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アイデンティティ

identity

池田光穂

エリク・エリクソン(Erik Homburger Erikson, 1902-1994)の用語で、同一性(どういつせい)とも言われる。生 物学の用語では種を確定することを「同定=アイデンティファイする」と言うが、これは種の理念型(イデア)と眼の前にある個体を「同一なものと見なす」こ とを指している。アイデンティティという用語は心理学・精神分析の用語から派生したもので、人間が自我を確立する際に、自分以外の他者(な いしはそれに相当する人格的理念)の存在と同一化することを通して、人間の人格的成長をなしとげる。そのような人格表象あるいは、人格表象との同一化、同 一化のプロセスなどを含めたものをアイデンティティと呼ぶ。そして、各人のそれぞれのライフサイクル(誕生から老年になり死を迎えるまでの成長の各時期) のなかで、アイデンティティは多様に変化するものとされる。

エリクソンは『アイデンティティ:青年と危機』(原著22ページ)において、アイデンティティを定義して次のように言う。

「(アイデンティティとは)個人の中核、さらに、彼のコミュニティ文化の中核に位置するひとつのはたらきであり、まさに、これらの2つの同 一性の一致(identity of identities)を確立するはたらきである」

エリクソンのアイデンティティは、フロイトが実際にイデンティタートという用語を使ったことに由来することを認めている。

「フロイトは、ユダヤの共同体に彼をつなぎとめる絆は、その共同体独特の「暗い感情の力」および「内なるアイデンティティの明確な意識」 (die klare Berwusstheit der inneren Identitat)すなわち、「共通の精神構造を内に秘めること」(Heimlichkeit der gleichen inneren Konstruction)であると言い、エリクソンはこのフロイトの表現の中に自分のアイデンティティ概念の原型を見ている」(星野美賀子「訳者解説」 E.H.エリクソン『ガンディの真理(1)』319ページ、みすず書房)

アイデンティティのミニマル(最小限)の定義は、「その人が、自分が何者 であるかを考えるときに、参照にする他者(単一とは限らない)とのモデルが合致したとき、その人のアイデンティティとは、その人の外部にある他者との共通 点で示される属性を軸に自分を語る《同一のもの》」ということができる。したがって、アイデンティティを意識するときには、他者に語られるあるいは、自分が他者にむかって、自ら語 る「私とは〜である」という、言説の実践行為が伴っている

しかしながら、サイモン・ブラックバーンの『オックスフォード哲学事典』や『スタンフォード哲学百科事典』の「パーソナル・アイデンティティ」 の議論をみると、この系列とはまったく異なった解説に出会うことができる。

"Personal identity deals with philosophical questions that arise about ourselves by virtue of our being people (or, as lawyers and philosophers like to say, persons). This contrasts with questions about ourselves that arise by virtue of our being living things, conscious beings, material objects, or the like. Many of these questions occur to nearly all of us now and again: What am I? When did I begin? What will happen to me when I die? Others are more abstruse. "

「個 人的アイデンティティは、私たちが人間(あるいは、弁護士や哲学者が言うところの「人」)であることによって、私たち自身について生じる哲学的な疑問を扱 うものである。これは、私たちが生物であること、意識を持つ存在であること、物質的な物体であること、あるいはそのようなものであることによって生じる私 たち自身に関する疑問とは対照的である。このような疑問の多くは、私たちのほとんどすべてに、今も昔も生じている: 私は何なのか?私はいつ始まったのか?死んだらどうなるのだろう?他にはもっと難解なものもある。」

文化人類学者にとって、人々のアイデンティティについての関心は、個人が自分 の外側にあるものに《同一化》することで、自分とは何かを発見したり、またその意識を内面化するとして、でははたして、そのアイデンティティは、その個人 の固有の独自なもの(sui generis)なのだろうか、それとも、社会的な動物としての人間が、自分の外側にあるものが共通したり共有化されたりしていたら、それらのアイデン ティティとは集合的なものではないか?——集合的/集団的アイデンティティ(Collective identity)——ないしは、非常に同質化する傾向のものがあるのではないか?という可能性である。

自己は他者を経由した自己への同一性なので、ヴァルター・ベンヤミンは、アイ デンティティとは「私が私に似ることへの強制」と、アイデンティティ概念が自己に反響する時の息苦しさを見事に表現している。

ナンシー・フレイザー(2003:280-281)は、マルチカ ルチャリズムが潜在的にもつ、差異本質主義化し、差異をポジティブで、本来「文化的」なものとして見なして称揚することの欺瞞性 に対してきわめて批判的である。これは、アイデンティティの実体化であり、集団を一枚岩としてみなすことになる。これがなぜ問題かというと、その集団構成 員の間の不平等(経済、ジェンダー、発言権、異なるものになる可能性や潜在性などの不 平等)や、集団内の権力関係とりわけ支配と従属などを無視したり、(知りながらも)やり過ごすことにつながるからである。

