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法人類学入門

Introduction to Legal Anthropology

池田光穂

法の語源

ラテン語の法には、ius(イウス)とlex(レクス)という2つの語源がある。イウスは、 いわゆる法則や普遍的な正しさ、あるいは義務の意味をもついっぽうで、レクスには法律の他に、法による申し立てや、法的証書のような派生的意味がありま す。

法の概念について、あるいは実定法と自然法の区別

法とはなにか?をめぐり専門家がさまざまな議論をく りひろげてきました。法の形式性や、法の「正当性」の根拠をどこに置くのかという点で、自然法(natural law, lex naturae, lex naturalis)と実定法(positive law, ius positivum)というものがあります。自然法は、人間は自然の一部であり、人間が自然法則という普遍性に叶う性質をもつということに根拠を置くもの です(「自然法とは、自然が全人類に教示する法にほかならない」ヴォルテール『寛容論』[1763=1970:43])。そのような普遍に到達するには人 間の理性に叶うものでなければなりません。すなわち、自然法の基本概念は、普遍性・不変性・そして合理性です。これ に対して実定法は、法典により書かれており、実際に機能している法律のことを指します。実定法の考え方に基づけば、法律は実際に機能していなければ意味が ありません。また、実際に機能しなくなれば、廃棄されたり、また実態に合うように修整されなければなりません。法の普遍性よりも、法の実際の運用(=経 験)において矛盾や齟齬をおこすようなものであってはなりません。つまり、現実によってつねに修整されることで意味をもつ法のことです。このような立場を 法的/法実証主義legal positivism)と呼びます。法実証主義は「正義・道徳といった形而上的な要素と法の必然的連関を否定し、規範と事実の分離を法の探求における前提とするため」、自然法Natural law)の考え方と対立する。

法理論のメインストリームとしての法実証主義(legal positivism)

単純化すると、法実証主義が現代法学の主流で、それはハンス・ケルゼンHans Kelsen, 1881-1973)、ハーバート・ハートHerbert Lionel Adolphus Hart, 1907-1992)、ジョセフ・ラズJoseph Raz, 1939- )の系譜をたどります。また、その傍流としての歴史法学派としてカール・シュミットCarl Schmitt, 1888-1985)が、自然法派としては、ジョン・ロールズJohn Bordley Rawls, 1921-2002)、ロナルド・ドウォーキンRonald Dworkin, 1931-2013)[→解釈主義(Interpretivism)(Legal Interpretivism)]があげられます。

法の概念を用いた、法の相対主義的理解

さて、自然法においても、実定法においても、それが理解さ れる法律の起源は古代ギリシャや古代ローマに遡れるようです。しかし、それ以外の世界——例えば狩猟採集民や無文字社会、あるいは伝統社会——では、法と いうものはないのでしょうか? 文字がない社会でも、なんらかの規則や罰則があり、それは記述されていませんが、機能しているという点では実定法的な性質 (=機能と言います)をもちますし、それらを私たちの法と比較することで、私たちと彼らの法概念に通底する自然法的考察が深まることになります。

法人類学の嚆矢——社会学の古典との関連性について

英国のHenry Sumner Maine(1822-1888), "Ancient Law"(1861) は、(i)地縁的な隣接関係を基礎にした政治組織と、(ii)血縁的な親族関係をもとにした政治組織の、統合について考察した。後者の(ii)は、 Lewis Henry Morgan (1818-1881)が『古代社会(Ancient society)』(1877)が、イロコイほかの民族の事例から分析した。

Max Weber(1864-1920)の『経済と社会』の中に、司法的領域とりわけ、近代法と国家、あるいは官僚制について論じた箇所がある (Wolfgang J. Mommsen (1992). The Political and Social Theory of Max Weber: Collected Essays. University of Chicago Press. p. 46. ISBN 978-0-226-53400-8. Retrieved 22 March 2011.)。法は社会における統合的な力=権力という点では(後述する)マルクスと見解を同じくするが、ウェーバーの法の理解は、マルクス[主義]より も、より実定法の側面を強調する。ただし、法の理解については両義的なところがあり、一方で社会の合理化のプロセスのなかに立法措置などをみる一方で、法 =合理主義が、ある種の臨界(クリティカル)状況を生み出すこと——法が人間の権利を保証し自由をもたらすと同時に、法による支配が疎外状況を生み出す可 能性——について示唆することを忘れない。

