かならず 読んでください

痛みの人類学

Anthropology of human pain, anthropology of pain

池田光穂

——広島において原爆がなしたことは、痛みが医学的 に「取りあげられてしまっている」社会の累積的な影響の理解の助けになるかもしれない。痛みは、もしそれが鈍化されれば、その関連する性格を失い、無意味 で疑問の余地のない残りものの恐怖を生み出すであろう。……痛みを殺すこと(pain-killing )で、人々は、自分自身の次第に枯れ衰えていく自我を無感情に眺める者になって来ているのである。イヴァン・イリッチ(1976)[金子嗣郎訳 1998:120-121]

"What the bomb did in Hiroshima might guide us to an understanding of the cumulative effect on a society in which pain has been medically "expropriated." Pain loses its referential character if it is dulled, and generates a meaningless, questionless residual horror....  Increasingly, pain-killing turns people into unfeeling spectators of their own decaying selves. " - MEDICAL NEMESIS: THE EXPROPRIATION OF HEALTH, by IVAN ILLICH, 1976




痛みとその解釈の歴史

痛みを取り去ること

痛 み経験の民族差

試 練としての痛み

痛みの文化的意味

痛みそのものは一定の社会状況のもとで苦悩そのものとして受け取られる。例えば、“その痛み”が身体のある特定の部位にあったとしても、痛みの 経験はからだ全体で受け取られる。痛みは明らかに人間の感情のあり方を決定する要因である。と同時に、人間が“ある特定の感情のあり方”を得ようとする際 に“痛み”という経験によって語られるのである。

また、痛み体験はさまざまな民族や社会をこえて、「伝染」するという特性をもつ。この伝染は実体的な根拠をもたないので、心理的な共感をおこし やすいということが、その真意である。繰り返しになるが痛みという経験はその人自身にしか体験できない。この見解は一般的に受け入れられている。痛みが表 現される際には、言語を含む多様な身体表現の様式がみられる。例えば、眉をひそめたり、うめき声をあげることである。この経験は人びとによって共有され る。痛み経験は、痛み表現やその意味づけを通して個人レベルにおいても内面化されるという特徴をもつ。

痛み経験を論じる際に、民族学者たちはしばしば痛みの文化的な意味を強調するあまり平原インディアンのサンダンスのような極端な事例を提示しが ちである。しかし、そのような一生に一度経験するか否かのような過度の痛みはあくまでも特殊な経験と言えよう。多くの人たちの痛み経験はもっとマイナーで 軽微なものだ。しかし、このような軽微な痛み経験を知っているからこそ、極端な痛み経験を想像によって理解することが可能になる。つまり痛み経験が「伝 染」するわけである。強迫神経症における疼痛恐怖は、痛み経験の想像力が個人が対処できる能力を超えたものだと解釈することもできるのだ。

身体のマイナーな痛み経験は、日常生活の中で誰もが経験するものである。そして、その訴えは文化によって一定の様式をもつと思われる。私が調査 した中央アメリカのホンジュラス西部のメスティソ村落民の例をあげてみよう。彼らはスペイン語を話すが、痛みを表現する語彙には大きくドロールとアイレと いう2つの用語があった(表1参照)。ドロールは痛み一般を表象する語彙であるのに 対して、アイレは痛みとともに外部からその原因が侵入する動詞をとも なって使われることが多い。アイレには空気という意味もあるが、空気が身体に侵入するということではない。また日本語にも「焼けるように痛い」という表現 があるように、痛みを炎(フエゴ——まさに炎症である)で表現することもある。  近代医学における病気の診断と同様に、医療者ではない普通の人びとが病名を判断する際にも痛みは重要な弁別の要素になる。メスティソ村落民は皮膚病を分 類するが、それをまとめたものが表2、表3、表4である。それによると、痒みや膿の有無などとともに痛みは複合的な弁別要素の一つを構成していることがわ かる。

