かならずよんで ね!

信 頼

Trust

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Leticia Lilia Amezcua Prado, 1928-2006

池田光穂

信頼とは自信に満ちたヴァルネラヴィリティ (confident vulnerability)- Roger C. Mayer, 1995.ロジャー・メイヤーのこの「信頼」の定義あるいは表現は、なんともまあ奇妙なものだ。信頼とは、裏切られるためにあるもの、そもそも傷つきやす いもの、でも、自信に満ちている。だから、信頼は、脆弱なのだが、傷つけられてもロバストなのだ、と矛盾することを言っている。そして、経済における信頼 の問題を、あるいみで、クリアしたのが、サトシ・ナカモトである。サトシ・ナカモトのビットコイン論文によると「信用に依存しない」情報の伝達手段が、ブロックチェーンである。逆説的に言えば、「ブロックチェーンが機能するのは、責任主体となる 個人や組織が存在しないにもかかわらず、システム全体が信頼されているからだ」(Sandra Braman

信頼とは、脆弱でロバストなのものであれば、その矛盾性ゆえに、存在などしないのではないのか?そのことを明確に打ち出したのが、ヒュームだ。ディヴィッド・ヒュームによると、ゲームの規則がそれなりに遵守されていなければ、「信頼」が存在することはない。つまり、ゴミ出しルールの遵守や、公共の場でのゴミ(塵)がゴミ箱に投函されているいる状態は、コミュニティに参加する人たちの間に、お互いに裏切ることのない「信頼」が形成されている状態なのであろう(→「コモンズの悲劇」「情報社会における信頼について」)。

なお信頼(trust)すなわちトラストには、信託という訳語もある(→「デフォルト宣言時代の医療者-患者関係」)。

"In a social context, trust has several connotations. Definitions of trust[1][2] typically refer to a situation characterized by the following aspects: One party (trustor) is willing to rely on the actions of another party (trustee); the situation is directed to the future. In addition, the trustor (voluntarily or forcedly) abandons control over the actions performed by the trustee. As a consequence, the trustor is uncertain about the outcome of the other's actions; they can only develop and evaluate expectations. The uncertainty involves the risk of failure or harm to the trustor if the trustee will not behave as desired."- Trust (social science). [1]Mayer, R.C.; Davis, J.H.; Schoorman, F.D. (1995). "An integrative model of organizational trust". Academy of Management Review. 20 (3): 709–734. [2]Bamberger, Walter (2010). "Interpersonal Trust – Attempt of a Definition". Scientific report, Technische Universität München. 社会的な文脈では、信頼はいくつかの意味合いを持つ。信頼の定義[1] [2]は、一般的に次のような側面を特徴とする状況を指している。ある当事者(委託者)は別の当事者(受託者)の行動に頼ることを望んでおり、状況は将来 に向けられたものである。さらに、委託者は(自発的または強制的に)受託者が行う行為に対する支配を放棄している。結果として、委託者は他者の行動の結果 について不確実であり、期待を膨らませ評価することしかできない。この不確実性には、受託者が希望通りに行動しない場合、受託者が失敗したり損害を受けた りするリスクが含まれる。
Trust is the willingness of one party (the trustor) to become vulnerable to another party (the trustee) on the presumption that the trustee will act in ways that benefit the trustor.[1][2][3][4] In addition, the trustor does not have control over the actions of the trustee.[1] Scholars distinguish between generalized trust (also known as social trust), which is the extension of trust to a relatively large circle of unfamiliar others, and particularized trust, which is contingent on a specific situation or a specific relationship.[1]

As the trustor is uncertain about the outcome of the trustee's actions, the trustor can only develop and evaluate expectations. Such expectations are formed with a view to the motivations of the trustee, dependent on their characteristics, the situation, and their interaction.[5] The uncertainty stems from the risk of failure or harm to the trustor if the trustee does not behave as desired.

