民族・民族集団・エスニシティにまつわるエッセー
Essays on Ethnicity, Ethnic Groups, and Ethnicity
解説:池田 光穂 仮想・医療人類学・辞典
民族ないしは民族集団(ethnic group)とは、文化(言語、習慣、宗教など)で区分される集団のことである。
集団を区分する境界は、歴史的にも社会的にも変化し、また、民族集団が自己の集団から定義される 場合と、国家や他の民族集団と定義される場合にも齟齬があることから、民族集団は固定的で、永続的なものではない。
ただし、近代国家制度の中では、さまざまな政治経済的あるいは法的な要因で、民族集団としての独 自性が一定の権利をもって保証される必要性がある。その際には、民族集団としての文化的尊厳は尊重されなければならない対象になる。
■エスニシティ(ethnicity)は、民族集団から派生した用語で、民族の(ethnic)という形容詞の名詞形から、それ自体で民族=民族集団の意味
をもつ。
■エトニー(ethnie)とはアンソニー・スミス(1982) らの独自的な使い方で、前近代の民族——つまり本源主義な (primordialists)的な意味での——集団を措定しているが、これは自己評価と他者評価においてとりわけ著しい齟齬のない民族集団であると理 解してよい。
***
■部族:民族集団と同義ないしは、その下位集団ともみなされるが部族(ぶぞく, tribe)も、しばしばもちいられる。英語のトライブの翻訳語である部族は、大英帝国の植民地ではしばしばよく用いられてきた。部族集団(tribal group)ともいわれる。エスニック・グループ(=民族集団)とエスニシティの関係のように、トライバル・グループは具体的な民族(=文化や言語を共有 する集団)を、トライブは、その集団という抽象ないしは一般概念という意味で使われるこ とがある[→部族,強い文化概 念としての部族]
日本語の民族(minzoku)に相当する欧米語にはつぎのようなものがある(井 上 1987:749-50)。
★英語:people, ethnic group, ethnicity, nation
★ドイツ語:Volk, Ethnos, Nation
★フランス語:peuple, ethnie, nation
日本語においては、民族という言葉は専門用語というよりは一般的な言葉であり、後者はきわめて多 様である。これが民族を研究対象とすることの多い文化人類学者にとって頭痛のたねである。この説明の下の部分にある[人種概念としての「ミンゾク」]を参照にしてください。
【文化人類学における民族の定義】
文化人類学・民族学者による古典的な民族とは、ある土地に集団を形成する人びとのことであった。 これは、文化人類学の研究対象が、もともと先住民族つまり「土着の人」たちであり、形成期の文化人類学者の出身であった「西洋からきた文明国の人びと」で はなく、土地に張りつき、土着の固有の言語と文化を保持している人びとであったことに由来する。それゆえ、文化人類学者は、非西洋で、なるべく文明に接触 したことのない、固有の文化をもつ(文化人類学者たちが考える)人びと、つまり土着の集団を捜そうとしてきたし、それが民族だと考えていた。
やがて(実際には言語の混交や交流があるにも関わらず)言語の独自性が民族集団を弁別する特徴と みなされるようになった。つまり、独立した言語集団と、ある言語グループにおける方言集団を分ける見方である。にもかかわらず、他方で言語が異なっても、 ある広域的な土地においては、文化的慣習が類似のものがあり、文化による弁別が、別の民族集団を峻別する指標にも採用された。もちろん、集団は婚姻によっ て再生産の基礎をおくので、婚姻のルールもまた民族集団の特徴として採用される。そして、それにより生物学的な集団的特性——つまり人種的特徴——もま た、民族集団との関連性があるとも考えられた。これらの特徴を累積すると、膨大な分類体系ができあがることは想像に難くない。植民地時代後期には、このよ うな民族集団の多様なリストができあがり、一種のバロック的とも言える状態を形成していた(cf. ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』1991年版、第10章「セン サス・地図・博物館」を参照)。
現在の人類学者の多く理解するする民族概念とは、民族集団(ethnic group)のことであると言ってよいだろう。民族集団は現在ではフレデリック・バース『民族諸集団と境界』(1969)が与えた定義であるところの、自 他共に承認された帰属意識が作用する場(容器)のことである【民族境界論の解説へリンク】。人 間のグループの概念範疇であるはずの民族集団が、場や容器といった空間的表象であらわされているのは、民族が特定の空間(物理空間のみならず象徴空間や意 味空間なども包摂する空間)との結びつきがつよいためである。また場や容器への帰属意識と、その境界を維持するということは表裏一体となるので、この民族 集団のモデルは、基本的に他の民族に空間的に排他的であり、常に境界をつくりあげることで帰属意識の安定をはかっていることになる。
