はじめによんでね

うんこの哲学

De Modo Cacandi*


(フル排泄版)池田光穂  de Modo Cacandi (Philosophy of the Grande-Shit), 1999-2019うんこの哲学:肛門側サイ戸 ; トイレット科学編

  • 1. Philosophy of Shit ....................豚の哲学
  • 2. Cosmology of Shit ...................うんこの宇宙 論
  • 3. Folklore of Toilet .....................厠の フォーク ロア
  • 4. Scatologic Liberation ...............ス カトロジック・リベレーション
  • 5. Exclusion and Excrement ........排除と排泄
  • 6. Farting Ideology ......................放屁論
  • 7. Bullshit Philisophy...................うんこな哲学
  • 参考文献 サン・ヴィク トール図書館
  • うんこ研究リンク   雲古と授業
  • *De modo Cacandi とは「糞のひり方」という意味のラテン語(風表記)です。ラブレーから獲りました。くわしくはサン・ヴィクトール図書館蔵書目録にアクセス!

     豚の哲学 1. Philosophy of Shit

    排泄現象を文化的に考察するためには、どうしても個人の経験という身近なところから出発しなければならない。以下は私じしんの体験で ある。

     

      中央アメリカのカリブ海に面した低湿地の村落を旅した時 のことである。慣れ ない旅においては誰しもが排泄の不調を体験するものだ。3日ほど便通がなかったが、次の日の朝食を済ますと、便意を催した。村の人に便所はどこにあるの か?、と聞くと、どこでもいいさ!、という返事。泊まっていた小屋の裏の人目のつかない草むらに出かけ用を済ました——長い間溜めていたときほど、それを 成し遂げた気分は爽快である。

      さて、立ち上がろうとすると隣の草むらでガサゴソと音 がする。

      人の野糞を眺める不埒な輩がいるのかと思ってそちらの 方を注視すると、一 頭(一匹)の豚が現れた。シッシッと追いやってもその豚は痩せた躯を左右に振るばかり。現場を後にすると、入れ替わりに豚がそこへ飛び込むようにして来 た。脳裏に 嫌な思いが走ったが、何事も観察をもって任じる人類学徒の心得。私は踵を返して、その豚が何をするのかを眺めた。豚は私の動作に一瞬たじろいだが、私の、 それの匂いを嗅ぎ、おもむろに食べ始めたのである——なんと悍(オゾマ)しい!。

      うんこがほんわか〜♪  click


    • Yo no me tiro pedos. Yo susurro en mis pantis!
    • 私はおならをしない!パンティの中でささやくだけ〜♪


    豚が人間の排泄物を食べることは、既に知識としては得てはいた。しかし、体験として眼の前で繰り広げられる衝撃は忘れられない。体外に出された 瞬間から(その文化的公準によって)マイナスの価値が付与される排泄物である。それは、もう自分とは何の関わりもない。にもかかわらず、まだ温かいと思わ れるそれが眼前で食される時の感覚は、まるで自分じしんの身体が喰される、あるいは汚されるような感覚なのであった。

    この衝撃は、中国や合衆国で仕切りのない、あるいは仕切りのほとんどないトイレで隣人を気にしながら用を足した時の経験の比ではなかった。こ う思ったものだ。この村にもっと住み続けていたら、やがて村の人と同じようにそのことに慣れてしまい、平気になってしまうだろうか?

    [*]正式の標題は「豚の哲学, あるいは便タムの功利主義哲学」です。

     うんこの宇宙論 2. Cosmology of Shit

    排泄の慣習、ひいては糞尿そのものに対して、人びとがどのような感情や理解をおこなうかは、文化によって相対的に決まる。すなわち、それらの 意味づけは社会集団によってコンセンサスが得られており、またそれは独特なものである。

    排泄行為とその意識は、親から子への育児のプロセスのなかで学習されてゆく。その点で排泄体験というのは、個々人が育てられた状況や環境に大 きく依存する。その環境とは、家庭における躾という次元から、糞尿の処置や利用という社会が保有している技術や慣習の次元、はては気候や風土あるいは人工 環境を含めてエコロジカルな次元にまで広がったなかにある。

    むろん、そのような糞尿との付き合いは、人類の歴史が始まって以来長い間、多様な変化をこうむってきたことは想像に難くない。すなわち、人び とに共有されている排泄の経験は、新しい環境が登場することで(集団が共有するレベルでは)今後幾らでも変わり得ることを示唆している。しかしながら、排 泄の体験は先に述べたように多様な環境条件の中で比較的はやい成長段階において学習されてゆくものなので(個人のレベルでは)むしろ変化には保守的であり 期待しにくい側面もある。また言うまでもなく、社会が許容する変化の枠のなかで、排泄の体験や理解において個人差というものが明かに認められる。

    従って、排泄の体験を幅広く理解するためには、<文化的に規定される体験や慣習>と<個人の排泄体験や習慣>という 2つの視点から解釈することが重要になる。これは看護の技術的側面において排泄現象を理解し、それを実践に役立てていこうとする時にも枢要な観点となる。

     

     厠のフォークロア 3. Folklore of Toilet


    我々じしんの排泄の文化について考えてみよう。一時期「病院のトイレは汚い」という主張をめぐって論争が起こった。現在の排泄現象が抱える問 題について、先鋭な議論をたたかわせる必要性については言うまでもない。しかし、ここではその議論の背景にある、我々じしんの“潜在的な歴史経験”につい て思いを馳せてみたい。すなわち、厠(かわや)に関する民俗的事象ついてである。

    都市生活をおくる人びとにとって厠、雪隠(せっちん)、あるいは「はばかり」という言葉はもはや死語となった。しかしながら家相占いでは、相 変わらず鬼門といって、中国由来の陰陽道によると丑寅=北東、(裏鬼門といって)未申=南西、我が国独自の伝統によるとさらに戌亥=西北の方角に便所を置 くことが嫌われる。家屋の構造や居住のスタイルが変化した現在では、このようなことを信じることが困難になってきた。だが便所がもともと家屋と独立してお り、糞尿を資源として利用していた時代において、厠に独特の空間的位置が与えられていたことは不思議ではなかろう。

    伝統的な家屋構造において厠はまた象徴的にも独特な位置が与えられていた。便所に用を足す——この表現そのものが言い換えだが—ことを 「観音様さ行く」「高野へ参る」と表現された。むろん今でも「お手洗いに」と言い換えられるが、厠を“聖なる所”と読み変えていることに注意しよう。実 際、そこには厠神あるいは便所神がおわしましたのだ。

