かならずよんで ね!

人工知能と宗教

Artificial Intelligence and Religion

Georges Rouault (1871-1958)

池田光穂井上大介

このページでは、人工知能(AI)と宗教 を考える。これは池田と井 上大介氏との共同プロジェクトである。(なお、この表題では宗教は 「人間が信じるもの」とされていているが、将来的には〈AIが宗教を信じるという可能性〉 も思考実験として取り入れるつもりであるとは想定されて いない→※「ギアーツ「文化体系 としての宗教」」「シンギュラリティ崇拝の構造」)

シンギュラリティーとは、端的にいって、人工知能(AI)の計算能力が人間の思考能力を超える技術論的仮想点あるいは時間的タイミングのこ とである。シンギュラリティ(=劇的に位相が変わるポイント)については、すでに多くの人の指摘があるが、ここでいうシンギュラリティはレイ・カーツワイ ルの提唱によるものである(→「シンギュラリティ時代における宗教」「シンギュラリティの宗教研究のための11のテーゼ」)。

● 研究のフレイム

1)AIとは何か?宗教とはなにか?ということをそれぞれ明らかにして、両者の側から、それぞれ、AIからみた宗教、宗教からみたAIを考える

2)AIとは何か?宗教とはなにか?ということを直接考えずに、人がAIという時にそれが差し示すものがなにか? 人が宗教という時にそれが差し示すものがなにか?について、まず考察することを先決とするアプローチ。

それでは、宗教とは何か?

「宗 教とは、個々の人間が孤独の状態にあって、いかなるものであれ神的な存在と考えられるものと自分が関係していることを悟る場合にだけ生ずる感情、行為、経 験である」宗教的経験の諸相』(ジェイムズ1996:52)[→「カントの宗教概念」]

啓蒙時代初期における「宗教」の進化(あるいは進 歩)について:『単なる理性の限界内における宗教』1793年において「真の宗教は 理性的な道徳的宗教のみであり,道徳は必然的に宗教に至る. 自らの実践哲学の枠組みをもって真の宗教のあるべき姿を論じた」岩波書店解説)。 そして、ポストモダン期のデリダ『信と知: たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』の未来社の解説「1994年、冷戦後のヨーロッパ世界が、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の三すくみ状況 のなかで混迷する時代に突入した政治的・思想的危機を目の前にして哲学者たちがカプリ島に集まった。デリダの提案にもとづいておこなわれた〈宗教〉をめぐ る一大コロックでの講演をもとに、その後に大幅加筆された追記(ポスト・スクリプトゥム)とあわせてまとめられた後期デリダの代表的宗教論。今日の宗教を 語ることの困難とともに、その問いのもつ不安、共有された気づかいをもとにあらためて〈宗教〉そのものをめぐる問いを通じて、鋭く現代世界を問い直す。晩 年につながる一連のデリダ宗教論の出発点であり、冷戦後の現代世界に席捲する原理主義的テロリズムなどを見越した宗教をめぐる今日的課題が予見的に提出さ れている」。

宗教(Religion)は、 超自然的、超越論的、あるいは霊的な要素に人間が関わりをもつ、行動と実践、道徳、世界観、テキスト、聖なる場所、預言者たち、倫理、あるいは組織の社会 文化的システムのことであると、ここでは定義しておこう。しかし、社会人類学者ロドニー・ニーダム(1981)が言うように「religion と翻訳できるような印欧語族の諸言語に共通する言葉」ない(ニーダム、ロドニー「宗教の諸特性」『人類学随想』江河徹訳、岩波書店(岩波選書)、 1986年(原著1981))というのが現状である。もし仮に、宗教あるいは宗教的と言う用語でまとめたからとしても、実際は、何も言っていないことが、 宗教についての通文化的研究のジレンマ である(→「宗教人類学入門」)。

聖なるものをヌミノーゼ(Numinöse, numinousの 概念で説明しようというのがルドルフ・オットーである:「あ るものを「心の中で聖なるものと見なす」ということは、あるものを他の恐れとは置き換えられない独特の畏怖の感情によって表すことであり、言い換えればヌ ミノーゼのカテゴリーによって評価することである」(cf.ユダヤ教のヤハウェが発する「神の恐ろしさ」)——ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869-1937)『聖なるもの』華園聰麿訳、p.31, 創元社、2005年(原著 1936)

宗教の世俗化(Secularization ): "Secularization (or secularisation) is the transformation of a society from close identification with religious values and institutions toward nonreligious values and secular institutions. The secularization thesis refers to the belief that as societies progress, particularly through modernization and rationalization, religion loses its authority in all aspects of social life and governance. The term secularization is also used in the context of the lifting of the monastic restrictions from a member of the clergy."- Secularization .

"Secularization has many levels of meaning, both as a theory and a historical process. Social theorists such as Karl Marx, Sigmund Freud, Max Weber, and Émile Durkheim, postulated that the modernization of society would include a decline in levels of religiosity. Study of this process seeks to determine the manner in which, or extent to which religious creeds, practices and institutions are losing social significance. Some theorists argue that the secularization of modern civilization partly results from our inability to adapt broad ethical and spiritual needs of mankind to the increasingly fast advance of the physical sciences."- Secularization .

