かならずよんで ね!

アウシュヴィッツ年表:ペーパクリップ作戦との関連において

Operation Paperclip

池田光穂

「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。/ 傭兵のように日々をおくらなければならない。/奴隷のように日を暮れるのを待ち焦がれ/傭兵のように報酬を待ち望む」(ヨブ記 7:1-3)

Is there not an appointed time to man upon earth? are not his days also like the days of an hireling?/ As a servant earnestly desireth the shadow, and as an hireling looketh for the reward of his work:. The Book of Job, 7:1-2.

ナチス年表」はこちら
《ナ チ問題サイト》→「軍事的インテリジェンスの人類学序説」「ナチス医学関係者との戦争犯罪と戦後の科学研究の継続性と断続性

ナチス・ハンティングとインテリジェンス
ペー パークリップ作戦」「ペーパークリップ作戦名簿
ニュールンベルグ医師裁判」「ニュルンベルク継続裁判
反ユダヤ主義」「アー ネンエアベ協会」「ナチスドイツと戦争医学犯罪(関連名簿)」「優生学の現代」「アメリカ合衆国の優生学」「生命倫理学関連年表」「医 療人類学における生命倫理学」「Life is like a chicken coop ladder」「民族的アイデンティティをめぐる覚書」「全体主義・入門」「ランズマン監 督とフィリップ・ミューラー」「虎の跳躍について」「構造的暴力」「痛 みの文化人類学」「レヴィナスのケア論」「ロックフェラー財団と長與又郎」「ニューロエシックス」「歴史生命倫理学」「阿南成一『安楽死』」「ジジェク『幻想の大疫病』ノート」「安楽死の研究」「ヤ クザと臓器移植」「アーレント「イデオロギーとテロルーー新しい統治形式」ノート」 「ハンナ・アーレント「国民国家の没落と人権の終焉」ノート」「研究業績目録(池田光穂)」「あれっ?!おかしいぞ!から出発する研究倫理(pdf - パスワードなし)」「I.G. ファルベン」「731部隊と石井四郎」 「デュアルユース・テクノロジー」「戦争および軍事紛争」「アウシュビッツに医学=医療はあったのか?」「ナチ・モード・コレクション、1940年6月28日」「戦争のパラダイムとイノベーションについて」「生命倫理学と医療人類学
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《Dornberger, V2, 1952》など

1929 年末。ベッカー博士 (Lieutenant Colonel Karl Becker of the GermanArmy Ordnance Office)管理のもとでの陸軍兵器局・弾道弾薬部が、陸軍省よりロケット推進の研究・開発について指令をうける。

1929
《資料》ポラーンド国立アウシュビッツ 博物館編『アウシュビッツ・ビルケナウ:その歴史と今』同博物館、2018年
1930  ドルンベルガー、陸軍兵器局・弾道弾薬部の検査官に任命され、個々の研究団体と契約。
1930

1931 アルベルト・シュペーア、26 歳でナチに入党する(33)/この年はハーバー=ボッシュ法を生み出したカール・ボッシュがノーベル化学賞を受賞した年。
1931

1932 

オイゲン・ハーゲン、ロックフェラー財団(NY)の特別研究員に採用される。(ハーゲンは黄熱病ワクチンの開発に従事、1937年にはノーベル賞候補にな る。戦後はドイツのソ連占領地区に逃れる)

グムメルスドルフ西部研究所設立

10月1日 ドルンベルガーの推薦により、ヴェルナー・フォン・ブラウンが陸軍液体ロケット研究所に入所。

12月21日 最初のロケットエンジンの静的実験がクムメルスドルフで行われるが爆発して失敗する。
1932

1933 

3月全権委任法可決。フランクリン・ルーズベルト大統領就任(1933年3月4日〜1945年4月12日)