    それらの厠に宿る神さまは、時代や地方によってさまざまな形態が与えられた。よく言われたのは、その神さまが盲目であったり、手が無かったり という身体の欠損がみられることである。またその神さまは水神が零落したものだと言われることもあった。出雲地方では「カラサデサン」とか「カラサデ婆」 といわれる老婆の姿をとった。便所にいるのが河童の場合も多い。深夜便所に行くと尻をなでられるというのは、このような便所神のせいであった。

    興味深いことに、地方でみられる家伝薬の秘密伝授の逸話のなかに、便所で河童の手をもぎ取り——これは先の厠神の手の欠損を想起させる——そ の奪った“手”を返してやる代わりに秘法を河童から教わったという話もある。これらに共通していることは厠の神さまは特異な姿をした異人であり、それは時 に我々に秘密や知識を授けることもできたということである。

    今日の学校生活では“便所掃除”はもっぱら懲罰としての色彩がつよい。あるいは、便所=汚いという意味づけが強烈にはたらいて“人の嫌がる苦 行”と見なされやすい。それゆえに、個別訪問して便所掃除することを奉仕の一環として位置づける宗教団体もある。しかしながら民俗社会における便所掃除の 意義はより複雑であった。妊婦が便所掃除をすると“器量のよい”子供が生まれるという言伝えがあったところも多い。むろん、嫁に対して苦行を押しつける言 い訳だ、と現代的に解釈することもできないではない。だが、便所の神さまは積極的にお産を助けると考えられたりもしたことは、それらの間の複雑な事情を反 映している。

    子供と厠の関係も興味深い。生まれた子供を初めて屋外に出すとき、火(=竈)の神さま、井戸の神さま、便所の神さまにお参りをした。このよう な儀礼を“雪隠参り”といった。関東や甲信越の広い地域では、桑でできた箸でウンコを挟んで子供になめさせるまねをして、その箸を便所に刺しておいたとい う。臍の緒は便所に吊されて子供の夜泣きのまじないとされた。

    便所の神さまは、井戸や竈の神さまと深い関係があり、それぞれ互いに夫婦だ、兄弟だとも言われてきた。つまり、それらの神さまは我々の生活と 一体をなして、食事や排泄という我々じしんの身体意識と深く関わっていたのである。

     スカトロジック・リベレーション(うんこを通しての人間解放)4. Scatologic Liberation

    スカトロジーとは、ギリシア語のスカトス——糞便の——に由来し直訳すれば「糞便学」となる。これはともすれば糞便を“科学的に分析する学” と想像されがちであるが、実際は“糞便趣味にもとづく排泄に関する記述的考察”といった感で理解されている。くだけた表現をもってすれば「ウンコとシッコ のお話」の類と言えようか?、マイナーであるが、立派な文学のサブジャンルとなっている。

    科学的かつ実践的動機をもって排泄現象を把握する本誌の“真摯な読者”にとって、ウンコとシッコの文学とはなにごとだ!、と思われるむきもあ ろう。ところが関係おおありなのである。これに対する態度や感情そのものが、その人じしんの“排泄の意味づけ”を如実に表現しているからである——ちなみ に(すぐ後で述べるように)ウンコという表現に否定的な感情を持たれた方は<挫折>タイプということです。

    人類の歴史を通して排泄物は周縁的な地位を与えられ続けてきた。むろん、ヒンドゥー教徒における牛糞の神聖視など、排泄物の取り扱いや価値を めぐって一見奇異な逆転がみられることはある。だがそれは、信仰や慣習という“一種の回路”を通して高度に文化的に意味づけられたものである。排泄物はお おかた人類の歴史の中で“汚物”として忌避されてきた。

    他方、人間の生活にとって排泄は不可欠であることは言うまでもない。“排泄(行為)の存在”は、それを排出せざるを得ないにもかかわらず、で きればそれを避けていたい人間にとっておおきなジレンマとなる。文学作品のなかに見られるそのような糞便のテーマを丹念に拾い集めた山田稔さんによれば、 糞尿のイメージの取り扱い方にはおおきく2つに分けられるという。すなわち<解放型>と<挫折型>である。

    <解放型>とは、作品のなかに糞尿が公然と登場し、滑稽や笑いを伴うものである。尻を拭く素材に何が最もふさわしいかという議論 が延々と続いたり、招待した客人にひそかに下剤を飲ませて便を垂れ流す様を主人が楽しむ、といったことを取りあげる。そこでは、糞便は忌むべき対象ではな く、人間の自然な排泄行為を正面から肯定する姿勢が見られる。このような文学作品は中世やルネサンスにおいて広く見られた——例えばフランソアワ・ラブ レー『ガルガンチュア物語』をその代表とする。

    O stercus pretiosum! - Denis Diderot, Le neveu de Rameau (1713-1784)

    Le point important est d'aller aisément, librement, agréablement, copieusement, tous les soirs à la garde-robe. O stercus pretiosum! Voilà le grand résultat de la vie dans tous les états.

    「肝心な点は、たやすく、自由に、愉快に、どっさりと、毎晩御不浄に行くことです。「おお貴重な糞便(O stercus pretiosum!)」これこそはどんな身分にも起こる生活の偉大な結果です」——ディドロ『ラモーの甥』本田喜代治・ 平岡昇訳、岩波文庫、p.37、岩波書店、1964年。

     Denis Diderot, 1713-1784

    ++

    他方<挫折型>では、糞便への態度は抑圧的かつ否定的である。作品のなかで糞便と対峙する主人公が気真面目であったり、作中の人 物が糞便をもって本人や大切な事物を汚すという行為をとる。また性的な要素として排泄が描写される。この種の作品は、近代以降顕著に現れてきた。糞尿は隠 すべきまた排除すべき対象であり、それじしんによって恥辱や自己破壊と結びつき(なぜなら排除されるものを人間は身体に内包するからである)、ときにブ ラック・ユーモアとなる——ノーマン・メイラーや金芝河などの作品にそれを見ることができるという。

    「この書物『泥棒日記』は、すなわち「到達不可能な無価値性の追求である」——と著者ジュネは、同名のタイトルの書物の中ほどで宣言をす る、まことに奇妙な著作なのだ(朝吹三吉訳『フランスIV』世界の文学、集英社刊、1990:205)。その1ベージ後に、警察の留置所における糞尿の記 述がある。

    この文学作品における2つの糞尿の取り扱い方は、ひるがえって見ると我々にとって“排泄の存在というジレンマ”を克服する2つの異なる手法、 あるいは2つの認識の回路となる可能性を示唆している。にもかかわらず、そして読者も感じているように、現況は<挫折型>がおおきな勢力をも ち、<解放型>がきわめてマイナーな領域に閉じこめられているのである。