このようなマイナーな痛みが我々の日常生活のほとんどを支配する。しかし想像力の世界のなかでは依然として重篤な痛みが、その社会の生きる人び との実存と深く関わる。だが人びとが通常は体験できない重篤な痛み経験は、日常のマイナーな痛み経験があってはじめて体験として「伝染」することができる のである。つまり痛みが社会性を帯びるのである。痛みが社会的な様式として人間によって巧みに利用されたり解釈される社会では、痛みの原因理解もまた社会 的に説明される傾向があるようだ。痛みが生物医学の対象となり患者の病理の徴候として理解されるような現代社会では、痛みを積極的に利用するという社会的 な習慣や文化的様式が衰退する傾向にある、ということは言えそうである。しかしながら、“痛み”の意味を求めてやまない人間にとって、そのような様式が完 全になくなるとは言えないだろう。痛みは我々と共にあり、痛みが我々の人生に問いかけることを止めることはないのである。

痛みの哲学と言われているシモーヌ・ヴェイユの奇妙な錯認について、ここで触れてみよう。ヴェイユ「重力と恩寵」の中に激しい頭痛の時に他人の 額の同じ部分を殴って痛い目にあわせたいと心情を吐露するが、僕はそんな気分になったことがないのでいつもその下りではこいつ(彼女)はいけ好かない馬鹿 じゃねぇかと思うことがある。最悪なことに、彼女は(一般化して)それは人間においてしばしば起こり、そのような誘惑を「重力に屈してしまう」罪だと宣 う。全くの横やりだが、ナチが「自己の存在を嫌悪」し、それが転位してゴールドハゲンよろしく「狂喜するユダヤの処刑人」になったことも、まさに君が言う 重力への屈服だね、とヴェイユの霊に問うてみたくなる。ヴェイユによると重力に屈することは、言葉による「ものとものの関係」を表現することを放棄するつ まり、罪だというのだ。ここからフロイト理論が世俗化した時に陥るような無意識概念のグノーシス化まではあと数歩の推論で可能になる。彼女は、痛みをモノ 化しているのである。それが彼女の錯認の第一原因かもしれない。

さて、痛みはモノ化(physicalization of pain)しているのは、ヴェイユというよりも、近代生物医学の「痛み物質」仮説——それはいくつかのリストアップされて現在は「普遍的知識」と見なされ ている——の思考法そのものである。医療人類学は、近代西洋医学も、彼女/彼の文化相対主義的認識を通して、民族医学(ethnomedicine)のひ とつに過ぎないと見なすので、痛みのモノ化仮説そのものは、害悪でもなんでもない。それは、近代人にとっての「痛みの原因」に関する信念のひとつである。 「痛みのモノ化(physicalization of pain)」に対する対抗概念は、痛みの人格化(parsonification of pain)あるいは痛みの心理化(psycholization of pain)である。この物質表象に収斂する思考法と、人格表象に収斂化する思考法は、医療人類学の伝統的な説明——具体的にはジョージ・フォスターとバー バラ・アンダーソンの偉大なる先達による——では、それぞれ、ナチュラリスティック説明体系(naturalistic system)つまりモノ化と、パーソナリスティック説明体系(personalistic system)つ まり人格表象化の二分法に当てはめることが可能になる。

ホモ・パティエンス(Homo patiens)

ホモ・パティエンスとは、苦悩する人間を定義したユダヤ人精神医学者ヴィクトル・フラ ンクル(1905-1997)が提唱した用語である。ホモ・サピエンスに準(なぞら)えて、ラテン語の学名のようにこのように表現した。フランクルはアド ラーやフロイトの教えを受けた実存主義派の精神分析医であり、ウィーン大学の精神科の教授を務め(この時代の大学教授〈兼〉医師の常として)臨床は市立病 院でおこなっていたが、第三帝国のユダヤ人迫害のために強制収容所に入れられたが生存した。