ロケットエンジンの成功と、集合体(ロケット)の完成
1933

1934

      アルトゥール・ルドルフ、ヴェルナー・フォン・ブラウンの下で働きはじめる(38)。

      12月 A2の2つの模型が開発され、ボルカムでの実験に成功
1934

1935

9月15日 ニュルンベルグ法の発布

アーネンエアベ(ドイツ先史待代研究のためのドイツ人遺産協会)協会が設置された(リヒャルト・ヴァルター・ダレの農業省)。

A3の開発スタート。
1935

1936

ティール博士の参加、25トンロケットエンジンの開発はじまる。A4計画の最初の計画案が決定。

8月 ベーネミュンデ研究所建設開始。

"In late 1936, while employed by the Argus Motoren company, Fritz Gosslau began work on the further development of remote-controlled aircraft; Argus had already developed a remote-controlled surveillance aircraft, the AS 292 (military designation FZG 43)." - V-1 flying bomb.
1936

1937 

夏 ワルズィッツ大尉、クムメルスドルフで開発されたロケットエンジンを装着したハインケル(Heinkel)-111の飛行に成功。

V-1V-1

V-1カットモデル模式図と運搬風景(1944-1945年頃撮影か)

++

11月日独伊三国防共協定成立

12月4日 最初のA3試験打ち上げ実験がオイエ島で実施。
1937

1938 

3月オーストリア侵攻(ドイツ・オーストリア併合)

夏、A5ロケット実験(オイエ島)

11月水晶の夜
1938

1939 

この年、プラハ進撃

親衛隊業務管理本部(SSBAMO)が、国内的な奴隷労働ネットークを整備(40)。

夏 ロケット推進エンジン搭載のハインケル176(Heinkel He 176)がペーネミュンデで飛行に成功。

9月「T4行動」がはじまる。
1939
9月 1日ドイツのポーランド侵攻、英仏の宣戦布告により、ヨーロッパでの大戦がはじまる。
11 月30日ソ連、フィンランドへの侵攻(国際連盟除名)
●ポーランド系住民のナチによる大量逮捕による、上シレジアとザクエンビェ・ドンブロフスキーの刑務所の充満状況を解消するために、SSと警察のヴロツワ フ指令部により、強制収用所の建設構想が生まれる。
1940 

3月21日 ペーネミュンデで、25 トン(payload)ロケットエンジンの最初の実験。

5月-6月 オランダ降伏。デンマーク、ノルウェー、ベルギー、フランスがドイツ占領下に入る(→ Nazi Mode Collection in 28 June, 1940.)。

7月16日 最初の大陸間ロケットの草案。

9月日独伊三国同盟成立。アインシュタインはアメリカ国籍の証明書を受ける(374)
1940
●4月27日ヒムラー、現地視察後に 「アウシュビッツ」強制収容所の建設を命じる。
6月14日数人のユダヤ人を含むポーランド政治犯728名を収容。これが収容所の活動の開始日とされる。
1945年までに70万人(男性27万人)が登録される。2年後(1941年5月4日以降)には、登録されることなく到着後直接ガス室に送られる収容者が 増大。
6月19日オシフェンチム近隣住民7000名の退去命令。オシフェンチム在住のユダヤ人、7000名は近隣のゲットーに収容。
7月6日タデウシュ・ヴィエヨフスキーが、初めて脱走する。
秋、ポーランド・レジスタンスは、収容所に関する情報をロンドンの亡命政府に報告。
11月22日最初の銃殺者ポーランド人40名。
1941

8月20日 ヒトラー、V2の実戦準備を命令。

10月29日 地対空ロケット計画(ゲーリングが命令するのは約1年後の9月1日)
1941
3月1日ヒムラー視察。収容所の拡大と 工場建設のために囚人1万人をIGファルベンに派遣するように命じる。
4月23日脱走者の懲戒のために所長ルドルフ・ヘス、10名の餓死刑を命じる。
6月6日、チェコからの政治犯の移送。
9月3日チクロンBを使った処刑を、600名のソ連軍捕虜と250名のポーランド人に実行。この秋に1号ガス室を建設。
10月ソ連兵捕虜のために第一収容所の建設がはじまる。ブジェジンカ村を破壊し、第二収容所(アウシュビッツ=ビルケナウ)の建設がはじまる。
11月11日(第一収容所)の死の壁でポラーンド人151名の処刑がおこなわれる。
1942