    言葉も吐くという表現から、罵詈雑言(=巨大なうんちや大量の下痢)も小言も呟きも(=少量の便秘気味のうんち)《排泄》的行為とも言 えよ う。森崎和江の次の言葉を参考にしよう:「金嬉老にかぎらず、朝鮮人が自分自身の存在を告げるため に、犯罪を代償にしたり血縁を死においやったりして日本人宛のことばを作り出そうとしているときに、日本人は朝鮮人へのことばを、自分の何ものをもこわす ことなく排泄している」——森崎和江(1968)「二つのことば・二つのこころ」『ことばの宇宙』1968年5月号

    フロ イトうんこ学派

    「秘密を持つことは、自我の誕 生で ある。嘘をついてても親に秘密を持つ。この自と他を 分ける強い意志の主張は、乳児が無力さの状態から自律性を持った自己の持ち主になる証 してある。そもそも秘密は、自分の心の中に保持して外に淵らすまいとする気持ちによっ て秘密になる。しかし、それと同時に、秘密を抱くことが心の中の圧迫になって、思わず 告白11排出してしまいたい衝動が高まる。この保持と排出のジレンマの起源は、小児性欲 論て明らかにした肛門愛にある、とフロイトは言う。そして、心の中に保持される内容= 秘密の最初のものは、幼児における「大便」であるという。/ 「大便」(秘密)は、自己の内部にあっては大事なもの、保持したいものてあり、しかも、他 者(母親)に対して自己主張の手段になる。保持の緊張が一定限度を越えると、排出(告白) の衝動が高まり、その無統制な排出(告白)は、社会的な自己の人格の破綻を引き起こすお それがある。そして大便は、自己の外ては、ヨソモノ(怖い母親や他人)に対して汚れたもの 臭いもの、恥ずかしいものてあると同時に、ウチワ(親しい母親)との間ては、親密さ、共有 物、従順さ、好意のしるしとなる。秘密も同様てある。秘密を隠す相手との間には隔たり が、秘密を共有する相手との間には親密さが起こる。大便(秘密)の排出(告白)は、親密感 や露出の快感を伴う。また、大便(秘密)の保持は、隠し保持する自律的な意志をあらわす とともに、知られ、のぞかれ、盗まれる不安を伴う。/ フロイト自身がこのような「秘密の心理」を肛門愛と結びつけて具体的に論じたのは、 『性格と肛門愛』(1905)の中においてである。」小此木啓吾『フロイト思想のキーワード』講談社、pp.108-109、2002年


     ラカン派のうんこについて Grand Lacanian bull shit

    「対象α、対象( a) 、小文字のa (ρetit a) 、対象a (objet a) 、小文字の対象α(petit objet a) などと書く。1950年代初期には、自分自身に似た想像的他者。1960年代および、その後には、それには少なくとも二つの側面がある。(1) 〈他者〉の欲望。これは、主体の欲望の原因としての役割を担い、享楽およびその喪失の経験と密接に関係づけられる(たとえば乳房、まなざし、声、糞便、音 素、文字、何でもないようなものなど)。(2) 現実的なものの領域に位置づけられる、象徴化のプロセスの残余。たとえば、論理的な例外やパラドックス、文字や言語のシニフイアン性」ブルース・糞ぃ9(=フィンク)による解説)。

    大文字のSからa'(小文字の他者)を経由してa で顕された自我(moi)に到達する経路が、鏡像段階。鏡像段階では点線でしか示されていない。大文字のS(エス=超自我)から、自我(a)へは実践も点 線もない。自我(moi)はA(大文字の他者)と、鏡に映った他者(a')すなわち、小文字の他者からの承認があって存在する。A(大文字の他者)は、超 自我(Es)にも部分的に投射している=この経路が無意識であり、大文字のS(エス=超自我)に完全に投射されていない。鏡に映った他者(a')から自我 (moi)に投射する経路が想像的関係(relation imaginaire)という(→「ジャック・ラカン理論のスコラ的解釈」)。

    《火野 葦平「糞尿譚」1937年》

    主人公は最後は糞尿を撒き散らす。

    「……彦太郎は糞壺の縁まで来ると、半分は埋められたが、残りの半分に満々と湛えている糞壺の中に長い柄杓をさしこみ、これでも食くらえ と、絶叫して、汲み上げると、ぱっと半纏男達へ振り撒まいた。わっと男達は声をあげ、左肩から浴あびせられた先刻の背の低い男が、逃げようとしてそこへ仰 向あおむけに引っくり返った。貴様たち、貴様たち、と彦太郎はなおも連呼し、狂気のごとく、柄杓を壺につけては糞尿を撒き散らした。半纏男達はばらばらと われ先に逃げ出した。柄杓から飛び出す糞尿は敵を追い払うとともに、彦太郎の頭上からも雨のごとく散乱した。自分の身体を塗りながら、ものともせず、彦太 郎は次第に湧き上って来る勝利の気魄に打たれ、憑つかれたるもののごとく、糞尿に濡れた唇を動かして絶叫し出した。貴様たち、貴様たち、負けはしないぞ、 もう負けはしないぞ、誰でも彼でも恐ろしいことはないぞ、俺は今までどうしてあんなに弱虫で卑屈だったのか、誰でも来い、誰でも来い、彦太郎は初めて知っ た自分の力に対する信頼のため、次第に胸のふくれ上って来るのを感じた。誰でも来い、もう負けはしないぞ、寄ってたかって俺を馬鹿扱いにした奴ども、もう 俺は弱虫ではないぞ、馬鹿ではないぞ、ああ、俺は馬鹿であるものか、寿限無寿限無五 光摺りきれず海砂利水魚水魚末雲来末風来末食来寝るところに住むところや油小路藪小路ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅうりん丸しゅうりん丸しゅうりん丸のぐうり んだいのぽんぽこぴいぽんぽこなの長久命の長助寿限無寿限無五光摺 りきれず海砂利水魚水魚末雲来末風来末食来寝るところに住むところや油小路藪小路ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅうりん丸しゅうりん丸しゅうりん丸のぐうりんだ いのぽんぽこぴいぽんぽこなの長久命の長助、 さあ、誰でも来い、負けるもんか、と、憤怒の形相ぎょうそうものすごく、彦太郎がさんさんと降り来る糞尿の中にすっくと立ちはだかり、昴然こうぜんと絶叫 するさまは、ここに彦太郎は恰も一匹の黄金の鬼と化したごとくであった。折から、佐原山の松林の蔭に没しはじめた夕陽が、赤い光をま横からさしかけ、つっ 立っている彦太郎の姿は、燦然さんぜんと光り輝いた。」火野葦平『糞尿譚』 青空文庫より

