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ラ・メトリーの啓蒙哲学について

Julien Offray de La Mettrie, 1709-1751

池田光穂

「人間は身体的感覚(sensibilité physique) によっていったん動き始めると,そのあらゆる行為を必然的に行っていく、ひとつの機械である」Claude Adrien Helvétius(1715-1771)

"Julien Offray de La Mettrie (French: [ɔfʁɛ də la metʁi]; November 23, 1709[1] – November 11, 1751) was a French physician and philosopher, and one of the earliest of the French materialists of the Enlightenment. He is best known for his work L'homme machine (Machine Man).[2] La Mettrie is most remembered for taking the position that humans are complex animals and no more have souls than other animals do. He considered that the mind is part of the body and that life should be lived so as to produce pleasure (hedonism). His views were so controversial that he had to flee France and settle in Berlin."- Julien Offray de La Mettrie.

「生涯:ブルターニュ沿岸のサン・マロに生まれた。 生家は富裕な絹商人であり、家業を継がされるはずが利発なところからコレージュ・ド・クーサンスに入学させた。まもなくカーンのヤンセン派の学校で修辞学 の課程を学び、1725年コレージュ・ダルクールで哲学年級の課程を修めている。同郷人の医師ユノー(Hunauld)の成功に刺激されて神学の道を捨て て医学を学ぶために1733年にライデン大学に赴き、ブールハーフェの弟子となる。1734年からサン・マロで医師開業の登録を受けながら、ライデン大学 でなおもブールハーヴェの講義を聴きに行っている。1735年にブールハーフェの『花柳病論』の翻訳に注釈をしてパリで出版をしているが、これがラ・メト リの最初の著作である。翌年パリ医科大学の医学者アストリュックに批判され、1747年まで続いたパリの医師すべてをやり玉に挙げた論戦を展開する。 1739年、マリー・ルイズ・ドロノーという寡婦と結婚している。1742年にパリに出て同郷の医師による推薦で、グラモン公の指揮するフランス近衛連隊 の軍医となり、オーストリア継承戦争(1740 -1748)に参加してフランドルの戦役に従軍する。1744年のフリブール攻囲戦で熱病にかかり、多くの傷病兵を看取った体験とともにラ・メトリの思想 の転機となった。1745年に発表した『霊魂の自然史』にあらわれた思想が連隊付きの説教師により無信仰と攻撃され、連隊を去り、リール、ヘント、ブ リュッセルなどの野戦病院の監督医官に任命された。しかもパリ医科大学の無知と腐敗を攻撃した文書を出し続けていたために、1746年7月9日に彼の著書 が広場で焼かれ、職を辞してガンから国境を越えてライデンに逃れ『人間機械論』を著して、自身の唯物論を完成させた。1748年おそらくモーペルテュイの 斡旋によりプロイセンに亡命して2月8日、ポツダムに到着する。フリードリヒ2世の侍読として仕える。駐独フランス大使の重病を治し、その全快祝いの祝宴 に招かれたあと病にかかり、自ら瀉血・温浴を試みたが数日後に死亡した。」

年譜

1709 サン・マロに生まれる

1725 コレージュ・ダルクールで哲学年級の課程を修める

1733 ライデン大学に赴き、ブールハーフェの弟子となる

1734 サン・マロで医師開業の登録を受けながら、ライデン大学でなおもブールハーヴェの講義を聴きに行く

1735 ブールハーフェの『花柳病論(Aphrodisiacus)』の翻訳に注釈をしてパリで出版

1736 パリ医科大学の医学者アストリュックに批判されるが、その反論により口撃性に火が付く。

1737 『眩暈論 Traité du vertige』

1739 マリー・ルイズ・ドロノーという寡婦と結婚

1740 

『痘瘡論 Traité de la petite vérole』『機知についてならびに才人気取りの人々について Essai sur l'esprit et les beaux esprits』ブールハーフェ氏の著作より抜粋せる科学理論の要約 Abérég de la théorie chimique,tiré des propres écrits de M.Boerhaave』

1742 パリに出て同郷の医師による推薦で、グラモン公の指揮するフランス近衛連隊の軍医となる。フランドルの戦役に従軍する。

1744 フリブール攻囲戦で熱病にかかり、多くの傷病兵を看取った体験とともにラ・メトリの思想の転機となる。『仇討ちをした外科医 Saint-Côme vengé』1744年

1745 

『霊魂の自然史(霊魂についての論文?)』にあらわれた思想が連隊付きの説教師により無信仰と攻撃され、連隊を去る。リー ル、ヘント、ブリュッセルなどの野戦病院の監督医官に任命。『マキャヴェルリの医師の政策、医者に開かれた出世の道 Politique du médicin de Machiavel ou le chemin de la Fortune ouvert aux médicins』1745年

1746 7月9日に彼の著書が広場で焼かれ、職を辞してガンから国境を越えてライデンに逃れ『人間機械論』を執筆をはじめる。

1747

『仕返しをした医科大学 La Faculte vengée,comédie en trois actes』1747年、『ペネロップの仕事 L'Ouvrage de Pénélope』1747年、『人間機械論 L'homme-machine』1747年

1748  モーペルテュイの斡旋によりプロイセンに亡命。ポツダムに到着する。フリードリヒ2世の侍読として仕える。

『喘息論 Un traité de l'Asthme』、『改宗した外科医 Le Chirurgien Converti』、『人間植物論 L'Homme-Plante』、『機械以上の人間 L'Homme plus que Machine』、『反セネカ論、幸福論 Anti-Sénèque ou discours sur le bonheur』

1750 『エピクロスの学説 Système d'Epicure』

1751 駐独フランス大使の重病を治し、その全快祝いの祝宴に招かれたあと病にかかり、自ら瀉血・温浴を試みたが数日後に死亡。『享楽術 L'Art de Jouir』1751年 

「人が愛するもののなかで、女がすべてである」 L'Art de Jouir[享楽の術] (1751) - de La Mettrie。これには性の技巧とヴァリエーションが豊富に記載されていて、そのあげくがこのテーゼに到達するらしい。このデ・ラ・メトリーの最晩年の テーゼを評して、ジェフリー・ゴーラー(1981:105)は、駐独フランス大使の熱病の看病をして、ほどなく42歳で死亡した彼の「性力」は意外としょ ぼかったのではないかと評する。

1753 Oeuvres philosophiques de Mr. De La Mettrie, 3巻本が公刊される。

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文献

その他の情報

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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