      1月20日 ヴァンゼー会議開催

      2月 軍需大臣フリッツ・トート飛行機事故で死亡。シュペーアが後任に指名。

      夏 海中潜水艦よりロケットの水中発射の成功

      7月8日 A4を地球の高層研究に利用する計画案を検討。

      9月1日 ゲーリング、地対空ロケット開発計画を命令

      10月3日 A4つまりAggregat 4 (A4)[V-2ロケット]打ち上げ成功。
1942
●ガス室をつかったユダヤ人の大量虐殺 がはじまる。
3月スロバキアから2万7千人、フランスより6万9千人のユダヤ人移送される。この月、アウシュビッツ=ビルケナウ第二収容所が稼働する。
3月27日アウシュビッツ女性収容者17万人のうち最初の二千名の受け入れがはじまる。
3月〜7月第二収容所の仮設ガス室の稼働がはじまる。同時期「特設ホーム」の利用がはじまる。
5月ポーランドから30万人、ドイツオーストリアから2万3千人のユダヤ人移送がはじまる。
5月4日、第二収容所では、SSがユダヤ人の選別が始まる。
6月10日懲罰班ポーランド人50名の脱走と反乱。7名が脱走に成功。
7月オランダからのユダヤ人6万人に受け入れがはじまる。
7月ポーランド・チェシン市ゴレショヴォ(ドイツ名:ゴレシャウ)収容所の建設がはじまり、ここを、アウシュビッツの副収容所ネットワークとして位置付け られる。
7月29日ドイツ人実業家エドヴァルド・シュルテ、強制収容所の情報を連合国側に伝わる。これ以降、アウシュビッツの情報は、収容所内の地下組織、ポーラ ンドのレジスタンスなどから、連合国側に伝わる。
1943

      7月7日 ヒトラー、V-2ロケット計画[Aggregat 4 (A4)]を最優先するように指導。

      8月 ヒムラー、シュペーアとともにヒトラーに謁見。強制収用所の囚人を奴隷労働に使うことを提案。107名がブーヘンヴァルト収容所からミッテルヴェル クに移送(38)。

      8月17-18日 ベーネミュンデへの最初の連合軍空襲

      8月末 Aggregat 4 (A4)[V-2ロケット]のユダヤ人奴隷労働を使った大量生産の開始。

      9月5日 ブリツナの444砲兵隊によりV-2の最初の実戦訓練。
1943
2月26日アウシュビッツ=ビルケナウ 収容所内にロマ(ジプシー)を受け入れる家族収容施設を設けた。
3月ギリシャから5万5千人のユダヤ人移送がはじまる。
3月22日〜6月25日アウシュビッツ=ビルケナウで、4つの死体焼却場(ガス室と焼却炉)の稼働がはじまる。
6月7日収容所は、クルップ社のドイツ人従業員用に収容所内の工作室を貸し与える。IGファルベン(国 策トラスト)やシーメンス社のほかに数百社のドイツ企業が参加し、ユダヤ人奴隷労働者を酷使する。
7月19日アウシュビッツ(第一)で12人のポーランド人公開絞首処刑。容疑は数人の脱走の幇助と外部との接触のため。
9月9日アウシュビッツ=ビルケナウ(第二)、テレジンのゲットーからの移送されたユダヤ人に「家族収容施設」を設ける。
10月イタリアからの7500名のユダヤ人移送がはじまる。
1944 

      2月5日 「ワッサーファル」の打ち上げ成功

      6月6日 ノルマンディー上陸作戦

      6月13日 ロンドンにV-1ミサイルによる最初の攻撃(29)。

He-111 and He 111V-1

He 111H-16 with a V-1 flying bomb, 8 August 1944 とV-1カットモデル模式図

(left: A German Luftwaffe Heinkel He 111 H-22. This version could carry FZG 76 (V1) flying bombs, but only a few aircraft were produced in 1944. Some were used by bomb wing KG 3)

9月 イギリス統治下のパレスチナのユダヤ庁は、イギリス軍の傘下でナチと戦うことを決定し、チャーチルの承認のもとでユダヤ人戦闘部隊(Jewish insurgency in Mandatory Palestine)が編成される。

      9月5-6日 V-2、初めての実戦打ち上げ。

      12月27日 V-2改良版?(A9, A4b)の打ち上げ失敗。

      Aggregat rockets compared

      Aggregat rockets compared (rocket family)