     《番 外編》うんこと学問

    「このページ(→リンク先)は、鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ : ドイツ民衆文化再考 / アラン・ダンデス著 ; 新井皓士訳,東京 : 平凡社 , 1988.8(原著:Life is like a chicken coop ladder : a portrait of German culture through folklore / Alan Dundes, New York : Columbia University Press , c1984)に、索引がないことに気づいて、それを作成する必要があることを感じた僕が、本文の上に、たぶん、訳者である新井皓士(あらい・ひろし)さん か編集者がつけたと思われる「小見出し」をみつけ、それを、索引(かなりおおざっぱ)として造っておけば、後の引用に便利だと思った次第なのです」《出 典:Life is like a chicken coop ladder

  • 「ティル・オイレンシュピーゲルは性と愛を無視する一方、糞便を楽しむ」——ポール・オッ ペンハイマー(1972)
  • 鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ : ドイツ民衆文化再考 / アラン・ダンデス著 ; 新井皓士訳,東京 : 平凡社 , 1988.8
  • Life is like a chicken coop ladder

  •  排除と排泄 5. Exclusion and Excrement

     近代社会では、排泄はきわめてプライヴェートな領域に押し込められてしまった——例えば今では“連れション”さえもたいへん味気のないものに なった。排泄経験が文化的に形成されるにもかかわらず、排泄を個人的な行為として強迫的に意味づけてしまう潮流は否定できない。そこでは個人の尊厳を確保 しつつ排泄行為がいかに可能であるかということに問題が収斂しまいがちである。“病院のトイレは汚い”をめぐる議論もそこに深く関わっていた、と私は思 う。

     その当時、複数の箇所で看護学生たちに私が意見を求めた時、“私たちの病院にはそんな問題はありません。だって綺麗だもん。”という意見がお おかたを占めた。しかしながら、その意識のあり方こそ、<患者とその家族の感覚>と<医療従事者の感覚>のズレを如実に表わして いるものはない。すなわちトイレの美的意識の根拠は、そこが“物理的に汚れているか否か”ということ以上に、利用する人にとって“清潔と感じるか否か”に かかっているのだ。

     興味深いことに、ある利用者は蓄尿の容器がそこにあることに不快の意を表明している。それは、利用者の身になって想像すれば容易に解釈できる ように、他者の尿の存在=トイレの不潔(より正確に言えば“不浄”)という面が強調されているのである——“科学的”観点からみてその蓄尿瓶の存在はたい した問題にはならないにも関わらず。だがこのズレこそが問題なのだ。

     不潔=不浄は排除されるというのは、人間の文化一般にひろくみられる現象である。かと言ってそのような意識経験はコントロールできない訳では ない。コンセンサスのある我々じしんの“清潔感覚”を見い出すには、真正面からそのことを論じる他に、ここで述べたような文化相対的な理解の方法も同時に 吟味されなければならないのである。

    De Modo Cacandi*

    さて、皆さんのまわりでの大変な流行をしてい る新 型コロナウイルス感染症(かんせんしょう)のさいしん情報だ。最初、病気にかかった人の「うんち」と「おしっこ」からウイルスが見つかったという報告が あった。くわしくと調べてみると「うんち」には多く含まれるが「おしっこ」にはそれほど多くなかった。たぶん、おしっこには、出にくいのだろうが、パンツ のなかの下半身では、それらの出口が近いために、ウイルスがみつかりやすいのかもしれない。コロナウイルス時代では、おしっこも安全とは言えないぞっ!ト イレの後には手洗いを十分することは重要だ!! (→池田光穂先生監修「最強トイレ伝説第3回」『わくわく発見ブック(進 研ゼミ小学講座別冊)』チャレンジ4年生、2021年6月号より)

     Hainuwele defecating valuable objects (ハイヌウェレは脱糞により有用物を排泄しわれわれに豊かな文化をもたらしました) 

    While hunting one day a man named Ameta found a coconut, something never before seen on Seram, that had been caught in the tusk of a wild boar. Ameta, who was part of one of the original nine families of the West Ceram people who had emerged from bananas, took the coconut home. That night, a figure appeared in a dream and instructed him to plant the coconut. Ameta did so, and in just a few days the coconut grew into a tall tree and bloomed. Ameta climbed the tree to cut the flowers to collect the sap, but in the process slashed his finger and the blood dropped onto a blossom.

    Nine days later, Ameta found in the place of this blossom a girl whom he named Hainuwele, meaning "Coconut Branch". He wrapped her in a sarong and brought her home. She grew to maturity with astonishing rapidity. Hainuwele had a remarkable talent: when she defecated she excreted valuable items. Thanks to these, Ameta became very rich.

    Hainuwele attended a dance that was to last for nine nights at a place known as Tamene Siwa. In this dance, it was traditional for girls to distribute areca nuts to the men. Hainuwele did so, but when the men asked her for areca nuts, she gave them instead the valuable things which she was able to excrete.

    Each day she gave them something bigger and more valuable: golden earrings, coral, porcelain dishes, bush-knives, copper boxes, and gongs. The men were happy at first, but gradually they decided that what Hainuwele was doing was uncanny and, driven by jealousy, they decided to kill her on the ninth night.

    In the successive dances, the men circled around the women at the center of the dance ground, Hainuwele amongst them, who handed out gifts. Before the ninth night, the men dug a pit in the center of the dance ground and, singling out Hainuwele, in the course of the dance they pushed her further and further inward until she was pushed right into the pit. The men quickly heaped earth over the girl, covering her cries with their song. Thus Hainuwele was buried alive, while the men kept dancing on the dirt stomping it firmly down.

    Ameta, missing Hainuwele, went in search for her. Through an oracle he found out what had happened, then he exhumed her corpse and cut it into pieces which he then re-buried around the village. These pieces grew into various new useful plants, including tubers, giving origin to the principal foods the people of Indonesia have enjoyed ever since.