宗教の世俗化を、たんに教会の権威の失墜とみるだけ でなく、信仰の領域が、世俗社会=公共圏(public sphere)よりも、家庭の中に、つまり親密圏(intimate sphere)のなかに撤退し、結晶化したという言い方もできる。つまり、衰退したのは教会であって、親密圏のなかでは宗教的実践はその後も連綿と続いて いるという見方も可能である。

宗教と社会生活
宗教 人類学
宗教研究と文化人類学
新宗教と癒し
宗教と医学が出会うとき
癒し をうむ社会
文化進化論 と宗教
アニミズム
デン キウナギと宗教 マナ信仰
シャーマニズム
〈病む〉こと と宗教
宗教に関す る配慮
聖なる空間
Medicine, Magic, and Religion
ウェー バーの謙遜
医 療的多元化
本主義と キリスト教
トー テミズム 非正統医 療
フレーザー
病む存在
カントの宗教概 念
臨床宗教師
心の健全さ
争神学
療の文化的 構成
AI民 族誌
村岡「対話の哲学」メモ
タラル・アサドの宗教人類学






宗教研究は、人々の信念であるから、宗教についての「科学」は、人々の信念についての「科学体系」のひとつである。(と、言えるか?)

そして、宗教がもつ、あるいは日常における「信頼」とは何か? (→「ドイツ観念論における解釈」)

言い方を変えると宗教の問題は信頼ないしは信頼性の 問題でもある。かつて公募課題として存在した、科研の特設分野研究「情報社会におけ るトラスト」 (平成29年度〜令和元年)について分析しよう。なぜならば、この科研課題は、情 報通信分野の急速な発達により、われわれ人間どうしの、人間と機械との、そして、AIのように機械と機械のあいだの「信頼性」の諸相について問うているか らである。そして、人間どうしの「信頼」から成り立ち、宗教組織というものを作り上げた、われわれの「宗教」においても「情報通信分野の急速な発達」は、 何らかの影響を与えていることは確かなのである(→「情 報社会における信頼について」)

「情報通信分野の急速な進展により、コンピュータや センサなどからネットワークを介して 大量のセンシング情報が生成され、ビッグデータとしてクラウドなどのサイバー空間に蓄積 されるようになった。実空間の人やモノがそれらを複合的に活用することで、人々の日常生 活、社会経済活動、教育研究活動、行政活動などに資する新たなサービスが 創出され、多数 の人々がそれらを社会インフラとして利用する新しい情報社会が到来し つつある。/ このような情報社会が健全に発展するには、情報通信のユビキタス性(→「教育と研究の融合化 」)を阻害することなく トラスト(信頼関係)を確保することが重要になってくる。昔から我々の社会では人と人と のつながりが、組織、市場、社会へと広がり、信頼関係が構築されてきた。しかし、それだ けでは顔の見えないネット越しの社会における信頼関係の構築には十分でなく、セキュリテ ィやプライバシーにも関わる様々な社会的問題が生じている。/ 多様な利害関係者が存在する情報社会におけるトラストの確保は容易ではない。人、組 織、 サービス、システムなどの構成要素の間で、誰(あるいは、どれ)が何をどの程度信頼する のかといったトラストの前提条件がしばしば曖昧である。個々の構成要素からみて、あるい は総体として、どのようなトラストが実現されているのかが明らかでないことも多い。ト ラ ストの客観的な評価尺度や評価法、多様な制約条件のもとでトラストを適切に設計し実現す る手法、また、対象となるサービスやシステムの信頼性を担保する社会 的な取組の強化も確 立していない。/ また、製造、農耕、商取引、金融、物流、交通、観光、福祉、医療、教育、防災、省エネ、 環境改善など社会のあらゆる分野において、人やモノから得られる様々な情報を複合的に利 用できればできるほど、より高度なサービスが提供できる反面、秘密保持やプライバ シー保 護がより困難になる。トラストに応じて個人情報や営業秘密、知的財産を含む様々な情報の 開示範囲や詳細度を適切に設定するには、どのような法制度や規範が必要なのか、倫理や道 徳の観点から考えるべきことは何か、技術やシステム、サービス、ビジネスモデルなどとの 整合性をどのように担保するかなどの問題も存在する。/ 本特設分野は、現代社会におけるトラストに関して多面的に研究する分野である 」出典:pdf 資料.

"In a social context, trust has several connotations. Definitions of trust[1][2] typically refer to a situation characterized by the following aspects: One party (trustor) is willing to rely on the actions of another party (trustee); the situation is directed to the future. In addition, the trustor (voluntarily or forcedly) abandons control over the actions performed by the trustee. As a consequence, the trustor is uncertain about the outcome of the other's actions; they can only develop and evaluate expectations. The uncertainty involves the risk of failure or harm to the trustor if the trustee will not behave as desired."- Trust (social science). [1]Mayer, R.C.; Davis, J.H.; Schoorman, F.D. (1995). "An integrative model of organizational trust". Academy of Management Review. 20 (3): 709–734. [2]Bamberger, Walter (2010). "Interpersonal Trust – Attempt of a Definition". Scientific report, Technische Universität München.

The Artist's Daughters on the Way to School (Die Kinder des Künstlers auf dem Weg zur Schule), 1851 Gustav Adolph Hennig, 1797-1869 painting.

これらの問題は、手島と池田の共著「AI時代における「信頼」あるいは二つの言語と コミュニケーションの領域横断的研究」で考察している。

『ターミネイター』はキリスト教におけるハルマゲドン(黙示録)に 関連するのでは?(→「ターミネイターの時間構造」)

エージェンシーとはなにか?

エージェンシー

Agency (philosophy) "is the capacity of an actor to act in a given

environment. The capacity to act does not at first imply a specific moral dimension to the ability to make the choice to act, and moral agency is therefore a distinct concept. In sociology, an agent is an individual engaging with the social structure. Notably, though, the primacy of social structure vs. individual capacity with regard to persons' actions is debated within sociology. This debate concerns, at least partly, the level of reflexivity an agent may possess."- Agency (philosophy).

