハーモニーの生成——和声的対位法 ——を相互に対比的に発見しようとすることである。

[引用]「わたしが「対位法的読解」と読んだものは、実践的見地からいうと、テクストを読むときに、そのテクストの作者が、たとえば、植民地の砂糖プラン テーションを、イギリスでの生活様式を維持するプロセスにとって重要であると示しているとき、そこにどのような問題がからんでくるかを理解しながら読むこ とである」(サイード『文化と帝国主義1』p.137/原著、1993:66)。
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1.サルサ音楽分析のプロジェクト構想:方法論と研究対象
7 セリアクルスはどんなひと?
セリア・クルスの本名は、セリア・デ・ラ・クルス・アルフォンソ(Celia de la Cruz Alfonzo, 1925-2003)

ソノラ・マタンセーラ楽団とセリアは、1960年7月から2年間の契約をとったメキシコを中心にラテンアメリカ各地に、その活動を再開することになった。 マタンセーラのバンド・リーダーのロヘリオ・マルティネスは、当時のラジオのインタビューでキューバには戻らない旨の宣言をした。そして実質的に、マタン セーラは帰国すべき母国を失ったディアスポラ楽団になった。

マタンセーラ楽団に在団中の1962年7月に、それまで数年間以上の親密な関係であった楽団のトランペッターのペドロ・ナイトとセリアは結婚し、最後には セリアの夫であり生涯のマネージャーとなる。1963年1月には、ソノラ・マタンセーラ楽団はハリウッド・パラディアム劇場(Hollywood Palladium)と長期契約をむすび、そのメンバーたちは合衆国での長期滞在許可を得ることになった。
8 クルスとカストロ政権

クルスは反体制派ではなかった。1959年には、クルスのボーカルでラ・マタンセーラ楽団は、労働者たちを賛美するGuajiro Llegó Tu Día (「グアヒロはその日を迎える」)というグアグアンコー(guaguancó)というジャンルの曲を録音している。

にもかかわらず、キューバの革命政権は、最終的にはセリア・クルスの音楽を公共の場所で聴くことを、その後禁止し、彼女の死後(2003年)まで40年間それを許さなかったのである。
9 セリア流ヒューマニズム
1970年代からニュージャージーで77歳の生涯を閉じるまで、彼女は23回のゴールドディスク、3回のグラミー賞、4回のラテン・グラミー賞を受賞し、 そのほかにアメリカの大統領芸術勲章を得て、亡くなる4年前には国際ラテン音楽殿堂入りを果たしている。死後13年たった2016年2月15日に、彼女に 対してグラミー賞において没後の生涯功労賞が授与されている。

その間に取られたさまざまなライブ映像や記録映画、テレビでのインタビュー出演などで、今日明らかになったことは、彼女の気さくな人柄であり、人間の平等 を説き(=セリア流のヒューマニズム)、また母語のスペイン語で自立した女性の生き方を肯定する発言を繰り返した。例えばラテンアメリカの女性に対して 「あなたの旦那が手をあげたら、反撃しなさい。素手で抵抗できないなら、近くのフライパンを使いなさい」と男性の暴力に対する女性の抵抗をユーモラスに訴 えた。
10 メディア研究からみた、サルサ音楽の特色
メディア史研究という観点から、サルサ音楽の特色を4つあげてみよう。すなわち、
(1)街路の音楽としてのサルサ、
(2)ソネオと呼ばれる歌詞メッセージの即興性、
(3)ダンス音楽、
(4)反復と差異の生成、である。
11 (1)街路の音楽としてのサルサ、
街角(バリオ)で野外音楽にあわせて仮装舞踊をする伝統は、ラテンアメリカではムルガといわれており、これは、カーニバルに仮装や風刺劇と音楽を組み合わ せたものが起源だという。ムルガ(murga)という名称は、スペインの大西洋に面したイベリア半島南端のカディス(地名)で言われてものから由来する。 もし、そのような祭礼のジャンルがうまれて、それが、街角でのサルサ(ブエノス・アイレスではタンゴ)になり、それは、ダンスホールでの舞踊やどんちゃん 騒ぎのコンサートになった可能性が考えられる。。

音楽と踊りとリクリエーションの融合というのは素敵で、ごった煮のサルサにもそのような伝統があるという可能性は否定できない。サルサは音楽経験が重層的 に形成される音楽である。ムルガの曲想はサルサの作曲家に影響を与えており、エクトル・ラボらが作曲したヒット曲には「ラ・ムルガ(La Murga)」という名曲がある。
12 (2)ソネオと呼ばれる歌詞メッセージの即興性、
韻律とりわけ脚韻を使う定型化されたソネオと呼ばれる即興詩が、プエルトリコのヒバロ音楽などのカントリーミュジックから由来する可能性もある。

サルサの歌唱を通して歌手がダンスする聴衆に訴えかけることは、彼/彼女らの生活世界でのさまざまな光景の詩的表現である。恋愛やセックス、噂話、ロマンや裏切り、犯罪、政治家への皮肉やあてこすり、悪人に対する悪態、そして純然たる言葉遊びなどなど。