    Ameta brought Hainuwele's cut arms to mulua Satene, the ruling deity over humans. With them, she built for him a gate in spiral shape through which all men should pass. Those who would be able to step across the gate would remain human beings, although henceforward mortal, becoming divided into Patalima (Men of the five) and Patasiwa (Men of the nine). Those unable to pass through the threshold became new kinds of animals or ghosts. Satene herself left the Earth and became ruler over the realm of the dead.[5]

    Patasiwa is the group to which both the Wemale and the Alune people belong.
    ある日、アメタという男が狩りの途中で、イノシシの牙に引っかかっ た、 セラム島では見たこともないココナッツを見つけました。バナナから生まれた西セラム族の原始的な9家族の一人であるアメタは、そのココナッツを家に持ち帰 りました。その夜、夢の中に人影が現れ、ヤシの実を植えるように指示された。数日後、ココナッツは高い木に成長し、花を咲かせた。アメタは樹液を取るため に花を切ろうと木に登ったが、その際に指を切ってしまい、血が花の上に落ちた。

    9日後、アメタはその花のところに女の子を見つけ、「ハイヌウェレ」(ココナツの枝)と名づけた。アメタはその女の子をサロンに包み、家に連れて帰った。 彼女は驚くほどの速さで成長した。ハイヌウェレは、排便をすると貴重な品物を排泄するという、驚くべき才能を持っていた。そのおかげで、アメタは大金持ち になった。

    ハイヌウェレはタメネ・シワというところで9日間続くダンスに参加した。この踊りでは、少女が男性にアレカナッツを配るのが伝統的なやり方だった。ハイヌ ウェレはそうしていたが、男たちが「アレカの実をくれ」と言うと、代わりに自分が排泄できる貴重なものをあげた。

    金の耳飾り、珊瑚、磁器の皿、ブッシュナイフ、銅の箱、銅鑼(どら)など、日ごとに大きく高価なものを与えていった。男たちは最初は喜んでいましたが、次 第にハイヌウェレのやっていることが不気味に思えてきて、嫉妬に駆られ、9日目の夜に彼女を殺すことを決意しました。

    相次ぐ舞の中で、男たちは舞場の中央にいる女たちの周りを回り、その中でハイヌウェレは贈り物を配った。九日目の夜が明けると、男たちは踊り場の中央に穴 を掘ってハイヌウェレを狙い、踊りの中でどんどん奥に押し込んでいき、ついには穴の中に押し込めてしまいました。男たちはすぐにその少女に土をかぶせ、そ の叫び声を歌で覆い隠しました。こうしてハイヌウェレは生き埋めにされ、男たちは土を踏み固めながら踊り続けました。

    アメタ(Ameta)はハイヌウェレ(Hainuwele)を失ってから、彼女を探しに行きました。神託によって事情を知ったアメタは、彼女の亡骸を掘り 起こして切り刻み、再び村のあちこちに埋めました。その結果、塊茎を含む様々な有用植物が生まれ、インドネシアの人々が今日まで食べてきた主要な食べ物の 起源となったのです。

    アメタは、切ったハイヌウェレの腕を人間の支配神であるムルア・サテネのもとに持っていきました。そして、その腕で、すべての人が通るべき螺旋状の門を 作った。この門をくぐり抜けることができた者は、以後は死を免れないが人間であり続け、パタリマ(五人)とパタシワ(九人)に分けられる。門をくぐれない 者は、新しい種類の動物や幽霊になりました。サテネ自身は地上を離れ、死者の世界を支配するようになった[5]。

    パタシワはウェマレ族とアルネ族が属するグループである。
    https://en.wikipedia.org/wiki/Hainuwele
    https://www.deepl.com/ja/translator

    ※日本の神話におけるハイヌウェレ型の語りは次のようなものです(出典は末尾の短縮URLにリンクします)

    「【大宜都比売】須佐之男命が食事の用意をする大気都比売神の様子を覗いてみると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理し ていた。須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大気都比売神を殺してしまった。すると、大気都比売神の頭から蚕が生まれ、目から稲が生 まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた https://bit.ly/3iRRLZ2」。

    「【宇迦大神】天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向い て口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食 べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜 とに別れて出るようになったのである https://bit.ly/3YeKh2g

    「【わくむすび】『古事記』のオオゲツヒメ(大気都比売)や、『日本書紀』第十一の一書のウケモチ(保食神)のような、食物起源の神話となって いる。しかし、この2柱の神の場合は、殺された死体から穀物が生じているのに対し、ワクムスビの場合は殺される話を伴っていない。このため、かつてはワク ムスビの単純な形が古いとされていたが[1]、現在は、「ハイヌウェレ型神話」が簡略化され、結末の部分だけが残されたものといわれている。 https://bit.ly/3YfEFF1

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     以下 は特別うんこ附録です〜♪

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    ★「善玉菌や害にならない無害菌と共存することが重要だということが、最近のマイクロバ イオームという研究分野で明らかになってきたんだよ!!」

    Source: Slothilda Sloth, http://slothilda.tumblr.com/

    「金は馬糞だ。だが馬糞は金じゃない」——ヨーゼフ・ゲッベルスの日記より

    「天皇さんかて、糞をするんだ」——住井すゑ

    On fetor of the prison of this world

     《お わりの哲学について》On End of Philosophy and Philosophy of Ending

    質問:どうしてはじめがあるからおわりがあると言えるのですか?

    答え:おわりを予見できるから、はじめについての思索がはじまるわけですね。はじめの思索に決着がつくとき「はじめがあるから、おわりがあ る」 と言えるわけです。はじめへの思索なしに、そのようなことは言えませんでした。「はじめがあるからおわりがある」はアプリオリな命題ではありませんでし た。だれでも、ひとつ終わりをつけたら、すっきりしますよ。便秘(問題の解消)とおなじ。うんこの哲学ですね。

     ■おしっこ&うんちがキレイな水に変わるまで 下水処理の仕組みを解説(外 部リンク)

    うんちの色はなんで「うんち色」なのでしょうか?!そして、トイレットペーパーはなぜ白い?!→「白い色が「清楚」な理由は、歓喜愉悦にあるというフランソワ・ラブレーの諸説

     ■ス マホで使う「ウンログ」の紹介です

    画像で拡大します。そして「うんといい世界へ:ウンログ」下線でリンクしま す!(retrieve on June 30, 2018 )

    うんこミュージアムにおける、うんこ思想の有料化に反対します》

    横浜にある私立のアミューズメント施設「うんこミュージアム」におけるウンコ思想を有料化に反対します。ウンコ は誰にでも開かれたデモクラティックなものです。うんこの思想の資本主義化に、当「大日本うんこ正義団」団長の垂水源之介は、う んこミュージアムにおける、うんこ思想の有料化に反対しています。それはウンコな施設であって、気高いうんこの哲学と何の関係もあ りません!

