高齢化社会のデザイン
Designing
of/for/with/against Aging Society: A Bottom up Approach
解説:池田光穂
これまでの高齢化社会のデザインは、(1)政策サイドの行政施策の様々な提案(サクセスフル・エイジング=エイジレス社会+エイジリスペクト社会)や、(2) その「よきイメージ」をアジア社会をモデルにすることを前提に して、模索され てきた(例:広井良典の これまでの様々な提案)。またアフリカの高齢化社会への疫学的な介入を通して、日本の高齢化社会を逆照射する提案もある(田川・慶田・花渕編 2016)。しかし、これは、自らの社会を自らの足で立てるいうオートノミーという発想からみると、他者および他者の社会へのアイディア依存で、いささか 不安が募る貧相なアイディア群である。大切なことは、自らの発想で、高齢化社会を「デザイン」 するということである。そのためには、どうしても「コミュニティから発信できない」行政主導のプログラムは、避けるべきだろう(→「コミュニティにもとづく参加型研究:CBPR」)。
では、高齢化社会を「デザイン」するということはどういうことをさすのだろう か? デザインは設計の意味だから「自分たちが《そうあってほしい 高齢化社会》を設計する」というのがその答えだ。
嫌悪すべき例(→「古いページ」の事例)のように、コミュニティ(ないしは専門化したデヴェロッパーたち)の声をそのまま公募すれば「なんとかなる」と言う安易な発想も登場する。
【高齢化社会のデザインを考える!】
テリー・ウィノグラード(2002:xxvi-xxx)によると、デザインと
は何かということを考える時に、デザインは《行為》であること
を自覚しなければならないという。そして以下のような、デザインという行為の内実について解説している。それを、私たちが考える、高齢化社会との関連で、
《そうなれば良いなぁ》と考えるように、6つのテーゼにして、皆さんに示そうと思う。
1. デザインは意図的である——私たちが考える高齢化社会は、
全ての世代のグループがそれぞれの多様性を尊重しながら平和的に共存している状態のことである。
2. デザインは人間的な課題を中心にすえる——持続的な可能目
標(SDGs)に照らし合わせて、人間中心的ではなく、地球環境にも配慮した社会
的プログラムである。
3. デザインは素材との対話である——プロジェクトの遂行に
は、高齢者は裨益者でステイクホルダーであると同時に、対等の対話相手である。
4. デザインはクリエイティブである——高齢化社会の設計は、
快適で、楽しくて、かつ創造的である。
5 デザインはコミュニケーションである——あらゆるタイプの情
報が透明性を持って流通し、偏見や意図的な秘密がなるべく少なくなり、かつ、苦しみや苦悩に満ちたものですら常に、皆が取り組めるようにオープンなもので
なければならない。
6. デザインは社会的な結果を伴う——現時点では実現不可能と
思われるプランでも、善いものであれば、その成果が出るように、十全の努力をする。
【番外】「認知症マトリックス」で大暴れする——あまりオススメしません。リスクテイクできる方のみ限定!!
政策担当者は、統治上の課題もあり、高齢社会をデザイ ンする必要性に駆られていることは言うまでもない。しかしながら、地域コミュニティの変貌や崩壊に ついて、日々の生活実践を通して感じている現場の人々からみれば、政策サイドからの提案は、一方でばらまき行政タイプのパターナリズムか、住民のクレーム 処理タイプのシビル・エンジアリング的な技術改良主義の間を揺れ動いているだけで、生活感覚にもとづくものとは程遠いものがある。
これまでの大学の研究者は、大衆(市民)に対する行政的視点を大衆(市民)に対する態度をもって軌を一にするか、あるいは普遍的で画一的な非現 実的な社会変革モデルを提案するという「悪しき指導者」のままに甘んじてきた。
そのような大学研究者に対して(抗して)、問題に基づく学習(PBL)と、コミュニティに基づく参加型研究(CBPR)に ついて考えるのが、この調査型実践プロジェクトである。
このプロジェクトは次の 3ステップの理念的展開をもくろむ。
(1)地域における高齢者(認知症者を含む)や障害者とそのケア提供者が、現場でどのような問題を抱えるているのか、現場で大学の研究者が耳を 傾ける。
(2)直面する問題の性質に関する分析を、参与観察者である大学の研究者は、当事者と同じ資格水準で考え、またそれに対する具体的な行動指針や 計画などを立案する。
(3)落下傘から降りてくるような調査研究や開発のための資金注入という古典的タイプの研究ではなく、地域コミュニティと当事者が持続的に高齢 社会を運営・維持していくような、これまでの社会の価値観を尊重しつつ、さまざまな代替的方法を提案・実践すると同時に、それらの維持管理を持続可能なも のにする。
●高齢者を排除するようなコミュニティの設計思想があるか(イエスか?/ノーか?)