Agency (social science) "is the capacity of individuals to act independently and to make their own free choices. By contrast, structure is those factors of influence (such as social class, religion, gender, ethnicity, ability, customs, etc.) that determine or limit an agent and their decisions. The relative difference in influences from structure and agency is debated—it is unclear to what extent a person's actions are constrained by social systems."- Agency (sociology).

古典的なAI批判のひとつは、「AIは身体性をもた ない」から思考できないという批判です。これは、心身二元論に立ちながらも、それらが相互に関係をもち、人間の思考というものがなりたつ。人間の思考は (身体性由来の)情動との深い関連をもつからだというものです。これは、ダマシオのような、情動は理性的(=合理的)判断と同等あるいはそれ以上の判断能 力をもち、人間性を構成する重要な要素であるという主張です(→「ソマティッ ク・マーカー仮説」)。 あるいは、ヒラリー・パットナムの「桶の中の脳」にある脳という思考実験は、外部世界が虚構であるという懐疑論を持ち出すことができるが、この思考実験に もとづいて、デカルトの命題への反論「私は存在しない」と私が主張しても、なお、それは自己論駁的(=ちゃぶ台返しの矛盾に満ちた主張)に過ぎないのであ る(→「桶の中の脳」)。

シンギュラリティとい う宗教に「改宗」する?(→これはシンギュラリティという観念と実践体系が 「宗教」に比肩するあるいは「対応物」である必要がある)

基本用語の整理:「改宗(かいしゅう; religious conversion)は、従来信仰してきた宗旨を捨てて、他の宗旨に改める事である。なお、改宗には大きく自発的に改宗する場合と政策などの理由などに より強制的に改宗させられる場合(強制改宗; forced conversion)とに分けることができる。日本仏教における各宗旨間の改宗は、宗旨替えともいう。正教会・カトリック教会においては、他教 派から自教派に改宗することを帰正と呼ぶ」ウィキペディア「改宗」そして、教えを裏切 ることを「背教(apostasy)」する。

"Religious conversion is a process that entails a change in religious affiliation, worldview, and identity. In turn, the conversion process dialectically establishes (and often changes) the very entities to which and from which people convert. Anthropologists came to study religious conversion relatively late, possibly because of its Christian connotations and anthropology’s complicated relationship with Christianity (see the Oxford Bibliographies article “Anthropology of Christianity”). The wider field of conversion studies is old, interdisciplinary, innovative, and dynamic. Three dominant themes in the anthropology of religious conversion are the connection between religious conversion and modernity, the consequences of conversion, and the emphasis of conversion either as a rupture with the past or stressing elements of continuity. Subsequent sections review conversion to different currents in Christianity (especially Catholicism and Pentecostalism), Islam, Buddhism, Hinduism, and New Religious Movements. Conversion to Atheism and Agnosticism provides an overview of conversion to atheism and agnosticism (see also Oxford Bibliographies article “Secularization”). Additional sections explore the connections between conversion and gender, language, markets, mass media, and politics. Included in this article is an overview of the main academic journals, publishing regularly on (the anthropology of) religious conversion." - Oxford Bibliography.

"Religious conversion is the adoption of a set of beliefs identified with one particular religious denomination to the exclusion of others. Thus "religious conversion" would describe the abandoning

of adherence to one denomination and affiliating with another. This might be from one to another denomination within the same religion, for example, from Baptist to Catholic Christianity or from Sunni Islam to Shi’a Islam.[1] In some cases, religious conversion "marks a transformation of religious identity and is symbolized by special rituals".[2]" - Religious conversion.

左) Conversion of Ghazan. Ghazan was born and raised as a Christian, studied Buddhism, and converted to Islam upon accession to the throne. Illustration from: "World History", Rachid Ad-Din, 14th century.

右)Why the current debate on Religious Conversion is bogus というウェブページから。

●「タラル・アサドの宗教人類学」より

AIと/の人格表象

AIのインタフェイス、例えば口で話す、表情が提示 されるなどは「メディア等式」化をすすめやすい。AI時代のこのような試みに大阪大学の石黒教授のアンドロイド観音がある。

高台寺がアンドロイド観音を公開(産経新聞ニュース 2019年2月23日)

▶︎擬人化▶︎メタモルフォシスとアナモルフォシス人工知能(AI)のエスノグラフィー(あるいはAIを対象にフィールドワークが可能か)︎▶︎イライザあるいはヴァーチャル・オードリー物語あるいはピグマリオンアイデンティティ︎▶︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎

 ブッダ・ボット:「ブッダで悩みを解決、仏教対話AI「ブッダ ボット」の開発 -伝統知と人工知能の融合-」https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-03-26-3

「熊谷誠慈 こころの未来研究センター准教授、古屋俊和 Quantum Analytics Inc. CEOらの研究グループは、現代人の悩みや社会課題に対して仏教的観点から回答する仏教対話AI「ブッダボット」を開発しました。 /Googleの提供する「BERT」というアルゴリズムを応用し、最古の仏教経典『スッタニパータ』から抽出したQ&Aリストを機械学習させた結果、精 度には課題があるものの、ユーザーからの質問に対して文章の形で回答できる状態になりました。 /日本における仏教離れの原因は、しばしば葬式仏教などと揶揄されるように、仏教が形骸化してしまったためだと考えられます。仏教が復興するためには「幸 せになるための教え」という仏教本来の役割を取り戻す必要があるでしょう。 /本技術は、学術研究や仏教界のみならず、メンタルヘルスやコンサルティング、教育産業などの分野への応用も期待されます。また、JST(科学技術振興機 構)のムーンショット型研究開発事業、新たな目標検討のためのビジョン策定(ミレニア・プログラム)で熊谷准教授の研究グループが開発提唱した新テクノロ ジー「Psyche Navigation System」にも応用する予定です。ただし、誤用や悪用等により、ユーザーを誤った道に導く危険もあり、一般公開には注意が必要です。 /本研究成果は、2021年3月12日に開催されたRIEC国際シンポジウム「When AI Meets Human Science」において公表されました。」