フランクルは強制収容所すなわち絶滅キャンプのような環境におかれても人間性を失わないことの意味を問い続けたが、第三帝国の絶滅キャンプがも たらした 「新・ユダヤ人問題」は、戦後のユダヤ人の生存者アイデンティティに多大な意味をもたらした。(1)スピルバーグ『シンドラーのリスト』(1993)の最 終シーンにおけるユダヤ人によるユダヤ人のための精神的慰撫という状況が登場するはるか以前には、生存者はユダヤ人社会のなかでは二重の苦しみを背負わさ れていた。すなわち、(i)同胞のみならず親族の中に犠牲者が出た生き残りであるという苦悩、(ii)戦後にリバイバルするユダヤ人原罪説のなかでの犠牲 者非難というスティグマ付与とネグレクト、である。さらにこれに、それまで伝統的なユダヤ人蔑視思想がもたらす迫害や差別が絶えることなく続いていた。さ らに、戦後のシオニズム、パレスチナ問題、ユダヤ建国が、このような状況に対して複雑な陰を落とした。

このような文脈の中で、フランクルの苦悩する人間像をぬきにしては考えることができない。しかし、提唱者フランクルを超えて、人間存在を受苦的 存在として 位置づけている思想やイデオロギーはそこかしこにある。したがって以下は、受苦的な存在が人間の基本形であるという考え方について、より一般的に考えよ う。

マーシャル・サーリンズ(1996)は、このような受苦的な人間存在のフォームが西洋中心的な所産であることを示して、世界のさまざまな民族誌 事例をもっ て、仮借のない批判を展開した。彼によると、これは啓蒙主義が生み出した、苦痛と快楽の理解図式によるものであり人間にとって普遍的なものではないとい う。

「西 欧史のある時代に、人間の社会と行動のすべては、個人の快楽と苦痛の大いなる構図を介して一般的にも哲学的にも認知されるようになった。『リヴァイアサ ン』にあるように、再びすべては、人がよいと感じるものに向かい、また傷つけられるものからは遠ざかるという、単純で悲しい人生論への帰着した。私が《悲 しい》といったわけは、人生を幸福の追求と定義する人は、慢性的に不幸だからである。今となってはあまりにも長きにわたり、これ——「この不安こそは、人 間を勤勉と行動に駆り立てる唯一ではないとしても、主たる要因であり」、まさにわれわれがものに感じるのは喜びではなく、それがないときに感じる苦痛なの だ(Locke『人間悟性論』2.20.6)——は一般に膾炙した感情になってしまった」(サーリンズ (下)p.124)[翻訳は山本真鳥]。

この箇所は次の箇所からの引用です。今後改定される時には、リンク先のオリジナルのほうから改定されます(→ ◎ホモ・パティエンス、受苦的人間、苦悩する人間

●【附録】麻酔の謎(が、解明か? 2020年5月27日)

「これまでの調査で、麻酔薬の効果は脂質における麻酔薬の溶解度と関連していたことから、脳細胞の生体膜に含まれる脂質との関連性が考えられて きました。そこで研究者は、麻酔が生体膜に含まれるイオンチャネルと呼ばれるタンパク質に直接作用するのか、それとも過去に確認されていない方法で生体膜 が信号を送るよう、麻酔が生体膜に作用するのかを確かめることにしたそうです。/5年にわたる研究の結果、まず、全身麻酔は生体膜に含まれる脂質ラフトと いう脂質クラスターを混乱させることが判明しました。ノーベル化学賞を受賞した顕微鏡技術「dSTORM」を利用して観察を行ったところ、細胞をクロロホ ルムにさらすと、GM1と呼ばれる脂質クラスターの集まる範囲が大きく広がったとのこと。そしてGM1が広がると、GM1はその内容物であるホスホリパー ゼD2(PLD2)と呼ばれる酵素を放出し始めました。/研究者がPLD2にタグ付けを行ったところ、PLD2はGM1から別の脂質クラスターであるホス ファチジルイノシトール二リン酸(PIP2)に向かいましたが、その動きは「まるでビリヤードのボールが放たれたかのよう」だったそうです。そして PLD2によってPIP2の主要分子が活性化され、ニューロンの発火能力が「凍結」されることで、人は意識を失ってしまうのだとハンセン氏は説明しまし た。/研究者が生きたハエで実験を行ったところ、PLD発現が削除されたハエは、鎮静効果に対して耐性を示したとのこと。PLD発現が削除されたハエが鎮 静効果を得るには、麻酔薬を2倍投与する必要があることが確認されました。一方で、PLD発現を削除することで完全に麻酔薬の効果がなくなったわけではな いため、鎮静には他の作用も関わっていると考えられています。研究者は、今回の発見により、他の脳活動の謎を説明する手がかりにもなる可能性を示唆してい ます」100年以上謎だった「なぜ全身麻酔で人は意識を失うのか」がようやく解明へ - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20200602-mechanism-of-general-anesthesia/

