政治人類学特定演習[シラバス]
Anthropology of Political
Philosophical Thoughts, ver. 2013
解説:池田光穂
◎開講科目名
2013年度開講「政治経済の人類学特定演習」人間 科学研究科 (前期)211684/ 「政治経済の人類学特別演習」人間科学研究科(後期)211685
第一学期:月6:2単位
開講場所:
◎コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)池田研究室:Google
マップ【http://bit.ly/banPOM】
◎授業題目:政治経済の人類学(または、政治人類学)を「問題に基づく学
習」手法を通して学ぶ
◎授業の目的:
この授業では次の3つの目標を掲げます。
◎講義内容
民主主義社会では、個人の諸権利が認めら れた上 で、社会の将来をその政治に参加する人達自身が決定してゆくという仕組みがあります。他方、自由主義経済というものがあり、財の私的所有を前提にして、そ の生産・流通・処分という活動になるべく制限をかけない(つまり放任にもとづく)社会制度が保障されています。つまり政治的民主主義と経済的自由主義は、 人間の「幸福の追求」のため基本的条件とされているのです。人類学を学ぶ者として、我々はその理念一般に関する議論よりも、具体的にどのような形で我々の 生活のあり方にこれらの思考が影響を及ぼしているのかについて考えたいと思います。政治経済というのは、現代の生活を考える上でも根幹であるとしばしば主 張されるので、この現象を人類学的に考えるというのは、まさに我々の社会について再帰的に考えるという意味で、自文化人類学(native anthropology)であり自己反省的人類学(reflexive anthropology)の実践にほかなりません。
◎授業計画
授業の最初に、授業概要を説明した後に、どのよ うに学習を進めてゆくのかを、受講者と教員がともに「合議」して方針を決定する。
◎学習方法
学習者自身が中心となり、反省的反復の作 業をと もないながら、実践される少人数グループの教育手法ことを、「問題にもとづく学習」 (Problem-base Learning, PBL)とよぶ。PBLのミニマムな定義は「学習のために問題を使用する」(ウッズ 2001:xi)ということである。PBLを方法論という観点からここで定義すると「少数の学習者が問題解決のために、議論と学習の反復を通して学ぶ チュートリアル形式の学習」である。ここでいうチュートリアル(tutorial)とは、学生と助言者であるチューターが集まる討論形式の授業のことをい う。またPBLをこの手法が最終的にめざす目的という観点から定義すると「膨大な基礎知識と豊かな実務経験をもち、複雑に入り組んだ現代社会の〈現場〉で 永続的かつ適切に働かせる市民の知識と技能を確立・維持させるための成人教育(andragogy)の技法のひとつ」ということになる。PBLを理解する ためには、まずその批判の対象になり、また長い間PBLの仮想敵と思われてきた「従来の学習」に関するモデルについて知っておく必要がある。その従来の学 習のモデルとは、ひとことで言うと「系統的学習(systematic learning)」と呼べるものである。しかしながら、現実の学習の場は、それらの2つの方法論が相互に補完して、助け合う場面も少なくない。この授業 は、それらの方法論的な基盤の上に立って、時に戦略的かつ総合的に、時に戦術的かつ折衷的に取り扱うこととする。
Nasrani-Jahudi
dalam
Madilog, Tan
Malaka, 1948
◎教科書
教科書や参照文献は、合議により決定した「学習 テーマ」から学習者が各人、各グループで探索してゆくものだという考え方に基づき、この時点で、あらゆるものが教科書であり、あらゆるものが必要な文献と なる。
◎基礎用語リンク
◎参考文献
◎成績評価
成績評価の基準はおもにグループ討議とプレゼン テーションによる。そのため出席を重要視する(60%)。グループ全体での評価(20%)と個人による努力による評価(レポートや試験など:20%)の配 分で、先の成績を補完して綜合評価とする。
◎受講生へのメッセージ
自分でテーマを見つけ、自分で課題を解いてゆく 勉強は、何が出てくるかわからないところが、楽しみでありますが、同時に不安の種です。後者の不安の種を解消するためには、グループのメンバーでの相互の 相談や、全体討論のなかでの思わぬ友人(=受講生)の発言が役に立つかもしれません。この授業は参加することに意義がある授業です。参加する楽しみを会得 してほしいというのが、教員(=授業提供者)の細やかな希望です。
◎資料集:解錠にはパスワードが必要です(ファイル サイズは1.5MB〜4.3MBです)
◎資料リンク(インドネシア共産党関係)
Marco Kartodikromo (1890 – 18 March 1932)
"Born to a low-ranking priyayi (noble) family in Blora, Dutch East Indies, Kartodikromo's first employment was with the national railway. Disgusted by the racism shown there, in 1911 he moved to Bandung and found work as a journalist for Medan Prijaji. The following year he moved to Surakarta and worked with two publications, Saro Tomo and Doenia Bergerak; he soon began to write pieces critical against the Dutch colonial government, which led to his arrest. After a period as a correspondent in the Netherlands, Kartodikromo continued his journalism and critique of the government; he also wrote several pieces of fiction. Involved with the Communist Party of Indonesia, after a 1926 communist-led revolt Kartodikromo was exiled to Boven-Digoel prison camp in Papua. He died in the camp of malaria in 1932." Source: Marco Kartodikromo
◎資料集(2)山内昌之『スルタンガリエフの夢:イ スラム世界とロシア革命』東京大学出版会、1986年
◎義務と権利は直交する概念だというX氏のコメント に対して考えてみた(2017年5月)。
それに対してY氏は「 自由主義、民主主義、社会主義と来れば次は共和主義が普通でしょうが、そこで無政府主義とは垂水(源之介)さんらしい」とのコメント。権利と義務という余 計なものを発明したから政府=国家という根源悪をつくるわけですよ。そういう意味で、僕はピーエル・クラストル主義者ですねと応答。アナルコサンジカリズ ムが、フランコ体制のなかで抵抗として生まれたのは、じつは社会的紐帯という義務を担保しながら権利を放棄させまいとう、対抗イデオロギーだったというこ とがよくわかります。僕のアナキズム志向の図式からみるとやはり無理があったと反省。《僕はヌアーの子供だったという話》という考察を経て次のような結論 に至る。
義務と権利がなす空間での政治オプション——だが多
次元の政治オプションを考えるにはもう時代遅れかもしれないというのが、結論。
◎《僕はヌアーの子供だったという話》
エバ
ンズ=プリチャードは、権利と義務概念の無用な政治権力の考えをヌアー(ヌエル)社会のなかにみました。その場合の権力とは部族だというわけで
す。したがって、ヌアー(古典的な歴史的存在としての)は中央政府をもたなくても、権力をきちんと発動することができます。このアイディアを踏まえて、ラ
テンアメリカの地域学会誌に投稿しましたが、査読した2人の政治学者には(中央政府の研究を含む)先行研究を踏まえていない、所感だけをならべたエッセー
だと酷評されて没となりました。研究ノートでっせぇ。ちょっとトラウマになりましたが、クールダウンしたら、査読者のコメントもよくわかる。今は、地域研
究学会というのは、分野の異なる研究者のアソシエーションではなく烏合の衆だと、わかりました。つまり、僕の所属するある学会は、ヌアー社会だったわけで
す。部族=専門集団のセクション体系により境界管理の政治をおこなう、と……
資料リンク
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