    うんこがほんわか〜♪うんこのデザイン・シットっんぐ

    デ ザイン・シンキング(Ode for Design Thinking)」と「デザイン・シンキング批判()」


     附 論 放屁論 —— 現在 屁築中〜♪ 6. Farting Ideology


    Farting Ideology

    Yo no me tiro pedos. Yo susurro en mis pantis!


    屁合戦絵巻[部分](制作年不詳: 相覧弘化3年写の写本、早稲田大学図書館)

    【現 在考案中:ぷっ!】


    ‘The Rutland Psalter’, England ca. 1260 (British Library, Add 62925, fol. 67r)

    Jacques de Longuyon, 'Les voeux du paon', Tournai (?), ca. 1350 (NY, Morgan, MS G.24, fol. 25v)

    【現 在公案中:ぶぶっ!】

     逆 行性のオナラ〜♪ Trumpet monkeys‘The Maastricht Hours’, Liège 14th century (British Library, Stowe 17, fol. 61v)

    フ ランソワ・ヴィヨン『悪魔の屁物語』執筆、1452年頃、ただし現在は散佚して内容不明——「巴里奉行所と巴里大学との確執である悪魔の屁(ぺ・と・でぃ あぶる)事件に積極的に活動し、それを材料として『悪魔の屁物語』を書いたらしいが、散佚」(鈴木信太郎訳、1965:11)『ヴィヨン全詩集』岩波文 庫、岩波書店、1965年(→「逐電の記」)

    お なら、ぷう〜♪

    トイレット博士『屁 学入門の巻』とりいかずよし

    びっくり、げんのすけっ!

     「祭 司たちよ、今この命令があなたがたに与えられる。 万軍の主は言われる、あなたがたがもし聞き従わず、またこれを心に留めず、わが名に栄光を帰さないならば、わたしはあなたがたの上に、のろいを送り、また あなたがたの祝福をのろいに変える。あなたがたは、これを心に留めないので、わたしはすでにこれをのろった。 見よ、わたしはあなたがたの子孫を責める。またあなたがたの犠牲の糞を、あなたがたの顔の上 にまき散らし、あなたがたをわたしの前から退ける。 こうしてわたしが、この命令をあなたがたに与えたのは、レビと結んだわが契約が、保たれるためであることを、あなたがたが知るためであると、万軍の主は言 われる」マラキ書2:1-4

     《ノ リメタンゲレ:ポストモダン版》「文化放送のラジオで大竹まことと、司会者が、じゃあ どうすればいいのですか?と野口悠紀雄にすがるのだが、それは自分でかんがえないといけないとつれない返事。それもそのはずだ、彼は米国が製造業を脱却し ITないしはICT産業で大ブレイクした時に政府の助成金などなかったと指摘、「彼ら(米国の企業)が創意工夫してなしとげた」とくり返し言う。つまり、 日本は野口のいう「製造業界の農業化」(=政府の助成金サポートで国際競争力を失い本当に産業を日本政府そのものが破壊してしまう)により、もっと酷くな るのだと予言する。つまり、野口のテーゼは「自分たちが直面する苦境は、自分たち自身が創意工夫して乗り越えないとならない」という至極当たり前な処方を くり返しているからだ。イエスが(騙し、裏切り、中傷、拷問、そして処刑という)痛い目にあい、死んでから復活したときに、まだ、残りの連中が、優柔不断 にイエスにすがろうとしたとき彼は「ノリメタンゲレ」と言った。俺にすがるな、という意味だ。それをパラフレイズすれば「自分のケツは自分で拭くんだ!」 という高尚なメッセージになる。イエスは、昔も今も正しいことをおっしゃっている。みんなひとりひとりが、イエスにならなければならない。」

     《う んこ存在論的差異》——うんこ一般概念の誕生

    ハ イデガーにとって「存在」一般を議論する際に、ものの存在と区別するために重要な用語を「存在論的差異= ontologische Differenz」と呼んだ。つまり、存在論的差異(ontologische Differenz)とは、(A)「君が存在する、僕が存在する、机が存在する、……」という具体的事物の存在と、(B)「存在(という概念)が存在す る」という意味の差異(ちがい)のことである。これを、うんこ存在論(onto-shitlogy)から考えてみよう。存在論的差異(onto- shitlogical difference)とは、(A)「君のうんこが存在する、僕のうんこが存在する、誰かのうんこが存在する、……」という具体的事物の存在と、(B) 「うんこ一般(という概念)が存在する」という意味の差異(ちがい)のことである。


     bullshit "In the influential account by the contemporary philosopher Harry Frankfurt, bullshit describes any statement made without any concern for the truth. The ordinary submission to a discipline of trying to get things right is suspended, in favour of mere hot air, or sounding off. The suspension may be common knowledge, or the speaker may hope that his audience is unaware of his or her irresponsibility. With *lying, by contrast a (deviant) connection with truth is intended, since liars deliberately state what they believe to be false, with the intention to deceive." - サイモン・ブラックバーン『オックスフォード哲学辞典』オックスフォード即席文献、オックスフォード出版局、2016年

    「現代の哲学者、ハリー・フランクフルト による影響力のある説明では、でたらめとは、真実を気にすることなくなされる発言を指す。物事を正しく理解しようとする通常の規律への服従が一時的に中断 され、単なる熱弁や口先だけの発言が優先される。そのようなことは常識かもしれないし、発言者は聴衆が自分の無責任さに気づかないことを望むかもしれな い。嘘つきは欺くつもりで、わざと嘘だと思うことを言うからだ。」

    トイレット・ペーバーに自 分のイニシャル文字を黄金で入れたコロンビアの麻薬王《エル・メヒカーノ》あるいは「帽子の旦那」(1947-1989)

    世 界で最も成功した麻薬の売人の一人、1988年のフォーブスの億万長者にリストアップ。最初は、ヒルベルト・モリーナ・モレノ(Gilberto Molina, 1937-1989)の子分。メディジン・カルテルの総帥。