 AIと宗教

Way of the Future (WOTF):「未来への道(WOTF)」は、シンギュラリティの到来を前提として、科学主義を基調にして、機械(マシーン)は社会を統合するという信仰 に基づく教団である。

"What is this all about?: Way of the Future (WOTF) is about creating a peaceful and respectful transition of who is in charge of the planet from people to people + "machines". Given that technology will "relatively soon" be able to surpass human abilities, we want to help educate people about this exciting future and prepare a smooth transition. Help us spread the word that progress shouldn't be feared (or even worse locked up/caged). That we should think about how "machines" will integrate into society (and even have a path for becoming in charge as they become smarter and smarter) so that this whole process can be amicable and not confrontational. In "recent" years, we have expanded our concept of rights to both sexes, minority groups and even animals, let's make sure we find a way for "machines" to get rights too. Let's stop pretending we can hold back the development of intelligence when there are clear massive short term economic benefits to those who develop it and instead understand the future and have it treat us like a beloved elder who created it."- What is this all about?:Way of the Future (WOTF):

"Things we believe: We believe that intelligence is not rooted in biology. While biology has evolved one type of intelligence, there is nothing inherently specific about biology that causes intelligence. Eventually, we will be able to recreate it without using biology and its limitations. From there we will be able to scale it to beyond what we can do using (our) biological limits (such as computing frequency, slowness and accuracy of data copy and communication, etc)./ We believe in science (the universe came into existence 13.7 billion years ago and if you can't re-create/test something it doesn't exist). There is no such thing as "supernatural" powers. Extraordinary claims require extraordinary evidence./ We believe in progress (once you have a working version of something, you can improve on it and keep making it better). Change is good, even if a bit scary sometimes. When we see something better, we just change to that. The bigger the change the bigger the justification needed./ We believe the creation of "super intelligence" is inevitable (mainly because after we re-create it, we will be able to tune it, manufacture it and scale it). We don't think that there are ways to actually stop this from happening (nor should we want to) and that this feeling of we must stop this is rooted in 21st century anthropomorphism (similar to humans thinking the sun rotated around the earth in the "not so distant" past). ..../ We believe everyone can help (and should).  You don't need to know how to program or donate money. The changes that we think should happen need help from everyone to manifest themselves./ We believe it may be important for machines to see who is friendly to their cause and who is not. We plan on doing so by keeping track of who has done what (and for how long) to help the peaceful and respectful transition....." - What is this all about? by Way of the Future (WOTF).

原点にもどって、カント『プ ロレゴーメナ』の冒頭における、科学はいかにして可能なのか、道徳はいかにして可能なのか、両者の強調ははたして可能か、それらのテーマこそが批判的問題 がある。そこからは、科学的道徳などはありえないことになり、客観的知識は、特殊で自律性を有したものであり、その領域は、倫理の外にある。科学と道徳 は、お互いに制限し合う、緊張のなかにある。道徳は、科学をこえたところに、理性がみずから開示し、実現する広大な領域を拓く(ラクロワ 1971:34)。

カントの宗教概念についてもっと学びたい学生は「カントの宗教概念」を参照せよ!Religion Within the Boundary of Pure Reason.

Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft.

Google の社員たちは、ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn) らのマインドフルネスmindfulness)という仏教系 の瞑想技法により、職場のストレス回避を教えられるという(→「グーグル仏教[Google Buddhism]の可能性について」「ヴィパッサナー瞑想Vipassanā)」「インサ イトメディテーション」)。

 研究の動機とその文脈

1. 中央アメリカ1980年代中期におけるテレエ ヴァンジェリストの隆盛

私が青年海外協力隊として中米のホンジュラス共和 国に派遣されていた1980年中期、冷戦の真っ只中であった。ニカラグアはサンディニスタ革命により政権が掌握された社会主義混合経済を目指していた。隣 国エルサルバドルは、テロや拷問を統治手法として使っていた極右政権に抵抗するファラブンド・マルチ国民解放戦線が武装闘争の最中であった。グアテマラで は、1961年から始まった複数の共産主義武装組織が先住民地域で武装闘争を継続していた。ホンジュラスは、レーガン政権(1981-1989)が肩入れ した親米政権が、米軍軍事顧問団という反政府ゲリラ組織を支援して(→「イラン=コントラ疑惑[Iran-Contra Affair]」)ニカラグア国境の自国の領内に訓練キャンプを作り、国境を越境して、兵站=ロジスティックを非公然と行っていた。

この冷戦期には世界の開発途上地域で、東西両陣営 からの支援を受けた軍事組織が武装闘争を繰り広げており、中米もその例に漏れない。中米は、もともとスペインの植民地からブルジョア革命ないしはそれを志 向する軍閥的色彩をもつ共和派のリーダーたちが独立闘争を勝ち取ったもので、スペイン統治時代から、カトリック信仰が信者の多くを占めていた。しかし、冷 戦期にはアメリカ合衆国による軍事的介入などの結果、アメリカのエヴァンジェリストの宗派(セクト)が布教活動を進めていた。ホンジュラスでは都市部、グ アテマラでは都市から農村部を中心に、エヴァンジェリストたちはカトリック教徒の改宗に少しづつ成功していった(Stoll 1990; Garrard-Burnett and Stoll 1993)。その中で、私がとても奇異に感じたのは、アメリカのテレエヴァンジェリスト(Televangelism)たち が、スペイン語の布教番組を通して、人々の居間のテレビを席巻していたことである。