法理論家は、犯罪行為のような行為を個人に帰属さ せて、個人の有罪性を決定するという論理的問題に関 心を向けてきた。ウェーバーは、このアプローチを彼 自身の要求に適応させて、[ウェーバーは]人間が社会的行為に賦 与する「意味」に関する社会理論を発展させたのである。 」(ベンディクス、ラインハルト(リンハート) 1988[1962]『マックス・ウェーバー』(下)、 折 原浩 訳、p.515、東京:三一書房.)[→クリフォード・ギアーツ:意味のパターン

Emil Durkheim (1858-1917)が法について言及したのは、『社会分業論(De la division du travail social)』(1893)において、有機的連帯と機械的連帯における法の機能が異なることを指摘した(The Division of Labour in Society)。つまり、機械的連帯にもとづく社会は「応酬的(retributive)」—— マルセル・モースの用語では互酬的——であり、有機的連帯にもとづく社会は「復元的/現状復帰(retritutive)」である。1950年に英訳が出 た「専門職倫理と市民的道徳」において、デュルケームは、19世紀における契約法と所有法の展開について、この議論を敷延している。

法人類学の船出

Bronisław Malinowski(1884-1942), "Crime and custom in savage society," 1926. において、「未開社会(=野蛮人の社会 savage society)」において、法的秩序が成文法によらずとも保たれている実例を示した。そこで重要になるのが、成員の行動による紛争葛藤状態の回避であ る。マリノフスキーのポイントは、法的秩序は、西洋社会が用意する国家やがなくても維持できることであり、未開法が社会のなかで実際に機能している ことを主張した。(→西洋における秩序回避の伝統は、社会契約論を参照のこと)

Alfred Radcliffe-Brown(1881-1955), "The Andaman islanders; a study in social anthropology,"(1922)のアンダマン島民の行動を統制しているのは、ルールに従うことであり、そのためには制裁(sanction)の 取り決めがあることを強調した。(1933)は後に、法を定義して次のようにいう:「政治的に組織化された社会における力(force) の体系的な運用を通した社会統制のことである」(Roberts 1994:968)。総じて、マリノフスキーは未開法が西洋近代の法とは異なる独自なものであると考えたのに対して、ラドクリフ-ブラウンは、法の機能は 社会というものが存在する限りその機能として存在意義をもつと考えたのである。

イアン・ホグビン(1936)Law and order in Polynesia : a study of primitive legal institutions / by H. Ian Hogbin. With an introd. by B. Malinowski, New York : Cooper Square Publishers, 1972[1936]は、その著作にマリノフスキーの序文があるように、マリノフスキーの立場を踏襲している。

K.N. Llewellyn and E. Adamson Hoebel(ルウェリンは商法学者、ホーベルは文化人類学者)による、"The Cheyenne way : conflict and case law in primitive jurisprudence," 1941. がある。これは紛争事例研究を詳細に分析したものであり、米国のリアリズム法学の 伝統の影響を受けて、法がどのようにチェイニー先住民社会のなかで適用されているのかを報告したものである。

1950-1960年代の法人類学の研究は、紛争処 理過程の研究が主流になる。例えば、

The judicial process among the Barotse of Northern Rhodesia (Zambia) / by Max Gluckman(→マックス・グラックマン拡大事例研究法)Published for the institute for African studies University of Zambia by Manchester University Press ([1955]1973).

Justice and judgment among the Tiv / Paul Bohannan Reprinted (with a new preface). - London ; New York : Published for the International African Institute by the Oxford University Press , [1957]1968.

Social control in an African society : a study of the Arusha : agricultural Masai of Northern Tanganyika / by P.H. Gulliver, London : Routledge & K. Paul , 1963. - (International library of sociology and social reconstruction / founded by Karl Mannheim ; editor, W.J.H. Sprott ; v. 67)

Rules and processes : the cultural logic of dispute in an African context / John L. Comaroff, Simon Roberts: ppk. - Chicago : University of Chicago Press , 1981.