    "As he started to prosper in the drug trafficking business, Rodríguez Gacha started to buy larger amounts of land in the Middle Magdalena region in the valley bordering the departments of Antioquia, Boyacá, and Santander.[4] After moving to Medellín in 1976, Rodríguez Gacha associated with the Ochoa family, Pablo Escobar, and Carlos Lehder in establishing an alliance that eventually strengthened into what would become known as the Medellín Cartel. The traffickers cooperated in the manufacturing, distribution and marketing of cocaine. During the late 1970s, Rodríguez advanced in the organizational hierarchy, pioneering new trafficking routes through Mexico and into the United States, primarily Los Angeles, California and Houston, Texas. He is often said to have been the first to establish cooperation strategies with drug trafficking cartels in Mexico.[3] This, coupled with his infatuation with Mexican popular culture, music, and horse culture, and his fondness for foul language, earned him the nicknames El Mexicano (the Mexican) and 'Don Sombrero'. He owned a string of farms in his hometown in the locality of Pacho with Mexican inspired names such as Cuernavaca, Chihuahua, Sonora and Mazatlán.[3] According to the US Justice Department, Rodríguez directed cocaine trafficking operations through Panama and the West Coast (California) of the United States. It is claimed that he helped design a Nicaraguan trafficking operation that employed pilot Barry Seal (who was murdered on February 19, 1986, after agreeing to testify against the Medellín Cartel).[citation needed] Rodríguez Gacha based much of his operations from Bogotá and other areas in the Cundinamarca region, as well as in the Middle Magdalena region. It was Rodríguez who first set up Tranquilandia, one of the largest and best known of the jungle laboratories where more than two thousand people lived and worked making and packaging cocaine. ["The Accountant's Story", by Roberto Escobar]. As he became one of the main capos of the rising Cartel, Rodríguez Gacha started having problems with the FARC guerrilla, mostly derived from the fact that the insurgent army taxed some of his coca plantations, and that they sometimes robbed some of his men.[5] When the M-19 guerrilla kidnapped Martha Nieves Ochoa, the sister of fellow drug lord Jorge Luis Ochoa, the cartel decided to create what would be one of the first far-right paramilitary groups to fight the guerrillas, the "Muerte a Secuestradores" (MAS) [Death to Kidnappers] movement. Rodríguez Gacha became one of the main economic supporters of the group. He soon became the de facto military leader of the cartel and thanks to his immense riches, he managed to form the largest paramilitary organization in the country, composed of around 1,000 men, all trained and armed, originally devoted to his security but soon becoming an anti-communist army directed particularly against the FARC, and then against the Unión Patriótica political party.[4][5]" -Rise of the Medellín Cartel.

    「1976 年にメデジンに移った後、ロドリゲス・ガチャはオチョア一族、パブロ・エスコバル、カルロス・レダーと提携し、やがてメデジン・カルテルとして知られるよ うになる同盟関係を築いた。密売人たちはコカインの製造、流通、販売で協力した。1970年代後半、ロドリゲスはメキシコを通り、主にカリフォルニア州ロ サンゼルスとテキサス州ヒューストンを中心とするアメリカへの新たな密売ルートを開拓し、組織階層を発展させた。メキシコの大衆文化、音楽、馬文化に熱中 し、汚い言葉を好んだことも相まって、エル・メヒカーノ(メキシコ人)、ドン・ソンブレロというニックネームで呼ばれた。彼は故郷のパチョ地方に、クエル ナバカ、チワワ、ソノラ、マサトランといったメキシコにちなんだ名前の農場を次々と所有していた。アメリカ司法省によると、ロドリゲスはパナマとアメリカ 西海岸(カリフォルニア)を経由するコカイン密売活動を指揮していた。彼は水先案内人のバリー・シール(メデジン・カルテルに不利な証言をすることに同意 した後、1986年2月19日に殺害された)を起用したニカラグアの密売活動の設計を手助けしたと主張されている[要出典]。 ロドリゲス・ガチャはボゴタとクンディナマルカ地方の他の地域、およびマグダレナ地方中部を活動の拠点としていた。トランキランディアを最初に設立したの はロドリゲスで、2000人以上が住み、コカインの製造と包装に従事した、ジャングルの実験室の中でも最大かつ最もよく知られた場所のひとつであった。 [ロベルト・エスコバル著『The Accountant's Story』)。反乱軍が彼のコカ農園に課税し、彼の部下を強奪することもあった。M-19ゲリラが仲間の麻薬王ホルヘ・ルイス・オチョアの妹、マーサ・ ニエベス・オチョアを誘拐したとき、カルテルはゲリラと戦う最初の極右準軍事組織のひとつとなる「MAS(誘拐犯に死を)」運動の創設を決定した。ロドリ ゲス・ガチャは、このグループの主要な経済支援者のひとりとなった。彼はすぐにカルテルの事実上の軍事指導者となり、その莫大な富のおかげで、訓練を受け 武装した約1,000人からなる国内最大の準軍事組織を形成することに成功した。」

    Image depicting druglord Jose Gonzalo Rodriguez Gacha. Public Domain. Drug Enforcement Administration (DEA) work http://www.usdoj.gov/dea/pubs/history/deahistory_04.htm

    美 女と野獣  / マイケル・タウシグ著 ; 上村淳志, 田口陽子, 浜田明範訳, 水声社 , 2021 . - (人類学の転回叢書)

    神 々からの贈与、エル・メヒカーノ、見たこともない素敵な鳥が飛んでいる、くまのプー、支出、クール、デザイナースマイル、デザイナーボディ、神話大戦、美 と切除、爆発する乳房、仮想大学、美の歴史、靴の歴史、地下世界の外科医たち、デザイナーネーム、無法地帯の法、タブーな割れ目、太った子どもと悪魔

    Defecation of Elephant; Human academician excrete junk papers just like excreting animal. or Defecation of Elephant; Human academician excrete vulgar joke just like excreting animal.

    The order of things, by Michael DeFecault. Pupulon Publisher.


     《トーナス・カボチャラ ダムスさんについて》

    人糞発電所(トー ナス・カボチャラダムスさんの作品だそうです:ここでリンクします

     XX. 参考文献


  • 言語の人類学的側面」エドマンド・リーチ論文のノート
  • 池田光穂「清潔と汚穢」看護技術,Vol.38, No.10,1992年
  • 池田光穂「歴史記録におけるインフルエンザ
  • 池田光穂「月経(げっけい)
  • 池田光穂「治療儀礼ノート(進行中) 
  • 池田光穂「うんこは価値自由(Wertfreiheit)か?:便秘と下痢の二元論を超えて」『日本糞尿学会誌』88(8)88- 888, 8888年
  • 「聖なる空間」とは何か
  • 病院を社会的・文化的に記述すること
  • 小西正捷監修『スカラベの見たもの』TOTO出版,1991年
  • J・クセルゴン『自由・平等・清潔』鹿島茂訳,河出書房新社,1992年
  • 鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ : ドイツ民衆文化再考 / アラン・ダンデス著 ; 新井皓士訳,東京 : 平凡社 , 1988.8(Life is like a chicken coop ladder : a portrait of German culture through folklore / Alan Dundes, New York : Columbia University Press , c1984)
  • ディドロ『ラモーの甥』本田喜代治・平岡昇訳、岩波書店(岩波文庫)、1964年。
  • 大塚民俗学会編『日本民俗事典』弘文堂,1972年
  • 山田稔『スカトロジア(糞尿譚)』福武文庫,1991(1966)年
  • 池田光穂『看護人類学入門』文化書房博文社、2010 年
  • 鈴木了司『寄生虫博士トイレを語る』TOTO出版、1992
  • 平賀源内「放屁論」パスワードなし(L-Gen-Nai_Hohi-Ron.pdf
  • O・呂陵『放屁という覚醒』 世織書房,2007年
  • フランクファート、ハリー・G『ウンコな議論』山形浩生訳、東京:筑摩書房、2006年
  • How to Fart, 1530
  • Chelsea Wald, The secret history of ancient toilets, Nature, 533, 456–458, (26 May 2016) doi:10.1038/533456a
  • On fetor of the prison of this world
  • うんこ研究リンク