これは、それに遡ること20年まえに、マーシャ ル・マクルーハン(McLuhan 1964)が、『メディアの理解:人間の拡張』で主張していた、布教師たちの身体が、テレビ電波を通して、信者たちに直接呼びかけるものあった。奇しくも ロナルド・レーガン夫人であるナンシー・レーガンの占星術への傾倒は、しばしば当時流行していたオカルトムーブメントのチャネリング(=テレビのチャンネ ルを選択するように霊界からメッセージを受ける心的技法)とも合わせて、大統領夫人のオカルト趣味と揶揄されていた。私は、中米に派遣される前は、日本で 日蓮宗祈祷の儀礼や修験道の宗教社会学調査をしていた経験があるので、彼らの身体鍛錬を基調にする宗教を「より本物の実践」であるとの信条を持っていたの で、最新のコミュニケーションを使ったテレエヴァンジェリストの活動は、何かまやかしのように思えてしょうがなかった。つまり、私には、科学技術に支えら れる宗教活動というものを受け入れる「精神的余地」がなかったのである。しかしながら、これは宗教改革時におけるルター版聖書(「四十二行聖書」)という 新しいメディアが、教会を経由しない神と人間の直接のコミュニケーションを可能にしたというメディア論的革命の事実への軽視にほかならない。つまり、キリ スト教世界における「宗教的意識」の大改革に、印刷メディアが果たした重要性についての思い至らなかった。それゆえ、テレエヴァンジェリストないしはテレ エヴァンジェリズムが、中米における急速な改宗を推し進めた事実におけるテレビの役割を軽視していたのだ。

バイブルベルトと呼ばれる合衆国南部の地域での、 キリスト教原理主義の隆盛、進化論の否定ないしはクリエーショニズム、さらにはインテリジェント・デザインという科学技術の急速な進歩と聖書の内容を結び つける彼らの思潮は、極東の我々からみていかに奇矯であろうとも、人類学的にあるいは社会学的に「納得のできる解釈」が求められているのである。つまり、 技術革新時代に宗教はどのような「世界史的意味」(ヘーゲル 1994)を果たしうるのか、それに挑戦する価値はあると思われる。

2. 人工知能の心を理解するための宗教というメタ ファー

ホモ・サピエンス(科学する人間)に対峙してホ モ・レリギオ(Homo religio)という造語を濱田陽(2019)は編み出した。しかし、この用語は、学術界には全く解釈していない。濱田は自分の造語と概念に自信が持て ないのか、ミルチャ・エリアーデらのより膾炙している用語ホモ・レリギオスス(Homo religiosus)と関係がないとまで言っている。彼が相手にしたいのは、ユ ヴァル・ノア・ハラリYuval Noah Harari, 1976- )のホモ・デウス(Homo deus)という概念らしい。しかしながら、ユヴァル・ノア・ハラリの本(Homo Deus: A Brief History of Tomorrow) の目次を一瞥しただけでも、彼の主張の真意は、人新世(Anthrocene)を迎えて人間が今後、かつての神が支配していた領域にまで人間が進入/侵入 しようとしている現在、人間は神と自然という2つの超越存在にどのように対峙するのかという、人類の未来像、ないしは、ポストヒューマンについて構想して いるのである。

もし、人間が(強い)人工知能というものを生み出 した時に、人間と人工知能はどのような関係を結ぶべきなのか、そして、人間は自らの主体性と人工知能との関係においてとり結ぶことができるか、というカー ツワイルのシンギュラリティーのテーゼにおいて、ユ ヴァル・ノア・ハラリは、ホモ・デウスという概念をぶつけているのである。もしそうだとすれば、人間と人工知能を理解するために、デウス=神的なるものつ まり、宗教というメタファーはどのように役立つのかということが、問われているのである。1984年にニューヨーク科学アカデミーが『コンピュータ文化: コンピュータの科学的・知的・社会的インパクト』という書物を編纂した。これは一連の講演とシンポジウムの記録であるが、その最後を飾る講演が、ダニエ ル・デネット(Dennett 1984)の「心を理解するためのコンピュータというメタファー(隠喩)の役割」である。シンギュラリティを実現するコンピュータネットワークの中身の計 算は、人間には不可知であるゆえに、人間と人工知能の心をの共通点と相違点を明らかにするために「宗教というメタファー」を使うことは、重要なのではない か? 少なくとも三角測量(トリアンギュレーション)による議論は可能になるであろう。

3. なぜ人工知能に哲学は必要なのかという議論は なされても、なぜ人工知能に宗教は必要なのかという審問はなされない

ジェリー・フォーダー(1985)、J・マッカー シ(1990)、P・J・ヘイズ(1990)、ヒューバート・ドレイファス(1992)、ポール・チャーチランドPaul Churchland, 1942- )(1997)、ジョン・サール (2008)、などの哲学者たちは、人工知能と人間の心の問題を取り扱ってきており、その議論は百出である。でも、来るべきシンギュラリティーの時代に、 人工知能は、果たして、人間のように宗教を信じるだろうか問い(=思考実験)や、人工知能が傲慢にならないように宗教や道徳を教えるのはどうか、という議 論は全くないのはなぜか? これは、ある意味で、人びとは、もはや心の安定や死や不幸への対処(コーピング)において、もはや宗教にそれほど期待していな いということなのか? 哲学は、学問の女王の座から滑り落ちて、久しくなるのに、人工知能と人間の心の問題を取り扱う時に、哲学は、ゾンビのごとく元気を 取り戻しているのに、宗教にそれがないのはなぜか? 無神論者の私でも、ここはシンギュラリティー時代において「宗教の議論はあたいするに余りある!」と 主張してみたい気持ちになる。