Studies on the mechanism of general anesthesia | PNAS:https://www.pnas.org/content/early/2020/05/27/2004259117

Scientists May Have Finally Figured Out How General Anesthesia Works | IFLScience https://www.iflscience.com/health-and-medicine/scientists-finally-figured-general-anesthetics-work/


献辞

少しでも読んでくださったみなさん、どうもありがとう。最初に看護学の雑誌に掲載されてからウェブにアップされ、これまで皆さんのさまざまなコ メント・質問・反論などをいただき、その都度加筆・書き直してきました。宗田先生がなくなられてからですので、この改訂は先生のところには届きませんが、 極楽で目を細めてくださっていることでしょう。もちろんネットでご覧になってらっしゃる方すべてに感謝します。

この拙文を故・宗田一先生に捧げる。日本における医史学の重鎮であられた宗田先生は、筆者を本文中にも触れたような世界の古今東西の医療に関す るさまざまな民俗の世界に誘ってくださったからである。

WHO(世界保健機関)による痛みの分類[半場 2004:41]

WHOは痛みを次の3つに分類する。

それぞれについて簡単に解説すると、

1.侵害受容性疼痛

2.神経因性疼痛

3.がん性疼痛

■ 現代の臨床家の痛み観察

O (Onset):発症経過

P (palliative/provocative):増悪・寛解因子

Q (quality/quantity):症状の性質・生活への影響度

R (radiation):放散痛

S (associated symptom):随伴症状

T (time course):時間経過

お よび、Numeric Rating Scale (NRS)

"The numeric rating scale is one of the most commonly used pain scales in medicine. The NRS consists of a numeric version of the visual analog scale. The most common form of the NRS is a horizontal line with an eleven point numeric range. It is labeled from zero to ten, with zero being an example of someone with no pain and ten being the worst pain possible. This type of scale can be administered verbally. It can also be administered via paper to be completed physically." - https://www.painscale.com/article/numeric-rating-scale-nrs

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● 【附録】麻酔の謎(が、解明か? 2020年5月27日)

「これまでの調査で、麻酔薬の効果は脂質における麻酔薬の溶解度と 関連していたことから、脳細胞の生体膜に含まれる脂質との関連性が考えられてきました。そこで研究者は、麻酔が生体膜に含まれるイオンチャネルと呼ばれる タンパク質に直接作用するのか、それとも過去に確認されていない方法で生体膜が信号を送るよう、麻酔が生体膜に作用するのかを確かめることにしたそうで す。/5年にわたる研究の結果、まず、全身麻酔は生体膜に含まれる脂質ラフトという脂質クラスターを混乱させることが判明しました。ノーベル化学賞を受賞 した顕微鏡技術「dSTORM」を利用して観察を行ったところ、細胞をクロロホルムにさらすと、GM1と呼ばれる脂質クラスターの集まる範囲が大きく広 がったとのこと。そしてGM1が広がると、GM1はその内容物であるホスホリパーゼD2(PLD2)と呼ばれる酵素を放出し始めました。/研究者が PLD2にタグ付けを行ったところ、PLD2はGM1から別の脂質クラスターであるホスファチジルイノシトール二リン酸(PIP2)に向かいましたが、そ の動きは「まるでビリヤードのボールが放たれたかのよう」だったそうです。そしてPLD2によってPIP2の主要分子が活性化され、ニューロンの発火能力 が「凍結」されることで、人は意識を失ってしまうのだとハンセン氏は説明しました。/研究者が生きたハエで実験を行ったところ、PLD発現が削除されたハ エは、鎮静効果に対して耐性を示したとのこと。PLD発現が削除されたハエが鎮静効果を得るには、麻酔薬を2倍投与する必要があることが確認されました。 一方で、PLD発現を削除することで完全に麻酔薬の効果がなくなったわけではないため、鎮静には他の作用も関わっていると考えられています。研究者は、今 回の発見により、他の脳活動の謎を説明する手がかりにもなる可能性を示唆しています」100年以上謎だった「なぜ全身麻酔で人は意識を失うのか」がようや く解明へ - https://gigazine.net/news/20200602-mechanism-of-general-anesthesia/