1980-1990年代のトレンド(あるいは現在ま で続く潮流)は、法的多元主義(legan pluralism)である。この考え方は、国家は法を独占しているのではなく、複数の法が共存しており、国家は、運用形態としての、それらの法の間のコ ントロールのほうに関心がある。法人類学において、法的多元主義の考え方が、現在まで大きな影響力があるのは、植民地期から現在(=ポストコロニアル期) にいたるまで、(旧)宗主国における法体系と、植民地の固有法(あるいは慣習法)の併存、相互浸透という社会的現実があったからである。(Brian Tamanaha, “The Folly of the 'Social Scientific' Concept of Legal Pluralism”Journal of Law and Society 20(2):192-217. (1993))。関連する学会として、The Commision of Folk Law and Legal Pluralism(学会誌:Legal Anthropology) 他に、Commition of Legal Pluralism が発行する Journal of Legal Pluralism がその専門誌としてある。

"Legal pluralism is the existence of multiple legal systems within one (human) population and/or geographic area. Plural legal systems are particularly prevalent in former colonies, where the law of a former colonial authority may exist alongside more traditional legal systems (cf. customary law). When these systems developed, the idea was that certain issues (e.g., commercial transactions) would be covered by colonial law, while other issues (e.g., family and marriage) would be covered by traditional law." (Wiki: Legal pluralism)

法的多元主義のもともとのねらい——古典的法的多元 主義——は、植民地期の法的状況についての現実的解釈にあったが、ポストコロニアル期における、あたらしい法的多元主義では、古典時代にもあった国家法の 相対化の色彩が増し、植民地経験のない地域においても法的多元主義というものがみられるという現実に着目する。また、グローバリゼーション下における人の 大規模な移動と移住の結果、世界のさまざまな場所で、法的多元主義にもとづく、現実の法的な解決や、紛争問題処理がより切迫感をもって必要とされるように なっているからである。また、あたらしい法的多元主義は、世界各国の法学者の研究による国際交流や研究交流を促進させ、地球上の法的問題に、グローバルに 考え、ローカルに行動する、法的多元主義がもたらすプラグマティックな処方が現在まさに求められているからでもある。

法文化(legal culture)論

法文化(legal culture)論、 ないしはリーガル・カルチャー論とは、比較法学や歴史的法理学[法哲学]の伝統から、法の相対性を 説き、その相対的思考(=法の概念や価値観の差異は文化の差異と同様に推論することができる)から生まれてきたものである(→日本の「法文化学会」)。したがって、法文化論は(西洋の 法とは)異なった法システムの研究と、比較法学ないしは多文化間法学(transcultural law studies)という2つの潮流からなる。それに対応する文化人類学研究は、前者では民族誌学であり、後者は比較文化研究であろう。

"Legal cultures can be examined by reference to fundamentally different legal systems. However, such cultures can also be differentiated between systems with a shared history and basis which are now otherwise influenced by factors that encourage cultural change. Students learn about legal culture in order to better understand how the law works in society. This can be seen as the study of Law and Society." Source: legal culture

日本の法人類学の魁たる千葉正士(Masashi CHIBA, 1919-2009)での、法学一般における業績の評価は、このリーガル・カルチャー論によるものである。それは法人類学そのものが、リーガル・カル チャー論の一分野であるという理解も可能だからである。

しかし、他方で、「事実と法の関係性」(ギアツ 1999:294)を追求するのが、ローカル・ノレッジ研究の眼目であるとするならば、解釈人類学のアプローチは、リーガル・カルチャー論にとっても書か せない方法論的なヒントになるだろう(→「法・感情・ロー カルノレッジ」)。それは他ならぬ、彼が「法を社会的想像力の一種ととらえることに意義がある」と述べているからである(ギアーツ 1999:387)。(→「法研究における解釈学的転回」)

Geertz, Clifford, 1983, Local Knowledge : further essays in interpretive anthropology. New York : Basic Books, 1983(ギアーツ,クリフォード, 1991, 『ローカル・ノレッジ:解釈人類学論集』梶原景昭ほか訳, 東京:岩波書店).

法人類学の現在:タマナハの批判を超えて

法的多元主義の対語は、法中心主義で、後者の法のモ デルは国家法である。国家法は、国家ないしは政府が法制定権力を行使して条文化された一連の法律のことである。Brian Tamanaha,(op. sit. 1993)は、法多元主義が法中心主義をマニ教的に批判し排除することはナンセンスだと主張する。タマナハによれば、この地球上に国家法の及んでいない場 所は、ほとんどなく——南極や宇宙空間あるいは月面はその例外地——慣習法は、国家法の支配のもとで機能することができ、実際の法治国家は国家法のもとで 法的統治を遂行している。慣習法と国家法は相互に排除して、どちらが不可欠で中心的な存在というわけでない。家庭のなかではたらく規範を国家法が先導して いるわけではないが、裁判所が機能しない社会は、やはり法的統治に失敗してると言わざるをえず、国家はその是正に努める必要があるというわけである。