 さて、ジョージ・アカロフとレイチェル・クラントン『アイデンティティの経済学』によると、人々の経済行為における意思決定プロセ スの中に、アイデン ティティが占める要素が多い。アイデンティティの定義を含めてそれを真剣に考えるべきだという主張である。

人間がもつ属性は複数で多元的であり、唯一のアイデンティティを強制——それも教育や治療という「美名」のもとで外部から——することは、犯罪 にも近い行為であるという主張もある。作家のアミン・マアルーフ(Amin Maalouf, 1949- )の主張がそれである。

「私たちの誰もが、自分自身の多様性を受け入れ、自分のアイデンティティを自分のさま ざまな帰属の総和として思い描くことができるよう励まされるべきです。自分のアイデン ティティはただひとつしかないなどと思ってはいけません——それは至高の帰属とみなさ れ、排除の道具、ときには戦争の道具になってしまうでしょう。とりわけ出身文化が自分 の生きる社会の文化と一致しない者たちに関しては、この人たちがあまりつらい思いをす ることなく、この二重の帰属を受け入れられるようでなければなりません。彼らが自分の 出身文化とのつながりを維持し、それを恥ずべき病気のように隠さなくてはいけないと感 じないで済むよう、そして同時に、彼らが受け入れ国の文化に開かれていくようでなければなりません。 ……同様にして社会もまた、多数の帰属をわがものとして受け入れるべきなのです。そのよう うな多数の帰属こそが、歴史を通じて社会のアイデンティティを作り上げてきたのであり、 なおも彫琢しつづけているのです。社会ははっきりと目に見えるシンボルを通して、多様 性を受け入れていることを示す努力をすべきです。そうすれば、各人が自分を取り巻くも のに一体感を感じられるでしょう。自分が暮らす国のイメージのなかに自分の姿を認める ことができるでしょう。不安を感じ、ときには敵意を感じながら傍観者として暮らすので はなく、その国の一員として積極的な参加を促されていると感じられるでしょう(アマルーフ 2019:185-186)」

ちがう角度から見てみよう。アイデンティティとは、自分が帰属する集団に同一化(アイデンティファイ)することである。また自分が望んで帰属し ている集団か ら、承認を得ることは本人にとって喜びである。しかし、アイデンティティを、もし、選択することと選択されることの合致と考えると、ある集団に新しく帰属 することは、潜在的に自分が属していたものから脱退すること、あるいは、より強い意味では、非所属の集団から排除される(=追い払われる)ことを意味す る。

対話論理からアイデンティティを理解するとどうなるだろうか? 「アイ デンティティは、同一性 (=単声性)に回収する、近代理性が用意した人間志向のエコノミーなの ではないかということです。このことをミハイル・バフチンの用語法に倣い「モノローグ的」ないしは「モノロジック」と呼んでおこう。我々は、そのことを自 覚した時に、アイデンティティ主義に抵抗する方法を模索しようとする。その方法のひとつは、「語る主体」を非同一性ないしは多声的な存在として、その都 度、生成として、過程として捉える視点を獲得することではある。これもバフチンに倣い「ポリフォニック」ないしは「ポリフォニー的」と呼んでおこう」(出 典「病いの語り:批判」)

そして、それは、ナショナリズムとアイデンティティの密約という ふうにも(政治理論的には)理解することができよう。

リンク(サイト内)

  • アイデンティティと生き方
  • 政治的アイデンティティ
  • 民族的アイデンティティ
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  • リンク(サイト外)

  • Personal Identity
  • Collective identity
  • 文献

  • Identity : youth, and crisis / Erik H. Erikson, New York : W.W. Norton , c1968/主体性(アイデンティティ) : 青年と危機 / E.H.エリクソン著 ; 岩瀬庸理訳,東京 : 北望社 , 1969
  • Black skin, white masks / Frantz Fanon ; translated by Charles Lam Markmann ; forewords by Ziauddin Sardar and Homi K. Bhabha: pbk. - New ed. - London : Pluto Press , 2008. - (Get political ; 4)
  • フレイザー、ナンシー『中断された正義:「ポスト社会主義的」条件をめぐる批判的考察』仲正昌樹監訳、お茶の水書房、2003年
  • アイデンティティ経済学 / ジョージ・A・アカロフ, レイチェル・E・クラントン著 ; 山形浩生, 守岡桜訳,東洋経済新報社 , 2011
  • アイデンティティが人を殺す / アミン・マアルーフ著 ; 小野正嗣訳, 筑摩書房 , 2019
  • その他の情報

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