はじめによんでね

池 田光穂・井上大介

知識生産学(Studies of Knowledge Production)とは、人間の知的生産に必要な情報を「資源」生産の要因を解析し、知識の生産の現場にフィードバックしてゆく学問領域です。その 研究手法は多様で、学際的、総合的であるので、ひとつの学問的ディシプリンではなく、学系のような一連の学問連なりからなる学問群のことです。

現在これに関連するページは「知識の理論、あるいは知の理 論」に収斂するように調整中です。そちらのほうにリンクでジャ ンプしてください。

そこで、理科系/文科系の二分法(C・P・スノー)の枠組を乗り越えるために、知識生 産に関する 諸学を「知識生産学系」として構想してみましょう。理科系と文科系という二分法が、すでに21世紀には知識生産にとって大きなネックになっていますが、多 くの人がその認識論的呪縛(=自然 発生 的認識論:G・バシュラールの用語)から逃れることができません。古い生き物を古い殻から追い出すには時間と労力がかかりますね。そのために、「知識生産 学系」という第三項の枠組を新たに構築し、それぞれの 両者 の政治的均衡を分解させるのです。これは、不況時にとかく「無用の長物」と見なされ勝ちな文科系の学問の良質な部分を救済し、無能な部分を切り離し、文科 系を活性化させ るこ とにも役立つことでしょう。

★4,5年ぐらい前からの霞ヶ関発の「総合知」って国際バカロレア系のヨーロッパの「知の理論」を格好だけを模倣して中身の精神性(魂としての哲学)を入れなかったから単なる 日本でやってきた教養課程(つまりリベラールアーツ) 2.0程度の姑息的改革全く意味ないよ.(垂水源之介

■ 知識生産学(Studies of Knowledge Production)【クリック!

■ 知識の理論、あるいは知の理論

■ 知 識を関連づける

■ リベラルアーツ

■ 高度教養教育(高 度で総合的知性を学ぶ)

■ 人文社会科学系教育 リソース活用による大学院教育改革の私案:2022-2027

電脳 人類大学附属・電脳人類学研究所が提供する

リンク

文献

その他の情報

  • +知識社会学の隘路知識の理論(旧版)/知識の理 論、あるいは知の理論現代理科系知識トレンド「知識に関する問い」と「知識の内容についての問い」を峻別することカール・マンハイム/文化人類 学入門文化人類学の学び方知的生産 学入門科学社会学入門カール・マンハイムとその知識社会学の構想社会学とは政治経済的思考の人 類学的な相対化について人類学的医学・人類学的医療KAPサイバー人類学医療社会学語彙集ベンヤミン、ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念医療人類学入門批判的・応用人類学・入門よい医療者を育てること戦 争[遂行]にとって人類学が役立つとはどういうことか?進化生物学と医療社会 学有機的知識人///////
  • 科学技術イノ ベー ション基本計画と総合知(2021)総務省国際戦略局・技術政策課▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
  • 旧クレジット:君が学んだことを「総合知」にするためには?:How to integrate your knowledge that you have learned and studied

    その他の情報





    ★フィヒテの知識学について

    知識を体系的にまと めて、その全体像(実際にはあり得ないのだが)をまとめて提示しようとしたのが、ヨハ ン・ゴットリープ・フィヒテJohann Gottlieb Fichte, 1762-1814)の知識学(die Wissenschaftslehre)である。彼は、1794-95年に『科学的知識の基礎(Grundlage der gesamten Wissenschaftslehre)』を出版し、知識の全体像を提示した。
    日本語のウィキペディアのその項目は未完成であるが、彼の知識学の構想が、カントの哲学の体系系(ないしは体系的批判)という伝統からきている。その項目 を引用してみよう(/は改行)
    *
    「18世紀末から19世紀まで一世 を風靡したカント哲学は、一方で優れて理論的で体系的であることから、なかなか理解されにくかった。

    この哲学に対して、マイモンやラインホルト、シュル ツェなどがそれぞれカント哲学に対して何らかの答えを探ろうとしたものの、カント哲学からフィヒテに知識学を構想させる契機を与えたが、なかなかカント哲 学が新たに示した議論(物自体、理論理性と実践理性、知的直観等)に答えうるものにはならなかった。

    フィヒテが知識学の構想に至ったのは、こうしたカン ト哲学に応えようとしたことに他ならず、『あらゆる啓示批判の試み』で一躍著名になってイェナ大学へ招聘されたフィヒテにとっての仕事であった。

    フィヒ テによると、カントの『純粋理性批判』においては単に理論理性が、『実践理性批判』においては単に実践理性が取り扱われており、この二つの理性が並立的に 扱われているという。

    カントは、理論理性においては超感性界を決して認識することはできず、一方で実践理性は我々が認識しえない超感性界に属するものであ り、端的に自由な活動をするという。我々は超感性界ではなく、現象界しか認識できない。このため、実践理性は、我々の認識を超えた自由な振る舞いとして現 すことが可能であり(これは完全に自由というのではなく客観的に見ても倫理的であるように自ら律する(=アウトノミー Autonomie)働きも同時に持つ)、現象界においてのみ働く理論理性より上位にある能力とされている。しかしフィヒテによると、カントはこの段階で 終えてしまっており、両者の連関についての統一的な体系までは構築していないという。

    実践理性にしても理論理性にしても、元々は人間(換言すれば「自我 (das Ich)」)であり、フィヒテはこの二つの理性の働きの元である自我という概念から、カントの理性の働きを体系づけようと考えるに至った」
    知識学より)




    文献
  • フィヒテ「知識学への第一序論」『世界 の名著・続9・フィヒテ/シェリング』中央公論社、1974:Fichite2018.pdf
  • ++++
    ++++

    池田蛙 医人蛙 授業蛙 子供蛙 電脳蛙

    Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099