      11月23日 ストラスブール解放。26日ゴーズミットは〈アルソス作戦 Alsos Mission〉の極秘任務を遂行(24)

      12月9日 ファーラール城のパーティでV-2ロケットの披露目(29, 33-34)。それに遡る午後3時20分、アントワープのレックスシネマにV-2が命中、死者567人(35)
1944
5月アウシュビッツの上空を連合軍航空 機が撮影。ガス室と焼却炉の煙が映像に映る。
8月IGファルベンの工場への米英の爆撃がはじまる。
5月16日アウシュビッツ=ビルケナウで、第2第3焼却炉のガス室に誘導する側線設置が完成する。
ハンガリーから43万人のユダヤ人の移送がはじまる。
7月10〜12日テレジン用の家族収容施設の取り壊し。同?7000人のユダヤ人をガス室で殺戮。
8月ポーランド・ウッジ市(ドイツ名:リッツマンシュタット)のゲットーより6万7千人のユダヤ人移送。
8月2日ロマの家族収容施設の取り壊し。同3千人がガス室で殺戮される。
8月12日ワルシャワ蜂起。逮捕された1万3千人がアウシュビッツに移送。
10月7日特別労務班の暴動。SS3名、ユダヤ人特別労務班の450名が落命。
11月ガス室でのユダヤ人の虐殺が中止
1945 

      1月17日 アウシュビッツ=ビルケナウ収容所(Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)では、ドイツの敗北を予想して脱出の準備がはじまる(撤収は1月23日)。

      1月18日 死の行進はじまる(ブナ収容の9000名の収容者の6割=5,400名が死亡)

      1月21日 最後の撤収命令(55)

      1月24日 A9打ち上げ成功

      1月27日 アウシュビッツ解放

      2月14日 A4、ベーネミュンデから最後の発射。

      2月17日 ベーネミュンデから撤退。(3月ソ連軍占領)

      4月12日 ルーズベルト急死、トルーマン大統領就任。

      4月29日 SS指導者ヒムラーが無断で連合国に降伏を通告。

      4月30日 ヒトラー総統地下壕で自殺。

      4月:FIAT (〜1947): "Early in 1945, foreseeing a vastly increased military and civilian interest after hostilities ended in Germany, Secretary of War Stimson had sent his scientific consultant, E. L. Bowles, to Europe to help set up a single high-level scientific and technological intelligence organization. Later, in April, among his other assignments, General Clay had acquired the job of working with Bowles in carrying out the mission from the Secretary of War." - FIAT.

      5月2日 ドルンベルガー、ヴェルナー・フォン・ブラウン、米軍に投降。

      5月8日 ドイツの降伏(ナチスドイツの消滅)。

      6月20日 OSSとArmy CIC [Counterintelligence Corps]は、ペーパークリップ作戦の前身の「オーバーキャスト作戦(Operation Overcast)」発動する("In March 1945, at Bonn University, a Polish laboratory technician found pieces of the Osenberg List stuffed in a toilet; the list subsequently reached MI6, who transmitted it to U.S. Intelligence"- Osenberg List )

      11月 「オーバーキャスト作戦(Operation Overcast)」は、ペーパークリップ作戦に改名。

      11月20日〜1946年10月1日 ニュールンベルク裁判(Nuremberg trials)
1945
1月6日ドイツ軍法会議での死刑判決を 受けたポーランド人70名が銃殺される。特別労務班の暴動(前年10月7日)を幇助容疑の4名のユダヤ人女性が公開絞首刑(最後の処刑)
1月17日「死の行進」にて、アウシュビッツ収容所全体から6万人の移動を強要。
1月20〜26日アウシュビッツ=ビルケナウのガス室と焼却炉を爆破。
1月27日ソ連軍がアウシュビッツ収容所の解放をおこなう。残留者は、当時7500名
1946

4月26日 On April 26, 1946, the Joint Chiefs of Staff issued JCS Directive 1067/14 to General Eisenhower instructing that he "preserve from destruction and take under your control records, plans, books, documents, papers, files and scientific, industrial and other information and data belonging to ... German organizations engaged in military research";[15]:185 and that, excepting war-criminals, German scientists be detained for intelligence purposes as required.[44] - OP.

