はじめによんでね

camel.jpg君が学んだことを「総合知」にするためには?

How to integrate your knowledge that you have learned and studied

池田光穂・井上大介

電脳 人類大学附属・電脳人類学研究所が提供する

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知識を体系的にまと めて、その全体像(実際にはあり得ないのだが)をまとめて提示しようとしたのが、ヨハ ン・ゴットリープ・フィヒテJohann Gottlieb Fichte, 1762-1814)の知識学(die Wissenschaftslehre)である。彼は、1794-95年に『科学的知識の基礎(Grundlage der gesamten Wissenschaftslehre)』を出版し、知識の全体像を提示した。
日本語のウィキペディアのその項目は未完成であるが、彼の知識学の構想が、カントの哲学の体系系(ないしは体系的批判)という伝統からきている。その項目 を引用してみよう(/は改行)
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「18世紀末から19世紀まで一世 を風靡したカント哲学は、一方で優れて理論的で体系的であることから、なかなか理解されにくかった。

この哲学に対して、マイモンやラインホルト、シュル ツェなどがそれぞれカント哲学に対して何らかの答えを探ろうとしたものの、カント哲学からフィヒテに知識学を構想させる契機を与えたが、なかなかカント哲 学が新たに示した議論(物自体、理論理性と実践理性、知的直観等)に答えうるものにはならなかった。

フィヒテが知識学の構想に至ったのは、こうしたカン ト哲学に応えようとしたことに他ならず、『あらゆる啓示批判の試み』で一躍著名になってイェナ大学へ招聘されたフィヒテにとっての仕事であった。

フィヒ テによると、カントの『純粋理性批判』においては単に理論理性が、『実践理性批判』においては単に実践理性が取り扱われており、この二つの理性が並立的に 扱われているという。

カントは、理論理性においては超感性界を決して認識することはできず一方で実践理性は我々が認識しえない超感性界に属するものであ り、端的に自由な活動をするという。我々は超感性界ではなく、現象界しか認識できない。このため、実践理性は、我々の認識を超えた自由な振る舞いとして現 すことが可能であり(これは完全に自由というのではなく客観的に見ても倫理的であるように自ら律する(=アウトノミー Autonomie)働きも同時に持つ)、現象界においてのみ働く理論理性より上位にある能力とされている。しかしフィヒテによると、カントはこの段階で 終えてしまっており、両者の連関についての統一的な体系までは構築していないという。

実践理性にしても理論理性にしても、元々は人間(換言すれば「自我 (das Ich)」)であり、フィヒテはこの二つの理性の働きの元である自我という概念から、カントの理性の働きを体系づけようと考えるに至った」
知識学より)

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