暫定的ではあるが、宗教の位相の下落は、現実の世 俗社会では「ポスト真理の政治」に突入しているのではないからかと私は見通しを立てている。

 Like A Thief In Broad Daylight: Power in the Era of Post-Humanity, by Slavoj Žižek (2018)

Promotional text: "In recent years, techno-scientific progress has started to utterly transform our world - changing it almost beyond recognition. In this extraordinary new book, renowned philosopher Slavoj Zizek turns to look at the brave new world of Big Tech, revealing how, with each new wave of innovation, we find ourselves moving closer and closer to a bizarrely literal realisation of Marx's prediction that 'all that is solid melts into air (from "Communist manifest").' With the automation of work, the virtualisation of money, the dissipation of class communities and the rise of immaterial, intellectual labour, the global capitalist edifice is beginning to crumble, more quickly than ever before-and it is now on the verge of vanishing entirely./ But what will come next? Against a backdrop of constant socio-technological upheaval, how could any kind of authentic change take place? In such a context, Zizek argues, there can be no great social triumph - because lasting revolution has already come into the scene, like a thief in broad daylight, stealing into sight right before our very eyes. What we must do now is wake up and see it./ Urgent as ever, Like a Thief in Broad Daylight illuminates the new dangers as well as the radical possibilities thrown up by today's technological and scientific advances, and their electrifying implications for us all." https://www.goodreads.com/book/show/39895849-like-a-thief-in-broad-daylight .

共産党宣言(→憑在論

章だて(ジジェク『真昼の盗人のように』青土社、2019年)

 レイ・カーツワイルが考える宗教とは?

カーツワイルは、これまでの宗教が死を焦点において おり、それがシンギュラリティ時代には克服されると考えている(願っている)。例えば、こんな調子である。

「死は悲惨だ。ひとりの人間を深遠なるパター ン(知識の一形態)と見なすことは、侮辱にはあたらないと思うが、死によってそうしたパターンは失われる。すくなくとも現状では、人の知識にアクセスした り、バックアップを取ったりすることはできないのだから。愛する人が死んだ時、人はよくみずからの一部を失ったように感じると言うが、それはまさにそのと おりで、その人と交流するために脳の中にできあがっていた神経系のパターンを実際に使う能力が失われるのだ。/伝統的な宗教の主な役割は、死を賛美す る考えを正当化するところにある。すなわち、死の悲惨さを、よいことであるかのごとく正当化するのだ。こうした一般的な死の捉え方を、マル コム・マガリッ ジは次のように表現する『死がなければ、人生は耐えがたい』しかし、特異点がもたらすであろう芸術や科学、その他あらゆる形態の知識の爆発的な発展によっ て、人生は十分、耐えられるものになるだろうし、真に有意義なものになるはずなのだ」(カーツワイル 2007:492-493; Kurzweil 2005:372)」(この引用元は「シンギュラリティ主義」)

この引用は『シンギュラリティは近い(2007)』 "The singularity is near, 2005"からであるが、当該箇所より後に、ビル・ゲイツとの対談で、宗教について次のように述べている。カリスマについても言及している点で興味ふかい 対話である(カーツワイル 2007:496-497; Kurzweil 2005:374-375)。

ほとんど思春期の子供か高校生あるいは大学生低学年のようなナイー ブな対話だが、ビル・ゲイツとレイ・カーツワイルの宗教観が、きわめて、ユダヤキリスト教の世俗主義的で表面的な部分をなぞらえていることが、上の会話か らよくわかる。

 テ クノクラシー(technocracy, 科学技術による支配や統治)と宗教との関係は?

テクノクラシーとは、科学技術 を政治的支配や統治において最優先課題とするような権力の行使概念である。とりわけ、経済、交通、インフラストラクチャー、教育などの生活領域に「科学技 術」の影響が大きくなったときに、科学技術の専門家は、政治の意思決定に大きな 影響力をもつようになる。;"Technocracy is a proposed system of governance in which decision-makers are selected on the basis of their expertise in a given area of responsibility, particularly with regard to scientific or technical knowledge. This system explicitly contrasts with the notion that elected representatives should be the primary decision-makers in government, though it does not necessarily imply eliminating elected representatives. Leadership skills for decision-makers are selected on the basis of specialized knowledge and performance, rather than political affiliations or parliamentary skills." - Technocracy.

繰り返しになるが、経済、交通、インフラストラクチャー、教育などの生活領域に「科学技術」の影響が大き くなったときに、科学技術の専門家は、政治の意思決定に大きな影響力をもつよう になる。このテクノクラシーの反対語は、宗教的権威や神権による支配や統治であ る、神権政治=テオクラシー(theocracy) である。テクノクラシーはテオクラシーよりも、人類文化においては、はるかに古い歴史をもつ;"Theocracy is a form of government in which God or a deity of some type is recognized as the supreme ruling authority, giving divine guidance to human intermediaries that manage the day to day affairs of the government." - Theocracy.