現在流行しているレゲトンの楽曲には、高速で歌われるために歌詞がつかみにくいのに対して、サルサ音楽における歌詞は、明確な言葉のアーティキュレーショ ンを通して、定型化された詩と、つねに即興性が入るライブ音楽の当意即妙性が担保される。サルサは口頭伝統における想像力が歌曲に「丁度いいぐあい (moderato)」に投射される音楽形式である。
13 サルサのリズム
  サルサ音楽は通常、4/4のタイムシグネチャーを持つ。クラーベという特有のリズムパターンが基礎となっている。クラーベは3-2または2-3のパターンで、楽曲のリズム的な骨組みを提供している(→「ソン・モントゥーノ」)。


14 (3)ダンス音楽、
人々は、音楽的な分析をするためにサルサ音楽を聴くのではない。踊るためにサルサの演奏に参加する。つまり、サルサの歌詞を耳にしながら「ただ生きることで得られる幸福」を感じ、踊りの中に「心が歌い精神が高揚する」ことを経験する。

サルサ音楽は、脚韻をとる定型詩を採用することで、踊りながら歌える。歌を伴奏にして踊れる。そして、レコードやCDあるいはインターネット音源を通して「気散じ(Zerstreuung)のなかで」(W・ベンヤミン)、サルサの音楽詩学に「陶酔」することができる。

聴衆が生きる生活世界とそのそれぞれの固有の経験が変化しているために、演奏を聴き、ダンスするたびに、その感情作用が身体経験と相乗作用をもたらす。サルサ音楽は身体に訴えかける音楽である。
15 (4)反復と差異の生成、
リアルな生活世界と同様に、あるいはそれ以上にサルサ音楽の歌曲の中では歌詞の中の主人公はドラマチックな生き方が表現されている。大衆音楽の常として著名な歌手たちは、庶民にとって生活世界を時に淡々と、時に誇張したりして見事に詩的形式として昇華している。

サルサの名曲は、演奏されるたびにソネオ(即興)形式という不断のアレンジの更新を通して、歌曲と歌詞の差異を再生産してゆく。サルサの名曲を、演奏家が 亡くなったあとでも、演奏のたびに、亡くなった歌手の人生を追憶しながら聴くこともできるし、それに続く新しい歌手によるソネオ(即興詩)を通して更新さ れてゆく。

聴衆がいきる生活世界とそのそれぞれの固有の経験が重ね描きされるために、演奏を聴き、ダンスするたびに、その感情作用が身体経験と相乗作用をもたらす。サルサは反復の中に差異を見出す永続性のある音楽である。
16 東西冷戦に翻弄されたセリア・クルスという政治的存在
カストロ政権に疎まれて、1959年にキューバを演奏旅行のために出立してから、彼女は二度とキューバの土地を踏むことはなかった。彼女の母の末期の報に際してキューバ政府に帰国の許可を申請するもそれは革命政権には受理されなかった。

結婚後に夫のペドロ・ナイトとともにアメリカ合衆国への亡命申請は少なくとも10年間は受理されることはなく、連邦捜査局(FBI)から過激共産主義者としてリストアップされ、その監視対象になった。

彼女は少なくとも1度は(その後にイラク戦争やアフガン作戦による捕虜への反人道的虐待尋問で問題になった)グアンタナモ米軍基地に他のキューバのボート 難民たちと里帰りしてキューバ島の土地を踏んでいる。その際に、その地の土を持ち帰った。その土は、現在では彼女の遺体と共に埋葬されている。
17 アスーカル(お砂糖!!)
彼女の歌唱のなかにでてくるキューバは、そのような政治性は一切ない。キューバ人誰しもが感じる生活世界の中から発するものだ。彼女は歌の合間に彼女のオ リジナルの有名な合いの手である「お砂糖!! (¡azucal!)」という言葉を叫ぶ。メディアへのインタビューの中に何度も語られる定番エピソードである。

アメリカでコーヒーをすすめられる時に普通はブラック・コーヒーがでてくる。砂糖やミルクは追加で好みにあわせて飲む人がいれるのがしきたりだ。キューバ でのコーヒーつまりカフェ・クバーノはエスプレッソマシンで淹れられるとても苦いものであり、砂糖を入れないと飲められるものではない。コーヒーに砂糖は 必須なのである。

だから、彼女はアメリカでコーヒーをすすめられる時に、なにが必要かと聞かれる時に、反射的に「お砂糖!! (¡azucal!)」と叫ぶのだと。お砂糖!! (アスーカル!!)は、キューバ・コーヒの必須品であり、アスーカル!!は、生粋のキューバ人セリアの別名なのである。
18 サルサ音楽の歴史におけるセリア・クルスの存在意義
男性だらけのサルサシンガーのなかで唯一の女性サルサシンガーとして登場する。それも添え物ではなく十分なラテン音楽の歌唱で鍛えた彼女がサルサ音楽に全面的に参入する。