ところが、人間の集団一般には、このような民族集団のモデルに完全に合致しないものも少なくな く、また帰属意識や境界も歴史的にみれば動態的に変化している。文化人類学の専門家の中には、このモデルを批判したり、より詳しい修正モデルを提案するも のもおり、またそれについての議論も多い。
このようにみると、文化人類学における民族概念は、ある土地にはりつく集団(=それにより本物の 民族がどうかを識別できる)から、民族意識を共有する人たち(=民族集団であるかどうかは生活を観察するだけでなく、本人たちに「あなたは何人なのか」と いう問いかけをおこなわないとならない)というふうに、長期的に変化してきたことがわかる。つまり、文化人類学者たちによる民族集団の定義は、民族が確固 とした集団だという意識(これを本質主義的理解という)から、民族は帰属アイデンティティにより規定されるダイナミックな過程にあると考えられるように なってきた(エドマンド・リーチ『高地ビルマの政治体系』を読めば、カチンと呼ばれている人たちがこのダイナミズムの中に生 きている集団であること、つま りカチンであることは固有の属性ではなく、カチンという生き方そのものであることが、見事に論述されている——これは実際のカチンがそう意識するかどうか とは別の議論ではあるのだが……)。
【近代日本における「民族」概念の変遷】
近代日本における民族の概念は、柳田國男による雑誌『民族』(1925)の発刊の以前と以後にわ けてみるとわかりやすい。
人種概念としての「ミンゾ ク」、ネーション(国民)としての日本民族
1925年以前には、志賀重昴(1863-1927)、三宅雪嶺(1860-1945)、徳 富蘇峰(1863-1957)などが「我等大和民族」などと使い、ナショナリズム的文脈で、他者と区別する際に使っていた。
つまり、この文脈で使われる「民族」(特にヤマトミンゾクと発話された時にみられるミンゾ ク)は、端的に言うと、人間の集団の特性における固有性が全面に出た概念であり、文化人類学者がいうところの人種(race)の概念として使っていること に注意すべきである。この「人種としての民族」の使い方は、国民=ネーション(nation)概念との混同に起因するものであり、日本人が素朴に使ってき た「我々は単一民族国家であり、一つの家のようなものだ!」という表現 の中に典型的に現れる。そして、現在でもなお「民族(ミンゾク)」という言葉が発せられた時に、じつはネーションという意味をもっていたものが、国民の意 味であったことを忘却して、今日では、さまざまな解釈を生み、議論が混乱する原因となっている。
おまけに、日本では、例えば、かつての「日本の民族責任」という用語は「日本国民の責任」に
ほかならないのだが、戦争責任論などの議論では、「責任の所在は当時の政府にあったのではなく国民ではない」という責任の回避論を平気でおこなう自民党や
民主党(現在の民進党)の国会議員が出てくる始末である。総力戦概念の登場以降——戦費の調達も議会の承認がいる——政府の戦争遂行に対して国民が全く免
責される根拠というものはなく、政府は国民の下僕なのであるから、かつての戦争遂行や他の主権国家に対する侵略行為や領土併合などの権力行為には、当然「日本国民の責任」が生じているのである。だが、こうい
うことを忘却した/健忘した人たちは、靖国神社が、かつては、帝国陸海軍の護持と指揮管理下にあり、霊璽簿に登録する業務と直接関係する、戦死者への恩給
などの登録システムと無関係であったことを再度思いだす/学ぶべきだろう(1945年の敗戦後はそれらの業務が厚生省援護局、厚生労働省援護局に引き継が
れる)(→「国民国家」)。
フォークとエトノス:柳田國男の理解
それに対して柳田は1925年前後——つまり岡正雄と共に雑誌『民族』を刊行する時期 (1925-29)——に講演をおこない次のように述べている。Volkは単数形で「我が民族」のことを、Ethnosは、自国以外の多くの民族を研究す るものだと主張した。
柳田には、海外経験をもつ知識人と共通する外国語コンプレックスとそれと無関係ではない西欧 諸国家との「対等」の立場に日本をひきあげるべきだという考えるふしがあった(村井 2004)。柳田の独自性は、これらを西欧の学問の直輸入ではないオリジナルなものをうち立てようとしたところにある。もっともこの独自性は、また日本の 民俗学/民族学の発展にとって功罪あわせもつ効果をうんだ。
功罪のうち功はすでに多くの書物や文献において主張されているのでここでは省略する。
問題は罪のほうである。柳田の枠組は、後世には国粋的で経験主義的な民俗学研究と、異国趣味 で自国の状況に対する省察を欠く民族学研究へと二極分解をもたらした(→「捉え難い真理への探求と、人類学の研究倫理」)。
◎ロドルフォ・スタヴェンハーゲン『エスニック問題と国際社会 : 紛争・開発・人権』(原題:The ethnic question : conflicts, development, and human rights, 1990.)