9月3日 Operation Paperclipは、トルーマン大統領に承認されるのみならず、適応される要員の範囲を拡大。

10月1日 ニュールンベルク裁判(Nuremberg trials)閉廷

12月9日(〜1947年8月20 日)ニュルンベルク医師裁判(Nürnberger Ärzteprozess)医師裁判を含む12の継続裁判は 1949年4月13日[大臣裁判]に結審。
1946

1947

2月1日アメリカ科学者連盟(FAS)はニューヨークでトルーマン大統領に公開書簡を認めOP(ペーパークリップ作戦)の中止をもとめる声明(373- 374)。FIAT ended in 1947, when Operation Paperclip began functioning.

8月22日 クネーマイヤー渡米(371)

この年の冬:陸軍省は、OPに関する情報公開を禁止する(376)。

マハトハウゼン-グーゼン強制収容所(Mauthausen-Gusen concentration camp complex)の生存者サイモン・ウィーゼンタール(Simon Wiesenthal, 1908-2005)はナチ敗戦後から米軍の戦争犯罪セクションと協力しナチ戦争犯罪者の調査と捜索活動に従事していたいた。ウィーゼンタールは、この 年、30名のボランティアとともに、リンツに「ユダヤ人歴史資料センター(Jewish Historical Documentation Centre)」を開設し、ひきつづきナチの捜索(ナチ・ハンティング[Nazi hunter])続ける。この活動は(アイヒマン捜索活動を除いて)1954年にイスラエルのヤド・ヴァシェム・アーカイブ(Yad Vashem)[国立ホロコースト博物館]に寄託されるまで続いた。
1947

1948
1948

1949 

1949年4月13日[大臣裁判]に結審

5月23日連邦共和国臨時政府(西ドイツ)が誕生

ゲーレン機関は、CIAに吸収される。


1952 

西ドイツの方針をめぐりJIOA(統合諜報対象局)とCIAの足並みが崩れ、ペーパークリップ作戦に陰りがでる(519)。

同年冬、トルーマン・リスト 1,000名のみの米国へのリクルートは継続して承認(OPで渡米は600名の科学者、ドイツ領内には400名が残っていた)(520)。JIOAと CIAは、新たな科学者のリクルートをやめることを決定。


1954
 ウィーゼンタール、ナチハンティング情報を、イスラエルのヤド・ヴァシェム・アーカイブ(Yad Vashem)[国立ホロコースト博物館]に寄託する。


1955-1958 フォン・ブラウン が、イタリアで研究していたロケット科学者ヘルマン・オーベルト(Hermann Julius Oberth, 1894-1989)を米国に招聘する。


1956 ゲーレン機関がBND(連邦情 報局」Bundesnachrichtendienst)になる。元ナチの諜報員はドイツ連邦共和国大統領の指揮下に入る。


1957 JIOAに、ヘンリー・ウェー レン中佐が配属される(521)。10月8日ソ連、スプートニク1号(Sputnik 1)の打ち上げ成功。


1958 2月7日高等研究計画局, ARPA(Advanced Research Projects Agency, 1958-1972)が設置。同時に国防総省研究技術局が開かれる(522)。


1959 ウェーレン中佐は、JIOA の副局長に就任。


1962 JIOAの解散(実質的なOP の終了)。残務処理は、国防総省の研究技術局に引き継がれる。


1963 元JIOA副部長ウェーレン中 佐はGRU(ソ連参謀本部情報機関)に機密情報を提供していたことが発覚(FBI)

1963 フランクフルト・アウシュ ヴィッツ裁判(Frankfurt Auschwitz trials)はじまる(-1965)
1972 ARPA(Advanced Research Projects Agency)がDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)に改名される。


1990 10月2日ドイツ統合


1996 シュペーア、回顧録出版、その 中で1944年末での視察によりドイツの敗北を予想(44)


1998 10月8日米議会「ナチ戦争犯 罪情報公開法(Nazi War Crimes Disclosure Act, P.L. 105-246)」を可決


2000 12月27日米議会「日本帝国 政府情報公開法(Japanese Government Disclosure Act, P.L. 106-567)」を可決



2006
国際アウシュヴィッツ委員会発足(委員 には、フランス、イスラエル、ドイツ、ポーランド、ウクライナ、アメリカ、イギリスの代表者が選出)