タマナハは、その際に、(国家法をモデルにする)法 的規範と、規範一般(慣習法はその中に含まれる)は、区分しなければならないと、法的多元主義の立場を批判する。他方、マリノフスキー、ホーベル、ウェー バー、ハーバート・ハート(H.L.A. Hart, 1907-1992)などの法的多元主義を擁護する知的伝統においては、法的規範と規範一般の連続性を尊重する。後者が十分に命題化 できないアポリアを、タマナハは「マリノフスキー問題」と呼ぶ。

このように法的規範と規範一般に切断/分断/区分を 主張するものと、あくまでも連続性を主張する法多元主義の間には半世紀にわたる確執があるといっても過言ではない(Moore 2001)。

そのような確執を乗り越えて、法現象のグローバリ ゼーションや、ローカルとナショナルの二元論から、ローカル/ナショナル(メゾレベル)/グローバルという領域における法現象をさらに相対化する認識論的 立場も今後可能性が広がるだろう。また、法現象は社会的現象のひとつであるが、その中のプレイヤー=法的主体は、それらの空間領域を自在に移動するような 存在にもなってきたので、ローカル/ナショナル(メゾレベル)/グローバルという領域における法現象に、法的主体(=個人のみらず団体も含まれる)の存在 =プレイヤーを加えることで、その研究により複雑な立体化を可能にする。(cf. Mobile people, mobile law : expanding legal relations in a contracting world / edited by Franz von Benda-Beckmann, Keebet von Benda-Beckmann, Anne Griffiths Aldershot, Hants, England ; Burlington, VT : Ashgate , c2005. - (Law, justice and power))

法社会学との相違について

デイビッド・マクレラン(1985:13-14)に よると、マルクス理論のなかで一番貧困な領域は政治論である。にもかかわらず、マルクスとエンゲルスは、ブルジョア国家における法システムの機能がもつ働 きについて重要な貢献をしている。それは、ブルジョア国家体制において、法システムは階級(=プロレタリアート)抑圧のための装置になることである。そし て、その時代における支配的な階級が、その階級維持のために「法的正義」の概念を構築するわけであるので、その論理的帰結としては、法概念の歴史的相対性 を示唆したことになる。(→ブルーノ・バウアーを批判するカール・マルクス

マックス・ウェーバーとエミール・デュルケームにつ いては上述(=「法人類学の嚆矢——社会学の古典との関連性について」のセクション)で触れた。

法について触れた社会学者として、マクロ社会学の嚆 矢としてのタルコット・パーソンズとジョージ・ギルヴィッチがあげられる。しかし、1970年代までは、社会学研究における法の問題はそれほど重要なテー マにはならなかった。そのなかでも、例外的な存在は、彼の独自のシステム論を樹立したニクラス・ルーマンである(『法の社会学的理論』『社会システムとし ての法』)。

社会学における法研究での書物を指摘するならば、以 下のものがあげられよう。

伝統的には法社会学は、知識社会学のアプローチとの親和性をもつといわれる。またミクロ社会学の領域において、シンボ リック相互作用論などの影響下では、レイ ベリング理論が、犯罪の認定プロセスについての理論的貢献をおこなっている。

また、ネオリベラル派の法と経済理論家たちは、法実 証主義や法的リアリズムに対して、さまざまな挑戦を試みている( Law and the economy / Roger Bowles: pbk. - Oxford : M. Robertson , 1982)。また、この動きに抵抗するかたちで、批判的法研究運動(Critical legal studies movement)というものがある。

Benda-Beckmann, Franz von, and Keebet von Benda-Beckman の著作リスト

キーワード集(法人類学の——)

法、法律、秩序、紛争、規範、統治、実定法、慣習 法、自然法、処罰、制裁、権力(法的——)、国家法/非国家法、未開法

law, norm, order, conflict, dispute, governmet[ality], positive law, custom, custom law, natural law, punishment, sanction, power, legal power, state law/non-state-law, promitive law

(テーマ)以上のことを整理すると……(図はクリッ クで拡大します)


※法人類学の4つのエポック:【未開法の発見】【法 概念の相対化】【機能主義的人類学】【現代の法人類学[紛争処理過程/法多元主義/移行期正義]】

■法人類学をステップ・バイ・ステップで勉強したいひとのために

関連リンク

文献

関連リンク(サイト外)

関連リンク(サイト内)[→応用法人類学=Applied Leagal Anthropology, ALA に有益なリンクがあります

他山の石(=ターザンの新石器)

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