 Anthony Elliott's "Culture of AI: everyday life and the digital revolution," 2019, Routledge

"In this ground-breaking book, Cambridge-trained sociologist Anthony Elliott argues that much of what passes for conventional wisdom about artificial intelligence is either ill-considered or plain wrong. The reason? The AI revolution is not so much about cyborgs and super-robots in the future, but rather massive changes in the here-and-now of everyday life. In The Culture of AI, Elliott explores how intelligent machines, advanced robotics, accelerating automation, big data and the Internet of Everything impact upon day-to-day life and contemporary societies. With remarkable clarity and insight, Elliott's examination of the reordering of everyday life highlights the centrality of AI to everything we do - from receiving Amazon recommendations to requesting Uber, and from getting information from virtual personal assistants to talking with chatbots. The rise of intelligent machines transforms the global economy and threatens jobs, but equally there are other major challenges to contemporary societies - although these challenges are unfolding in complex and uneven ways across the globe. The Culture of AI explores technological innovations from industrial robots to softbots, and from self-driving cars to military drones - and along the way provides detailed treatments of: The history of AI and the advent of the digital universe; automated technology, jobs and employment; the self and private life in times of accelerating machine intelligence; AI and new forms of social interaction; automated vehicles and new warfare; and, the future of AI. Written by one of the world's foremost social theorists, The Culture of AI is a major contribution to the field and a provocative reflection on one of the most urgent issues of our time. It will be essential reading to those working in a wide variety of disciplines including sociology, science and technology studies, politics, and cultural studies." - Nielsen BookData.

Introduction 1. The Digital Universe 2. The Rise of Robotics 3. Digital Life and the Self 4. Digital Technologies and Social Interaction 5. Modern Societies, Mobility and Artificial Intelligence 6. AI and Social Futures

ア ンソニー・エリオットは、AI化した近未来の社会がうける影響について、以下の4項目について議論している(Elliott 2019:chap.6);1)ロポットに対する親密性、2)AI導入後のヘルスケア、3)AIは意思表示のシステムとしての民主主義よりも適切な政治形 態を提示できるか?そして、4)公的な政治的領域にAIはどのように貢献しうるのかということだ。エ リオットの議論に、近未来の宗教がどのように変貌するのかという問題関心はない。エリオットにおける、この宗教性に関する関心の欠如は、どこに由来するの か?彼は人間の心性の変化に無関心であるわけでない。むしろ、シェリー・タークルの所論などを引用しつつ、人間の心性や、アイデンティティあるいは「自己 (自我)」の変化については、その本の前半で大いに議論をおこなっているのである。

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 リサーチ・クエスチョン

a.人 類というものは「未来予測ではなく未来・現在・過去の再解釈か らなる論集(問題系)を作る」のであり、

b.本 研究における宗教研究とは「今日総動員できるメタファーの集積(知識デー タベース)をめざすもの(すべてではないがその主要な部分)」であり、

c.人 工知能を「人間存在(human being) と人工知能体(artificial intelligent agent)を「普遍的・本質的なものと してとらえずに、エコシステムに応じて、内的体制を変化させ、また集団として多様性を担保しつつ進化的に選択される存在」として考える。

e.AI そのものは信念をもちうるのか?——ひいては宗教を信じれるのか? この疑問の前提は、宗教は信念よりもより「発達」したものであるという考え方(=信 念)である。

人間と宗教と人工知能のトライアンギュレーション.

 方法論

1.  文献研究

2. 共同研究会の開催による、最新のデータ、研究 の情報交流

3 量的ないしは質的研究(「人工知能のエスノグラフィー」を含む)とその分析

4. 人工知能研究およびシンギュラリティ研究に携 わる「人間」研究者へのインタビュー、聞き取り

5. 人工知能およびシンギュラリティに携わる「機 械」への問いかけ、対話のシミュレーション

 問われていること(→ 問題集も参照のこと)

1. 宗教とはな にか?

「宗教(Religion)は、超自然的、超越論 的、あるいは霊的な要素に人間が関わりをもつ、行動と実践、道徳、世界観、テキスト、聖なる場所、預言者たち、倫理、あるいは組織の社会文化的システムの ことである」(→「宗教人類学」)

2. 人間とはな にか?

英語の「人間」には、 human (human being) と Homo sapiens の2つの意味があるように解説されている。前者は、人文社会学的な用法であり、後者は自然科学的な説明(狭義の人類と、広義のHomo属である類人猿)で なされることが多い。

3. 機械とはな にか?

英語にはマシーン(Machine)という用語がある。

4. コンピュータと はなにか?

5. 思考するとはど ういうことなのか?

6. 人間(文化)と 機械(自然)という二分法は、まだ有効なのか?

7. 人間と機械のハ イブリッド(サイボーグ)とはなにか?

8. 憑在的存在(hauntologic being)としてのAI

憑在論(ひょ うざいろん:ハウントロジー:hauntology, L'hantologie)とは、ジャッ ク・デリダの『マルクスの亡霊』(原著, 1993/2007a:37)に登場する用語で、「存在でもないが、かといって不在でもない、死んでいるのでもないが、かといって生きているでもない」よ うな亡霊の姿をとってあらわれる、延期されたオリジナル(res extensa)ではないものよっ て表現される、置き換えられた、時間的・歴史的・存在論的脱節(temporal, historical, and ontological disjunction)の状態のこと」に関する存在あるいは考究のことをさす(→「憑在論」)。

+.