ニュールンベルク裁判Nuremberg trials) と、ニュールンベルク継続裁判Subsequent Nuremberg trials

■占領軍側の用語

■ナチ用語

■類似の作戦(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Paperclip#Similar_operations

■さて、同名の広闊な文献と現地調査にもとづく同名 の書籍を公刊したアニー・ジェイコブセンさんの『ナチ科学者を獲得せよ』太田出版(2015)/Jacobsen, Annie, Operation paperclip : the secret intelligence program that brought nazi scientists to America. NY: Little, Brown and Company. 2014.(Google books)(CIA による紹介)(Operation paperclip に関するジェイコブセンさんの講演

■図像


https://encyclopedia.ushmm.org/content/en/map/major-nazi-camps-in-europe-january-1944
田村光彰『ナチス・ドイツの強制労働と戦後処理』社会評論社、 p.42、2006年

アウシュビッツの3つの収容所のうちの、第3収容所IG(イー・ゲー)ファルベン。囚人のいたバラックはモノヴィッツと言うが、彼らは「ブナ(人造 ゴム)」と呼んでいた。

■SSの組織図(Organogram of the SS, )

+Source: Other Military and Auxiliary Organizations, from Tchnical Manual: "Handbook on German Military Forces" (TM-E 30-451) War Department, 15 March 1945.

■V-2ロケットの構造(出典:https://goo.gl/dZUbrU)とHermann Oberth, Wege zur Raumschiffahrt (1929)

+

「1927年に結成されたドイツ宇宙旅行協会は、 宇宙旅行を目指して1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァイマル共和国の陸軍は、 1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、ヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマ チュア研究者だったヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。/フォン・ブラウン らはこれに応じて同研究所に参加、1934年12月、エタノールと液体酸素を推進剤とする小型のA2ロケット(質量 500 kg)の飛行実験を成功」(出典:https://goo.gl/dZUbrU

■OPが戦後の軍事技術に果たした「貢献」

■Annie Jacobsen の依拠した資料

■学者たちのキャリア・デザインからみた「帝国科学 評議会」と「ペーパークリップ作戦」(→詳しくは「ナチス医学関係者との戦争犯罪 と戦後の科学研究の継続性と断続性」を参照)


■諜報=インテリジェンス概念のおさらい(出典:「インテリジェンス(intelligence)」)

インテリジェンス(intelligence)とは かつて諜報(ちょ うほう)と翻訳されていたことばを外来語として読み直したものである。Google - Dictionary によると二番目の意味に、2. the collection of information of military or political value(=軍事的または政治的価値のある情報収集)とあり、その同義語(synonyms)として「 information gathering(情報の収集), surveillance(監視), observation(観察), reconnaissance(偵察), spying(スパイ行為), espionage(スパイ活動), undercover work(諜報), infiltration(潜入[調査]), ELINT(電子偵察:electronic intelligenceの略号), HUMINT(人間諜報活動:Human intelligence), cyberespionage(サイバースパイ活動), humint(情報分析)」からなる。

それらをまとめると、軍事あるいは現実政治(リアル ポリティーク)の世界で、秘密裏にすすめられる、人または通信や機械(コンピュータ)を使っておこなわれる、(1)情報の収集、(2)蓄積、(3)分析、 (4)報告、そしてそれに基づく(5)作戦遂行、の5要素が諜報=インテリジェンス[intelligence](あるいは軍事的インテリジェンス: military intelligence)である。

デザイン思考の図式を使って表現すると以下のように なる。


ナチス・ハンティングとインテリジェンス

軍事的インテリジェンスの人類学序説

リンク(動画)

リンク

文献

その他の情報

Maya_Abeja

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2019

池田蛙  授業蛙 電脳蛙 医人蛙 子供蛙


JN Special Naval Landing Forces troops in gas masks prepare for an advance in the rubble of Shanghai. Chemical weapons were utilized against the Chinese during the battle.
-Imperial Japanese Navy photo from Brent Jones collection

 Jedem das Seine, "Everyone gets what he deserves," - 誰もが自分に足るものを受ける(Annie Jacobsen, "Operation Paperclip" のビデオより)