僕 は、まちづくりとは、ひとづくりに、ほかならないと考える人間であ る。したがって、土木系の専門家が謳う土建屋丸出しの思考から抜け出ない「まちづくり」の理念を聞いても全く心が動かされな い。また、自称「交通系」の人が、交通の流れがかわったら、自動的にまちづくりができるというバカな主張も、俄かには信じがたい暴言のように思われる。そ んな土木系や交通系の「まちづくり」をいった い誰が信じるのだろうか?(→「ひとづくりから入る「まちづくり」入門」)
アクティブ・エイジングの定義は次のように規定されている:「アクティブ・エイジングとは、人びとが歳(年)を重ねても生活の質が向上する
ように、健康と参加と安全のチャンス(機会)をもっともふさわしいように(=最適化する)過程のこと」をさす。(→「アクティブ・エイジング」)
●高齢者を含む多様性をもつコミュニティの設計思想があるか?(イエスか?/ノーか?)
●超高齢化という人口構造に配慮したデザインをしているか?(イエスか?/ノーか?)
Healthy Aging - Osaka University(pdf)
Challenging to Our low-birth-rate-hyper-aging-society: Japanese government, health sectors, and citizen - We will have three parts of this presentation: 1) General description on Aging Society, “Kōreika-Shakai” and Policy of Japan; 2) Structural Violence toward foreign ‘Newcomers’ workers in Japan; 3) How we should do? :Methodological memorandum.
***
(Source: Ministry of Health, Labour and Welfare, 2012)
●SDGsを考慮した高齢化社会の設計をしているのか?(イエスか?/ ノーか?)
◎最終的なデザインの先のモデル
「ナ ショナルミニマム制度を基礎に置く横型(階層型)の社会保障システムへの転換」(小笠原と渡辺 2012:216)
ナショナルミニマムの説明(ウィキペディア日本語より)
「ナショナル・ミニマム(national minimum)とは、国家(政府)が国民に対して保障する生活の最低限度(最低水準)のことである。ベヴァリッジ報告書ではナショナル・ミニマムを達成 するため、ミーンズテストに基づく公的扶助制度を設けるとした」。ちなみに、ミー ンズテストとは、同ウィキより「ミーンズテスト(means test)とは、市民政府に対し、社会保障制度による給付を申請した際に、申請者が要件を満たすかどうか判断するため行政側が行う資力調査のこと。調査は 申請者の収入、資産、またはその両方を対象にして行われ、通常は収入・資産が一定水準を下回ることが受給の要件となる」。
クレジット:池 田光穂「コミュ ニティから発信する高齢社会のデザイン」
■World Economic Forum のグローバルな変革マッピングにおける「高齢化」への変革デザイン(画像のリンクによる直接出典サイトに飛びます:サインインが必要になる可能性がありま す)
この研究プログラムの英語のタイトルは、「ボトムアップ・アプローチ」となっているが、トップダウンからのアプローチあるいはメゾレベルか らのアプローチの人たちは、世界的観点からみて、高齢化問題をどのように考えているのかを検証することも重要であろう。ダボス会議を運営する、世界経済 フォーラム(World Economic Forum )のサイトにある、グローバルな変革マッピングは、とても発見的手法(heuristic approarches)に満ちて、示唆的であるので、以下に示そう。
1.社会福祉プログラム: Social Welfare Program
2.高齢者介護: Elder Caregiving
3.健康と機能的運動能力: Health and Functional Ability
4.労働環境と労働力の変化: Workplace and Workforce Change
5.高齢者に優しいインフラ: Age-Friendly Infrastructure
6.シルバーエコノミー: The Silver Economy
7.イノベーションへの準備態勢: Innovation Readiness
"By 2020, the global population of those over 60 years of age will reach 1 billion; by 2050, it is expected to reach 2 billion. This trend, combined with a general decline in birth rates, is leading to a situation where the world’s old will outnumber the young. This presents an economic opportunity, as consumers over 60 will have trillions of dollars in spending power to help drive global consumption. There is also an opportunity to better leverage the abilities of those over 60, by adjusting workplace policies and redefining what “retirement” means. Investing more significantly in healthier ageing processes can help combat related health conditions, improve functional ability, and increase productivity. A transformation of institutional structures is called for, alongside public policies better aligned to the world’s new demographic makeup.- This briefing is based on the views of a wide range of experts from the World Economic Forum’s Expert Network and is curated in partnership with the Global Coalition on Aging." - Aging by World Economic forum.