In the social sciences, the subtleties of trust are a subject of ongoing research. In sociology and psychology, the degree to which one party trusts another is a measure of belief in the honesty, fairness, or benevolence of another party. The term "confidence" is more appropriate for a belief in the competence of the other party. A failure in trust may be forgiven more easily if it is interpreted as a failure of competence rather than a lack of benevolence or honesty.[6] In economics, trust is often conceptualized as reliability in transactions. In all cases, trust is a heuristic decision rule, allowing the human to deal with complexities that would require unrealistic effort in rational reasoning.[7]
信頼とは、ある当事者(委託者)が、他の当事者(受託者)に対して、受 託者が委託者の利益になるように行動することを前提に、弱者になろうとする意思のことである。学者たちは、一般化された信頼(社会的信頼ともいう)と、特 定の状況や関係に依存する特定化された信頼とを区別している。

信頼の委託者は信頼の受託者の行動の結果について不確実であるため、期待を膨らませ評価することしかできない。このような期待は、受託者の特性、状況、相 互作用に依存する受託者の動機を視野に入れて形成される。不確実性は、受託者が希望通りに行動しない場合に、受託者が失敗したり損害を受けたりするリスク から生じている。

社会科学の分野では、信頼に関する微妙な問題が現在も研究されている。社会学や心理学では、ある当事者が他者を信頼する程度は、他者の誠実さ、公正さ、ま たは博愛に対する信念の尺度であるとされる。信頼」という言葉は、相手の能力を信じるという意味でより適切である。経済学では、信頼は取引における信頼性 として概念化されることが多い。いずれの場合も、信頼は発見的な意思決定ルールであり、合理的な推論では非現実的な努力を必要とする複雑な事態に人間が対 処することを可能にしている。


Philosophy

Whilst many philosophers have written about different forms of trust, most would agree interpersonal trust is the foundation on which these forms can be modeled.[69] For an act to be classed as an expression of trust, it must not betray the expectations of the trustee. In this sense, some philosophers such as Lagerspetz argue that trust is a kind of reliance, though not merely reliance.[70] Gambetta argued it is the inherent belief that others generally have good intentions which is the foundation for our reliance on them.[71] Philosophers such as Annette Baier have contended this view, establishing a difference between trust and reliance by saying that trust can be betrayed, whilst reliance can only be disappointed (Baier 1986, 235).[72] Carolyn McLeod explains Baier's argument by giving the following examples: we can rely on our clock to give the time, but we do not feel betrayed when it breaks, thus, we cannot say that we trusted it; we are not trusting when we are suspicious of the other person, because this is in fact an expression of distrust (McLeod 2006).[69] The violation of trust warrants this sense of betrayal.[73] Thus, trust is different from reliance in the sense that a trustor accepts the risk of being betrayed.

Karen Jones proposed that there is an emotional aspect to trust, an element of optimism[74] that the trustee will do the right thing by the trustor, also described as affective trust.[75] Though, in some circumstances, we trust others even without the optimistic expectation, instead hoping the mere recognition that the person is being trusted in itself will prompt the favorable action. This is known as therapeutic trust[76][77] and gives both the trustee a reason to be trustworthy, and the trustor a reason to believe they are trustworthy. In these situations, the sense of betrayal upon violation of trust is commonly warranted.

The definition of trust as a belief in something or a confident expectation about something[78] eliminates the notion of risk, because it does not include whether the expectation or belief is favorable or unfavorable. For example, to have an expectation of a friend arriving to dinner late because she has habitually arrived late for the last fifteen years, is a confident expectation (whether or not we agree with her annoying late arrivals). The trust is not about what we wish for, but rather it is in the consistency of the data of our habits. As a result, there is no risk or sense of betrayal because the data now exists as collective knowledge. Faulkner[75] contrasts such predictive trust with aforementioned affective trust, proposing predictive trust may only warrant disappointment as a consequence of an inaccurate prediction, not betrayal.
哲学における信頼

多くの哲学者が信頼の様々な形態について書いているが、ほとんどの人が対人信頼がこれらの形態がモデル化されるための基礎であることに同意するだろう [69]。この意味において、ラガーペッツのような一部の哲学者は信頼は一種の信頼であると論じているが、単なる信頼ではない[70] ガンベッタは他者が一般的に善意を持っているという固有の信念こそが我々が彼らに信頼するための基礎であると論じている[71] アネット・バイアのような哲学者はこの見解を主張し、信頼は裏切られることがあるが、信頼は失望するだけだと言って信頼と信頼の間の差異を示してきた (Baier 1986, 235).............61 [72] Carolyn McLeodは次のような例を挙げてBaierの議論を説明している:時間を教えてくれる時計に頼ることができるが、それが壊れても裏切られたと感じな い、したがってそれを信頼していたとは言えない、相手を疑っているときは信頼しているとは言えない、これは実際には不信の表現だからだ(McLeod 2006)[69] 信頼の侵害はこの裏切りという意味を持つ。 73] 従って信頼者は裏切られるという危険を受け入れるという意味で、信頼と信頼は異なるものであると言える。