  • 「うんこが漏 れない世界を」世界待望のデバイスDFree予約開始 中西敦士代表インタビュー
  • Hermeneutics of Toilets by Slavoj Žižek: An Animation About Finding Ideology in Unlikely Places,
  • 上 野千鶴子 『資本制と家事労働』再入門!
  • ディス コミュニケーションの定義と理論
  • とりいかずよし「トイレット博士」ウィキペディア
  • 日本うんこ学会(医療系の啓蒙学会:雑多な会員の集合うんこ=レベル はたいしたことござんせん。)
  •  だいうんこコレクショ ン〜♪  

    雲古コレクション(タグはないので、最後まで読んでくれた方への特権です!)

    うんこがほんわか〜♪



    北半球のウンコ君南半球のウンコ君

    どうして、北半球のウンコと南半球のウンコの《巻き》がちがうか?——それは「コリオリの力」のせいぢや〜♪

     引用の際には著者に是非ご放屁と御一服(いえ、もとい御一報!)ください。ぶぶぶぶぶりぶりぶりりり〜♪

    池田蛙  授業蛙  電脳蛙  医療人類学蛙

     附 属トイレ学研究所

    The Roman goddess Fortuna (right) was believed to protect latrine users from dangers. An inscription on this fresco from Pompeii warns toilet users to beware, from Chelsea Wald, 2016


    Communal toilets at the Roman site, Ostia Antica., from Chelsea Wald, from Chelsea Wald, 2016


    One of the first known toilets that was flushed with water is at the palace at Knossos on the island of Crete. from Chelsea Wald, 2016


    Loo with a view: an ancient Roman public latrine in the ruins of Timgad, Algeria. from Chelsea Wald, 2016

  • Chelsea Wald, The secret history of ancient toilets, Nature, 533, 456–458, (26 May 2016) doi:10.1038/533456a

  •   


     ◎トイレット博士

    「『トイレット博士』(トイレットはかせ)は、とりいかずよしにより1970年から 1977年まで『週刊少年ジャンプ』誌上に連載された人情ギャグ漫画作品。……とりいかずよしの出世作であり代表作の一つ。単行本全30巻は、当時として は記録的な長寿連載であり、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(2016年10月に全200巻で完結)に抜かれるまで『ジャンプ』史上最長だった。部数も 1000万部を売り上げた。その一方で、過激な表現・暴力表現で物議を醸し、社会現象になり、賛否両論を得た」(ウィキペディア:「トイレット博士」)

    作品解説(同上、ウィキペディア記事「トイレット博士」より)

    「第1部:単行本1 - 5巻。初出は『週刊少年ジャンプ』1969年23号の「赤塚ギャグ笑待席」である。この連載は赤塚不二夫がかなりの売れっ子であったため、『ジャンプ』編 集部は週刊連載を依頼する事が出来ず、結局赤塚が一週おきに執筆して、穴埋め分は当時とりいが所属していたフジオプロ作家が持ち回りで掲載する形となった ものである。とりいは古谷三敏、長谷邦夫と交互に作品を発表。このとりいの持ち番に掲載されたのが本作であった。この連載が終了した後も、とりいは『ジャ ンプ』誌上で数回本作を読み切りの形で発表。月1回から月2 - 3回と発表頻度が増え、そのまま自動的に連載漫画となった。定期連載となってからは一度も休載していない。/序盤の徹底したスカトロジー表現は、恩師・赤 塚の「お前は顔が汚いからウンコ漫画を描け」という指示を受けてのものだったと、太田出版『愛蔵版トイレット博士』第1巻あとがき・解説に記されている。 とりいは「赤塚先生はお金のタブーを破った。永井豪は性のタブーを破ったので、僕に残されたものはうんこのタブーだと考えた」とも語っている。/主役は一 応トイレット博士だが、タメやん、うんこちゃん、ダラビチ博士などの人気サブキャラクターが続々登場した」

    「第2部:単行本6 - 11巻。一郎太が登場し、主役に。うんこネタだけではアイデアが枯渇して苦しくなってしまい、方向転換で人情ギャグにした。しかし、この方向転換が逆にア ンケートの結果を飛躍的に伸ばし、とりい自身の執筆も楽になったが、その一方で主人公トイレット博士の登場回数が無くなってしまった。この事は、『ジャン プ』連載漫画のひとつの特徴として語り草となり、連載後期の作中でも何度もネタにされている。とりいも「トイレット博士はあまりにも不運な主人公であっ た」と、単行本ならびに愛蔵版にてコメントしている」

    「第3部:単行本12巻 - 30巻。一郎太、中学に入学。スナミ先生が次第に主役の座へ。そして13巻でいよいよメタクソ団の結成!団員達の卒業で完結する。/週刊少年ジャンプで 「トイレット博士」がほとんど登場せず、実質題名のみとなった後は、『別冊少年ジャンプ』や『少年ジャンプ増刊号』の季刊誌にて、トイレット博士が登場す る作品が掲載されていた。従ってこの時期のジャンプ・コミックス単行本には、『週刊少年ジャンプ』本誌に載っていた本編に季刊誌掲載分を挟んで収録されて いる。なお、一部のジャンプ・コミックス単行本では、週刊少年ジャンプ連載の順番とは異なった順番で収録されており、前後関係に違和感がみられている」

    北半球のウンコ君南半球のウンコ君

    どうして、北半球のウンコと南半球のウンコの《巻き》がちがうか?——それは「コリオリの力」のせいぢや〜♪

     引用の際には著者に是非ご放屁と御一服(いえ、もとい御一糞!)ください。ぶぶぶぶぶりぶりぶりりり〜♪

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