セリア・クルスの特徴を表現する言葉のなかに、かならず、彼女の衣装の話が出てくる。それは色とりどりのかつら、スパンコールのついたタイトなドレス、ハ イヒールなど、彼女の豪華な衣装である。色とりどりのド派手な衣装ことがセリアの真骨頂である。それはラテンアメリカの女性性(femininity)の 過度の表現である。

しかし、彼女が歌う歌曲には、女性の過度のセクシュアリティを歌うものはない。サルサ以前の伝統的なキューバ音楽の歌曲の歌手から出発したことが、その理由のひとつかもしれない。
19 火を放て!!! (Que le den candela)
彼女のために書かれた歌曲の中には、ラテンアメリカのマチズム(男性中心主義)を批判するものや、社会のなかで女性として生きることの厄介さが表現されて いる。愛情を注がず夜になると体だけを要求する男に「火を放て」と批判するものがある。Que le den candela(火を放て)は、キューバの作曲家ホルヘ・ルイス・ピロトがセリア・クルスのために書いた曲で、1994年に録音されたアルバム『空前絶後 (”Irrepetible")』に初めて収録された。その後多くのサルサ・コンピレーションに収録されている。

セリア・クルスのトップ10曲のひとつとされている。この曲の中で彼女は、女性に対する有害な男性との関係から離れ、虐待などに反抗するよう(女性の)リ スナーたちに助言しているのである。彼女の処方箋は、思想的なフェミニストになり社会の男女の関係を変革せよ、というものではない。生活世界のなかにおけ るジェンダー関係に対して反抗せよ、抵抗せよというものだ。
20 ミ・ヘンテ(私にとっての大衆)
バスをあらわすラ・グアグア(La Guagua)という歌では、混雑したバスのなかで、体を触られるという不快な経験は避けることができないんだぞと、男性のリスナーに訴えかける。これら は、日常の何気ない生活世界のなかで、ジェンダー政治の枠組みをちょっとした実践行為を通して変えるべきだというメッセージに聞こえる。

1960年代末の北米の女性解放運動の論者キャロル・ハニッシュのいう「個人的なことはまさに政治的なことだ」というスローガンの精神を、クルスの歌は如 実に伝えている。先に触れた(武器がなければ)「フライパンでもいいから」ぶん殴りなさい、という形のエンパワメント・メッセージである。

サルサ歌手は、しばしば、歌詞の中にあるいは合いの手として「私の庶民(mi gente)」ということば定型句として発する。クルスの発するミ・ヘンテ(私にとっての大衆)のジェンダーは明らかにスペイン語を母語とする女性たちを さし示している。このことが、サルサ歌手のアイコンの中のアイコンとしてのセリア・クルスをもっとも強力に特徴づけているのである。
21 対位法的な解釈
●クルス
日常性のなかのジェンダー意識
小文字の革命
生活世界
ヒューマニズム
微笑みとジョーク
聴衆の側に寄り添う
●カストロ
男女平等を謳いながらもマチズムが?!
大文字の革命
政治的世界
階級意識の強調
シリアスさと声高な弁舌
被抑圧者の側に立つ
22 音楽表現学に対する本発表の貢献
音楽表現とは、伝統的には、西洋音楽学が定義する音楽を構成する要素(形式、和声、旋律、リズム)と組み合わせからなる音の配置について、形式的観点あるいは美学的視点から研究することである。

本発表で取り扱ったサルサ音楽の場合、リズムが重要な要素であると同時に、それにあわせてリスナーに伝えられる楽曲のなかの歌詞のメッセージ性がきわめて 重要である。ポピュラー音楽は、どの楽曲を演奏するかという時に、リスナーは、そこで演奏される歌詞のもつメッセージ性をきわめて重要視する。そのなかで 音楽と表裏一体の歌唱の意味内容が重要になる。

音楽表現学における楽曲の記号論と歌詞内容の意味論的な統合という課題を解くためにはポピュラー音楽は格好の素材になる。
ポピュラー音楽の重要性の理由が歌詞のもつメッセージ性にあり、そのことがリスナーをして歌手に「気散じの中で」感情移入をすることができ、セリア・クルスが言うように、ともに「心が歌い、精神が高揚する」体験をもたらしているである。
23 Gracias a tod@s !! ありがとう!!
24 Que le den candela(火を放て)

Que le den candela(火を放て)
25 ファニア・オールスターズ(集合写真)

Crédito, Celia Cruz y su vida en el contexto cultura latinoamericana. Una presentación de The Japanese Association of Studies of Music Expression, fecha 23 de junio,2024 en el Campus de Universidad Nacional de Yamanashi, Ciudad de Kofu, Yamanashi, Japón

サ ルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦[2回目リハーサル](YouTube)

☆ Credit, サルサの女王は死後にPay-Backを受くる:歌手セリア・クルスと東西冷戦, 池田光穂, 2024年6月23日 日本音楽表現学会(山梨大学甲府キャンパス)Acknowledgement; This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 21K18363.【フルテキスト salsa240623mikeda.pdf

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