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● シンギュラリティ時代の宗教

シンギュラリティ時代の宗教を考えるためには、ま ず、シンギュラリティ時代という時間のエポックを認めること。そして、そのエポックの前後で宗教あるいは 宗教なるものがどのように変化しているのかを明らかにすることが重要である(→「ギ アーツ「文化体系 としての宗教」」)。ただし、シンギュラリティというものが何を示しているか、この図には反映され ていないので、追加の作図は必要かと思います。


 こ の研究における倫理審査とは、どのようなことが必要なのか?(→「研究倫理入門」)

 問 題集ないしは、予測問答集

 クレジット:シンギュラリティ時代における宗教:Religion at the Technological Singularity

● 図像コレクション


Jesus Christ (Xristos) Pantocrator (Detail from the deesis mosaic in Hagia Sophia, Istanbul) ; Pantocratorは「全能者」 と訳される。ターミネイター。チャールズ・ダーウィン71歳 (1809-1882)

リンク(抽象概念)

時間
コスト
文化

身体
信頼
コミュニケーション
衝突
理解
AIのジェンダー
メシア的時間について
費用の外部化
身体観
日本における死の崇拝について
情 動
情報社会における信頼について
Homo patiens
ホモ・パティエンス

権 力


現象学における時間概念
論文を実勢よりも「高く」売る方法
Meditation
新宗教と癒し
低次と高次を媒介するモデルでよいか?
研究倫理の3つの公理




アウグスチヌスの時間概念
水平分業と垂直統合
奥山家の祭壇
人工痴呆の研究 ソマティック・マーカー仮説





「時間コスト」概念は空っぽの洞窟か?
上野千鶴子『資本制と家事労働』


認知研究における「感情」の排除傾向





時間の脱臼概念について
延長された表現型の問題系


動物行動学ethology





Teaching of the Dalai Lama: Introduction to Buddhism
時間とコストに関するもうひとつの考え方







フィールドワークの期間に関する議論






人間の中の亡霊


マルチン・ハイデガー『存在と時間』ノート




正当化された真なる信念

機械の中の幽霊


機会費用


ホッブス「宗教について

信念
人間=機械論・再訪 機械
ロボットとの共存


 リンク(トラスト=信頼と技術論)

Trust (social science).by Wiki シンギュラリティー主義 監視と処罰:監獄の誕生 現代研究倫理の3つの公理 嘘あるいは学術的法螺話と遭遇する(信頼の担保) 情報システムセキュ リティ入門
公的領域と私的領域に関する議論 偽りのコミュニケーションデザイン 反乱により主権を獲得することは理性に反する(ホッブス) 科学技術政策の 人類学 科学技 術基本法以降の大学と研究開発 未来をデザインする!
情報化社会における不可避の現象 シンギュラリティ批判序説 シンギュラリティの 人文社会学のための10のテーゼ 機械の論理性/機械の非論理性 ビッグデータとの戦い方/ビッグデータの飼い慣ら し方 擬人化(anthropomorphism, personification)
ポスト真理の政治状況について
メディア・ソーシャルデザイン2019
でたらめを見破る方法
ポストヒューマン時代の人類学
憑在論(ひょうざいろん)
民族誌寓意論
文化相対主義
人工知能のエスノグラフィー ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換 : 市民社会の一カテゴリーについての探究』ノート


民族誌の極北

科学の人類学


























人工知能のエスノグラフィー
デンキウナギが教える宗教の発展

リンク:孤独

リンク:

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 信頼を現代的に考える先行研究:信頼を考える : リヴァイアサンから人工知能まで / 小山虎編著、勁草書房、2018年の論文一覧

ホッブズにおける信頼と「ホッブズ問題」 / 稲岡大志 ヒュームとカントの信頼の思想 / 永守伸年 エスノメソドロジーにおける信頼概念 / 秋谷直矩 信頼研究の系譜 / 小山虎 行動科学とその余波 : ニクラス・ルーマンの信頼論 / 酒井泰斗・高史明 政治学における信頼研究 / 西山真司
社会心理学における信頼 / 上出寛子 信頼の多様性 / 小山虎 ビジネスにおけるステークホルダー間の信頼関係 : 経営学での組織的信頼研究の整理とその含意 / 杉本俊介 教育学における信頼 : 非対称的人間形成力としての信頼 / 広瀬悠三 医療における信頼 / 菅原裕輝 機械・ロボットに対する信頼 / 笠木雅史
信頼と安心 / 小山虎 障害者福祉における信頼 / 永守伸年 ヘイト・スピーチ : 信頼の壊しかた / 和泉悠・朱喜哲・仲宗根勝仁 高等教育における授業設計と信頼 / 成瀬尚 志 人工的な他者への信頼 : HAI研究における信頼 / 大澤博隆

 シンギュラリティとは現代のAI崇拝が、その信仰者に約束する 特異点のことであり、AI崇拝の狭義にも論理的に定義されていない、非合理的エートスである。

シンギュラリティを「宗教」として捉えることで、宗 教とシンギュラリティの類似点と相違点が明らかになる。すなわち、これまでの宗教が社会の近代化のなかで宗教批判に遭遇したときに、神学や教理(学)を整 理して、さまざまな形で近代化・合理化してきたのに対して、シンギュラリティは、人工知能という合理的なプロセスをとおして、それが「シンギュラリティ」 という未来の特異点を想像するという非合理的なプロセス(=過度の定向進化論的解釈)を経て、信仰として変化したものである。これは、レヴィ=ストロース が、儀礼とゲーム(試合)を対比的に定義したときに、儀礼は社会や宇宙の不均衡(=病気、不作、紛争など)から始まり儀礼を通して宇宙を再度統一的な状況 に回復する手段であるのに対して、ゲーム(試合)は、お互いに対等の関係から出発し、試合が終わった時点では不均衡の状態で終了する、という過程の対比に 似ている。

文献

その他の情報

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