より詳しくは「World Economic
Forum のグローバルな変革マッピングにおける「高齢化」への変革デザイン」にアクセスしてください。
■クレジット:池田光穂・西川勝・宮本友
介「高齢化社会のデザイン(2010)」を元に池田が増補改訂したものです。西川さん・宮本さんに感謝します!
■高齢化社会のデザインテーゼ
1.グローバルに考え、ローカルに楽しみ、そしてグローカル(メゾ・ レベル)でネットワーク的にアクションする!
2.老いや加齢をネガティブなものとしてみない。そのための究極的な克服点は、必ず各人に訪れる「死」と付き合い、そして死を「飼いならす」ことである。
3.正常や理想を多元化する。人間における複数の経路性と、事後的な経路依存 性の現実に直面すれば、「正常」や「理想」を一元化することの愚かしさに気付くはずである。
4.過去の失敗から学ぶ。過去の失敗を事例を嫌悪すべき否定的で克服すべきものとして考えない。他者の失敗を、自己のものとして共感し苦悩 し、そしてそこからの脱出を「共に」考える。
5.楽観主義を忘れない「共感的プラグマティズム」を、集団的実践の信条をしよう。そして、楽観主義にもとづく、相互の助け合い(=互酬性)の精神だ!
用語
●La vejez por De Jorge Luis Borges
La vejez
(tal es el nombre que los otros le dan)
puede ser el tiempo de nuestra dicha.
El animal ha muerto o casi ha muerto.
Quedan el hombre y su alma.
Vivo entre formas luminosas y vagas
que no son aún la tiniebla.
Buenos Aires,
que antes se desgarraba en arrabales
hacia la llanura incesante,
ha vuelto a ser la Recoleta, el Retiro,
las borrosas calles del Once
y las precarias casas viejas
que aún llamamos el Sur.
Siempre en mi vida fueron demasiadas las cosas;
Demócrito de Abdera se arrancó los ojos para pensar;
el tiempo ha sido mi Demócrito.
Esta penumbra es lenta y no duele;
fluye por un manso declive
y se parece a la eternidad.
Mis amigos no tienen cara,
las mujeres son lo que fueron hace ya tantos años,
las esquinas pueden ser otras,
no hay letras en las páginas de los libros.
Todo esto debería atemorizarme,
pero es una dulzura, un regreso.
De las generaciones de los textos que hay en la tierra
sólo habré leído unos pocos,
los que sigo leyendo en la memoria,
leyendo y transformando.
Del Sur, del Este, del Oeste, del Norte,
convergen los caminos que me han traído
a mi secreto centro.
Esos caminos fueron ecos y pasos,
mujeres, hombres, agonías, resurrecciones,
días y noches,
entresueños y sueños,
cada ínfimo instante del ayer
y de los ayeres del mundo,
la firme espada del danés y la luna del persa,
los actos de los muertos,
el compartido amor, las palabras,
Emerson y la nieve y tantas cosas.
Ahora puedo olvidarlas.
Llego a mi centro,
a mi álgebra y mi clave,
a mi espejo.
Pronto sabré quién soy.
De Jorge Luis Borges
(del muro de Esmeralda Loyden S)
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文献
その他の情報
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