第 1章 今日のエスニック問題 | |
第2章 国家と民族—理 論的考察 | |
第3章 民族とエトニー —エスニック問題の枠組み | |
第4章 ラテンアメリカ の文化と社会 | |
第5章 国際システムに おけるエスニック権利 | |
第6章 エスニック紛争 | |
第7章 エスノサイドと 民族発展 | |
第8章 先住民族と部族 民族—特別なケース | |
第9章 西ヨーロッパの 移民とレイシズム | |
第10章 エスニック権 利と民族政策 | |
第11章 教育と文化の 諸問題 |
★韓国に少数民族が「存在しない」という意識は、自民族中心主義か?
"Korean historiography has experienced an ethnicisation of its discourse, asserting an ethnically homogeneous Korean ‘national people’ since 4,000 years ago that has supposedly never harboured any minority groups." by Arnaud NANTA, 2008.
Arnaud
NANTA, Physical Anthropology and the Reconstruction of Japanese
Identity in Postcolonial Japan. Social Science Japan Journal, Volume
11, Issue 1, Summer 2008, Pages 29–47, https://doi.org/10.1093/ssjj/jyn019
■ 民族と民族表象(→「先住民表象と先住民運動」)
民族(または民族集団)とは、社会文化的特徴と価値を共有する人たちの集団である。民族表象とはしばしば、言語、衣装、遺跡モニュメン ト、生活習慣のよう な眼に見えて顕示的な徴であるものから詩歌や文学作品さらには思想やアイデンティティと いう見えにくいものまで多種多様にわたる。人類学者の多くは、民族 や民族表象の定義や規定をする際に、本質主義的なものよりも構成主義的なことを採用する傾向が強くなってきた。社会集団の成員は、しばしば超時間的に人々 が維持している共通項よりも、国家や隣接する集団との関係の中でおこった「出来事」の中で取捨選択されてきたものを、その民族の固有の特徴や成員のアイデンティティとして理解することが多いからである。ただし、このような歴史は容易に忘却 されてしまい、一度何らかの理由で廃絶した民族表象が復興される際に は、現実には想像的に復元されたにも関わらず、当事者自身にも本質主義的なものとして普遍的な価値が主張されるという、文化の客体化ないしは文化の再領域 化という現象が広く認められる。民族や文化の定義をめぐって古典的合意が崩壊し、これまでの学術的議論の枠を超えて、現代政治をも巻き込んだ社会的な論争 的なテーマとして、今日浮上している(→「先住民表象と先住民運動」)。
【文献】
*この本は私はウェブページを作成した後に出版されましたが、日本学術会議の人類学・民族 学研究連絡委員会の「人種と民族」の概念を検討する委員経験者であるこの本は、人種と民族を考える重要な本です。是非一読してください。
【リンク】
*この本における村井の柳田批判(最初の版は1992年刊)には、論拠が不十分で憶測によ るものが多いという民俗学サイドからの反論があります。しかし、村井の批判を通して、当時の民族学と民俗学の区分の誕生や、それらの両学問と日本の植民地 主義・帝国主義の文化観・人種観・民族観など関係が論じられるようになりました。そういう意味で重要な本です(→「村井紀『南島イデオロギーの発生』ノート」)。
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099