Studies on the mechanism of general anesthesia | PNAS:https://www.pnas.org/content/early/2020/05/27/2004259117

Scientists May Have Finally Figured Out How General Anesthesia Works | IFLScience https://www.iflscience.com/health-and-medicine/scientists-finally-figured-general-anesthetics-work/

文献

  • 池田光穂『医療と神々』平凡社、1989年
  • 池田光穂「苦悩と神経の医療人類学」『現代文化人類学を学ぶ人のために』米山俊直編、世界思想社、1995年[→苦悩体験の理解
  • 清原迪夫『痛みと人間』日本放送出版協会、1976年
  • 丸田俊彦『痛みの心理学』中公新書、1989年
  • R・メルザックとP・ウォール『痛みへの挑戦』中村嘉男監訳、誠信書房、1986年
  • 半場道子『痛みのサイエンス』新潮選書、新潮社、2004年
  • 北森嘉蔵『神の痛みの神学』新教出版社、1946年(講談社学術文庫、1986年)/ Kitamori, Kazoh (1965). Theology of the Pain of God. Richmond, VA: John Knox Press.
  • イリッチ,イヴァン(1976)「痛みの抹殺」『脱病院化社会』Pp.103-121, 晶文社.
  • ヴェイユ、シモーヌ『重力と恩寵』田辺保訳、筑摩書房、1995年
  • カズンズ、ノーマン「痛みは究極の敵にあらず」『ある病いの解 剖:患者が感じたもの』("Anatomy of an Illness as Perceived by the Patient: Rreflections on Healing and Regenereation," 1979)
  • Brooke Naylor, Simon Boag, Sylvia Maria Gustin,(2017) New Evidence for a Pain Personality? A Critical Review of the Last 120 Years of Pain and Personality. DOI: 10.1016/j.sjpain.2017.07.011
  • リンク

  • 北森 嘉蔵▶渡山恵子・池田光穂「お灸をすえる:鹿児島県三島村の「ヤイトヤキ」の医療人類 学的考察・序説」︎▶宮本友介「痛みを伝える」︎︎▶︎西村ユミ「病める身体「について/を通して」語ること」(授業資料)▶____「身体を媒介にする:ハウイのケース」(授業資料)︎︎▶︎____「身体を媒介にする:ハウイのケース」(授業資料)▶︎︎身体・こころ・社会▶「フ リーダ・カーロと痛みの芸術について」︎▶「The Killing of Pain」"MEDICAL NEMESIS: THE EXPROPRIATION OF HEALTH, by IVAN ILLICH, 1976"︎︎▶︎「生命の質」▶︎︎「痛みの主観性と質感」▶Blackfoot Confederacy︎▶「情動理解のための文化人類学基礎」︎︎▶︎「心理人類学の流れ」▶︎︎「他者の痛みと嘘つ きのはじまり」▶︎「日本人は「我慢」強いか?」▶︎︎ 「ファントム・メディシン」幻肢あるいは幻影肢 (phantom limb)およびその痛みから引き出される想像力について解説▶「語彙集」(中米ホ ンジュラス西部メスティソ農民の病気と 症状の語彙集:1980年代)︎▶︎︎「痛みの主観性と質感」▶「看護人類学入門」︎▶「取り憑かれることと関わること」︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
  • Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

    San Gerolamo scrivente, por Caravaggio, 1573-1610

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