カレン・ジョーンズは信頼には感情的な側面があり、受託者が受託者に対して正しいことをするという楽観的な要素[74]があり、感情的信頼とも表現される [75]と提案している。しかし状況によっては楽観的期待がなくても相手を信頼し、代わりにその人が信頼されているという認識自体が好ましい行動を促して くれると期待している。これは治療的信頼[76][77]として知られ,被信託者には信頼される理由があり,信頼者には自分が信頼されると信じる理由があ る。このような状況では、信頼を裏切られたときの裏切りの感覚は一般的に正当化される。

信頼とは何かに対する信念、あるいは何かに対する確信に満ちた期待である[78]と定義することで、期待や信念が有利か不利かを含まないため、リスクとい う概念が排除される。例えば、友人が夕食に遅れてくることを期待するのは、彼女が過去15年間習慣的に遅刻してきたからであり、これは確信に満ちた期待で ある(彼女の迷惑な遅刻に同意するかどうかは別として)。信頼とは、何を願うかではなく、習慣というデータの整合性にあるのだ。その結果,データが集合知 として存在するため,リスクや裏切られた感覚はない.フォークナー[75]はこのような予測的信頼と前述の情緒的信頼を対比させ、予測的信頼は裏切りでは なく、不正確な予測の結果として失望を保証するだけかもしれないと提案している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Trust_(social_science)
https://www.deepl.com/ja/translator


このページは、科研の特設分野研究「情報社会におけ るトラスト」 (平成29年度〜令和元年)の分析から始まった(→「情報社会における信頼について」)。

「情報通信分野の急速な進展により、コンピュータや センサなどからネットワークを介して 大量のセンシング情報が生成され、ビッグデータとしてクラウドなどのサイバー空間に蓄積 されるようになった。実空間の人やモノがそれらを複合的に活用することで、人々の日常生 活、社会経済活動、教育研究活動、行政活動などに資する新たなサービスが 創出され、多数 の人々がそれらを社会インフラとして利用する新しい情報社会が到来し つつある。/ このような情報社会が健全に発展するには、情報通信のユビキタス性(→「教育と研究の融合化 」)を阻害することなく トラスト(信頼関係)を確保することが重要になってくる[日本学術振興会 2018](→これはナカモト・サトシの「ビットコイン論文」の趣旨からみれば、完全に愚かで何もわかっていない妄言である)。昔から我々の社会では人と人と のつながりが、組織、市場、社会へと広がり、信頼関係が構築されてきた。しかし、それだ けでは顔の見えないネット越しの社会における信頼関係の構築には十分でなく、セキュリテ ィやプライバシーにも関わる様々な社会的問題が生じている。/ 多様な利害関係者が存在する情報社会におけるトラストの確保は容易ではない。人、組 織、 サービス、システムなどの構成要素の間で、誰(あるいは、どれ)が何をどの程度信頼する のかといったトラストの前提条件がしばしば曖昧である。個々の構成要素からみて、あるい は総体として、どのようなトラストが実現されているのかが明らかでないことも多い。ト ラ ストの客観的な評価尺度や評価法、多様な制約条件のもとでトラストを適切に設計し実現す る手法、また、対象となるサービスやシステムの信頼性を担保する社会 的な取組の強化も確 立していない。/ また、製造、農耕、商取引、金融、物流、交通、観光、福祉、医療、教育、防災、省エネ、 環境改善など社会のあらゆる分野において、人やモノから得られる様々な情報を複合的に利 用できればできるほど、より高度なサービスが提供できる反面、秘密保持やプライバ シー保 護がより困難になる。トラストに応じて個人情報や営業秘密、知的財産を含む様々な情報の 開示範囲や詳細度を適切に設定するには、どのような法制度や規範が必要なのか、倫理や道 徳の観点から考えるべきことは何か、技術やシステム、サービス、ビジネスモデルなどとの 整合性をどのように担保するかなどの問題も存在する。/ 本特設分野は、現代社会におけるトラストに関して多面的に研究する分野である 」出典:https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/03_keikaku/data/h31/h31koubo.pdf .

The Artist's Daughters on the Way to School (Die Kinder des Künstlers auf dem Weg zur Schule), 1851 Gustav Adolph Hennig, 1797-1869 painting.

クレジット:科学研究費補助金・傾向と対策:01 「情 報社会におけるトラスト」On Grant Information of the JSPS: Trust in/for/of Infornation Society

リンク

●文献:信頼を考える : リヴァイアサンから人工知能まで / 小山虎編著、勁草書房、2018年の論文一覧

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